第62話 ニューデイズ
リトマス連合国の首都リストンから、西へ一万五千キロ進んだ場所に【ロブンローン】という地があった。
この地方は豊かな間欠泉が多数見受けられ、世界有数の温泉地として名高い。
また、気候も安定しており、一年間でバランスの取れた四季が見られる珍しい土地である。一年を通して観光客が後を絶たず、そのゆたかな自然は世界的に保護されていた。
また、町は綺麗に整備され、ゴミ一つ落ちていない。かなり厳しいルールと、政策によるものだ。
【ザイル帝国】にあるロブンローンここに今エマ達は来ていた。
「みてーエマ姉! 水がすごいよ! ドバーって!」
ルナは高く吹き上がる間欠泉を見てとても楽しそうに跳ねている。
「そうね、本当に凄いわね。幾つあるのかしら」
エマが聞くと、モナが答える。
「公園内には、二十八カ所。ロブンローン領内には、五百カ所以上ある」
「あち、あちちちー。きゃははは」
ルナは吹き出る蒸気と温水に走りながら向かって行き、迷わず飛び込む。そして入っては出る、を繰り返している。それをモナは指差して言う。
「あれ……大丈夫? 源泉かなり、熱い……」
エマはあきれた様子で話す。
「あんた、あんまり危険な遊びをするんじゃないよ、頑丈な子ね、周りのみんな引いてるよ。それよりモナ、ありがとうね。付き合わせちゃって。家の用事で忙しかったんじゃないの?」
「大丈夫……家はミナ姉さんがいる。それよりもルナ、退屈そうだったから」
ミナは、大きな白いフードから少しだけ顔を覗かせて、綺麗な青色の瞳と薄い桃色の唇を動かしそう言った。
「それにしても、あんたたち双子なのにずいぶん違うのね。ミナはテキパキしてるけど、モナはもの凄くおっとり」
エマは自分達の事を棚に上げ、堂々とそう言う。
現在、エマ達はミナとモナの家族にお世話になっていた。
モナたち一家は代々パン職人で、世界的に有名な店だった。
ザイル帝国の首都【ライザ】の隣の都市である、【リシュル】で店を経営していた。
エマ達は街のはずれにある、パン工場で匿ってもらっているのだった。
「うん、随分と良くなってきましたね。その調子です」
トマは、胸の前で両手を開き笑顔でそう言った。
「う、うう」
ティアナはよろめいて跪く。ディンガはかろうじて直立を保っている。
「しかし、やはり【マジックゲート】を無視する事は出来ませんね。だとすると、レオナルド国王が無視出来たのはエマの眷属になったせいで間違いないな」
(しかし、この階層のように構築された魔法の構成は何だろう。まるで、一つ一つの階層に鍵をかけて封印でもしているような印象を受けるな。まあ、僕なら鍵を開けることは簡単だけど。なんか居るんだよな。まあ、それはそのうちでいっか……)
トマは、グッドサインを顎に当てて考えている。
「は、はあはあ。しかし、この数日で魔法の使い方が前より数段良く分かるようになりました。はあ、はあ、流石ですな。今なら第五門までも使えそうな気がします。うっ、くっ」
ディンガはそこまで言うと、たまらず片膝をついた。
「さあ! まだまだこれからですよ。さあ、やりましょう! ほら立った立った」
トマは満面の笑みでそう言いながら手を叩いた。
「ひいぃ。悪魔だ、天使の顔をした悪魔……」
ティアナは朦朧とする意識の中で天使のように笑う悪魔に遭遇した。トマの魔法講座はさらに続いていく。
「ふざけてんのがぁ!」
ドガガガガ!
白い冷たい床に、ろうそくの燭台の倒れた音が響き渡る。
メディス妃が激昂し、蹴り倒したのだ。その顔はまるで、垂らした絵具をぐちゃぐちゃにかき回したような形相だ。
アリが覚醒した日から、七日が経とうとしていたが、未だにメディス妃の怒りは収まる気配がない。
「シークレットクラウンを二人もやられた上に地下通路を壊されただと! しかもあの核に封印式までされて! くそ! くそ! くそ! くそ!」
そう叫び、地団駄を踏むたびに、辺りの壁や床が丸く切り取られ消滅していく。そしてそのまま通路に並んで立っている兵士の右半身を切り取ってしまった。
凄まじい血しぶきと共に兵士は床に倒れる。
しかし、その兵士は微動だにせず、それどころか一言も発することはなく、人形のように横たわっている。しかも、周りにいる兵士たちは、その凄惨な光景に眉毛一つ動かす事もなくじっと前だけを見続けている。
「お前というものがありながら何という失態なのだ! 本当に誰がやったのか見ていないのかワン!」
「はい……すいません。私の耳に入る前にナンバーフォーとファイブが勝手に動いてしまいましたので」
「くそがっ! しかも、フォーもファイブもほとんど記憶がないらしいではないか! いったいどんな者にやられたのも分からん! そもそも何故あの二人はあの場所に向かったのだ? くそっ!」
さらに地団太を踏もうとするメディス妃の足を、ワンが掴む。
「メディス様。おやめください」
「貴様……偉くなったものだな。私に指図する気なのか?」
ひきつり、吊り上がった目でワンを覗き込む。
「いえ。その様なつもりはございません。しかし、このままでは、想定外の状況で更にに兵士を失う事になりかねません。どうかここは堪えてください」
ワンの静かな抵抗に対し、メディス妃は少し笑う。
「ふっ、まあいいわ。その陰、お前も相当大変みたいだからねぇ。先が思いやられるわ。まあ、それに免じて許してあげる」
そう言うと、大きな扇子で顔を隠し、馬鹿にしたような下卑た目をのぞかせる。
そして、そのままの恰好で、掌を数回払い、ワンを部屋から出ていくように促す。
ワンは立ち上がり一礼してその場を後にする。それについて行くように、並んでいた兵士達もその部屋を後にするのだった。
皆が退出し、玉座の間に誰もいなくなると、メディスは糸が切れたように玉座に座り込んだ。
「……修復に時間がかかる……もしかしたら一年、いや二年か……くそっ! 何年かかったと思っているのだ……これでは時間が足りないではないか」
額から汗を流し、掌をブルブルと振るわせて焦点が定まらない。
「ま、まあいい……バトラーにまた作らせるしかない。くそっ! なぜ私が、この私がこんな屈辱を……」
血の底から這い出てくる悪霊達の怨念が真っ黒い塊となり、その身に絡みつく。メディスの声はそんな事を錯覚させるほどのおどろおどろしさがあった。
まるで割れたガラスの破片のように鋭利な吊り上がった目で、自分にここまでの屈辱を与えたまだ見ぬその相手を睨みつけるのだった。




