第44話 ディーピングダークネス
不穏な空気が漂う中、進んでいく状況の変化は、少しずつ全ての歯車を狂わせていく。
そして、何事もなかったかの様にただ悪戯に、自らの力で止める事も出来ず過ぎていく時間が、いつもと違っていることに気づくことは出来ない。
少しずつ音を立てて軋み、事が起こった時にはもうすでに手遅れになっている。そんな、腹の底から醜く熱いものがじわりじわりと侵食しているかのような気持ちが悪い感覚。
ジェイとエマが出会ったころ、ミアは窮地に立たされていた。
何故なら、自分の力量より、前に立ちふさがるアルファベットの三人の方が、明らかに強いと分かったからだ。そして、自分の魔法が使えない事もそれに拍車をかけた。
だからこそ、対峙した時すでにもう決めていた。
ミヤは自分の命と引き換えに、レオナルド達を守ると。それが自分にできる最善の道。
そして、なによりレオナルドに対する特別な感情があったからだ。
レオナルドは夫の友人だった。夫は何よりレオナルド国王に尽くしたし、そして、それ以上にレオナルドは夫の味方だった。彼らは、幼いころから、唯一無二の親友であり、最大のライバルだった。
これは、今から少し過去の話。
大きな国を一つにまとめようとした、誇り高き国王の話。
レオナルド・ノバチェクは、剣術、魔術に秀でて、また、心優しき政治家として、国民に有望視されてその王座についた。長い黒髪の美しい頭髪や、その端正な容姿もその支援者が多い要因だった。
そして、ステファン・トレイシー。ミアの亡き夫であり、最大の親友。ステファンは屈強な体を持ち、数々の不可能と言われた戦況をその手腕で切り開いてきた、紛いもない戦士だった。そして、レオナルドの最大の右腕とされていた。
右腕、いや、実はそうではない。それは、群衆から見た見かけの問題。
なぜなら、レオナルドは自分よりもステファンの事を尊重していたのだ。
それはレオナルドが、父から王位を継承した自分よりも、ステファンの方が戦士としても、軍師としてまた、政治家としても優秀だと考えていたからだった。
しかし、逆にステファンは、国王という立場に思い上がることのないそんな彼の事を更に尊重していた。
二人でよく酒を酌み交わしたが、その時決まってステファンは言っていた。
「レオナルドよ。俺は、常に戦士として、お前の前に立つ。お前に刃が通らないように。それが、民衆を第一に考える優しきお前に対する俺の最大の賛辞だ。だから、もし、俺の身に何かあった時、どうか、どうかミアの事は頼んだぞ」
片肘を突き、その手を右頬の傷に当てて、その深く澄んだ緑色の瞳でしっかりとレオナルドを見据えているステファン。しかし、いつもレオナルドは笑って否定していた。ミアを守るのはお前しかいないと。
レオナルド国王は、早くに妃を亡くしていた。
ステイシー・ノバチェク。彼女は、ステファンの妹だった。
レオナルドとステファンとステイシーは幼いころからずっと一緒だった。
ステイシーは幼少期から体が弱く、あまり外に出ることは出来なかったが、退屈ではなかった。何故ならそれは、ステファンと遊びに行くために毎日のように家に来るレオナルドのおかげだった。
レオナルドが来るとき、家にこもりがちのステイシーに、必ずお土産を持って来た。
ある春の日は、道端に生え始めた小さな花だった。熟した果実の日もあった。そして、別の日は、冬眠から目覚めたカエルを拾ってきた。しかし、そんな時は屋敷の使用人達が大騒ぎするのだった。
それを見て、ベッドに入っているステイシーは、金色の美しいストレートを揺らし、小さい花びらのような可憐な口元を押えて笑う。
ステイシ―のそんな姿を見ると、レオナルドはとても嬉しかった。レオナルドは、よく塞ぎ込んでいたステイシーの笑顔を見ることが、いつしか楽しみになっていた。
だからこそ、二人の交際はとても自然な事だった。もちろんステファンは大賛成だった。
しかし、体が弱いステイシーを王妃に据える事は、多方面からの反対があった。
しかしレオナルドはそれを押し切り結婚した。
結局、ステイシーは重い病気にかかり、息子のバトラーを生んでまもなくして死んでしまった。
しかし、それが寿命だったのだ。レオナルドは彼女を大切にし、深く愛した。彼女の生涯は短かったが、レオナルドのおかげで、幸せだったと彼女は感じていた。
「あなた、もし私がいなくなっら、必ず、あなたの残りの人生をちゃんと生きて。バトラーの為にも早くいい人を見つけて、幸せになるのよ。必ず……約束」
ステイシーは、自分が寝ているベッドの傍らに座っているレオナルドの手を握る。
「ステイシー。頼むから、馬鹿なことは言わないでくれ。お前の病気は俺が必ず治す。だから、余計な心配はするんじゃない。大丈夫だ……俺が必ず……」
レオナルドは言葉に詰まり、塞ぎこむ。
ステイシーは幼いころから、自分の寿命が長くないと想像はしていた。きっと、レオナルドも、そしてステファンだってきっと分かっていた。
しかし、それでもレオナルドはステイシーを選び、結婚したのだ。だからこそ、ステイシーは、彼にこれ以上の苦労は掛けたくはなかったし、心から彼の幸せを願っていた。そして、同時に心配だった。彼は私を愛しすぎている。もし私が先に彼をなくしたら、必ずそうなってしまうように、彼も一生を私に捧げるつもりかもしれない、と。
だからこそ、自分にとらわれず、幸せになって欲しかった。
しかし、レオナルドはもう決めていたのだった。ステイシーと一緒になると決めた時、初めて出会った、七歳の時から、生涯この人を守ることを。
ステイシーが亡くなってから、レオナルドは多忙を極めた。
レオナルドもそれを望んでいるようだった。覚悟はしていたが、ステイシーが自分の人生からいなくなったこと、その悲しみを埋めるように仕事に没頭したのだ。
しかし、レオナルドは全く気付いていなかったのだ。それが、誰かの陰謀だったという事を。
次第に音を立てて崩れ始める。今まで何の前触れもなく、ただこなしていくだけの日々だったはず。しかし、もうすでに、そして、かなり前から、その不協和音は鳴り続けていたのだった。
多忙を極めるレオナルドの姿はまるで、自分の耳を自らの手で塞ぎ、その音を聞かないようにしていたかのようだった。
そして、気が付いた時にはすでに手の施しようがなかったのだ。
どんどんと、終焉は近づく。
そして、運命の日、それは唐突にやってきた。




