第43話 リピートタイム
――私の名前は? なんだったっけ? たしか、父がつけてくれたって言ってた――
そこは、淡いピンクの世界。まるで、綿あめに囲まれているような感覚。
フワフワして、体の制御がきかない。
いつもは、その綺麗な丸い形の頭に流れる様にまとまっている赤毛も、フワフワと浮き気味に揺れる。
「ここは……?」
アレクサンドラは辺りを見渡し、ただただ不思議でならない。
「私はどこにいたんだっけ? 全然思い出せない……」
フワフワする体に少し離れてきた。
落ち着いて思考を巡らすが、ここに来るまでの記憶が綺麗に抜け落ちていた。それどころか、わかるのは自分の名前と、年齢、それに両親の顔ぐらいのもので、他の記憶がない。しかし、生まれて十六年で培った、自分の人格はしっかりとあると言う、極めて不思議な感覚がする。
すると、頭の中に響く声。
「やっと目が覚めたみたいね。まあ、とりあえず歩いてこっちに来て」
アレクサンドラはきょろきょろと辺りを見回すが、その空間には自分以外いない。しかし自分の足は、進む方向が何故か分かる様子で、自然と前に進むのだった。
(やっぱりちょっと、歩きにくいな……)
しかし、フワフワして歩きにくい。
「そうよ。歩きなさい。もう大丈夫だから。歩きなさい、ゆっくりでいいから。私があなたの隣を一緒に歩いてあげるから。こっちよ」
アレクサンドラは、誰の声かは分からないが、何故だか心から安心していた。
しばらく歩くと、遠くの方に一つのとてつもなく大きな老木が見えてくる。
その木は両手を広げるように枝を伸ばし、それはそれは圧巻で、自分がまるで石ころのような存在に感じる。
目を凝らすとその根元には、誰かが座っているのが分かった。
(なんだかこの木は見たことがある気がする。あそこに座っている人は誰かしら)
どんどんと近づいていくと、それは一人の少女だった。
金色のフワフワの絹のような頭髪、小さな顔に細い手足、まるで人形の様にぱっちりとした目鼻立ち、座っている少女はエマだった。
エマは、黒い薄手のワンピースを着て、まるで、部屋にでもいるかのような服装だった。
「やっと来たわね。さあ、ここに座りなさい」
エマはそう言うと、自分の隣をパンパンと叩いた。
アレクサンドラは特に疑問も抱かず、その隣に静かに腰を下ろす。
二人は木の幹に寄りかかり並んで座った。
するとエマは何処からともなく一冊の分厚く、大きな本を取り出す。
「あの、あなたは一体?」
アレクサンドラが聞くと、
「まあ、これを見なさい。時間はたっぷりあるから、ゆっくりと見ようじゃない」
エマはそう言いながら、その分厚い本の一ページ目をゆっくりと開く。
引き寄せられるようにアレクサンドラもその本へ視線を落とすのだった。
一方、現実のエマは、アルファベットの基地【ビュートスター】と呼ばれる浮遊する城に来ていた。
かなり厳重な魔法防壁がかけられ、光を反射する魔法がかけられているようで、外からは見えず、そこには何もないように透明で透けている。
エマは当たり前のようにその中に侵入していた。
「うーん。まるで魔力を感じないわね」
ここにはアルファベットのメンバーの他には、ここで暮らしている使用人しかいない。その者達は一生をここで過ごすのだ。それは、情報の流出の危険性を少しでも少なくするためのものだった。
アルファベットの組員が出払っている今、残されている使用人たちはそのほとんどが魔力の低い者ばかりだった。
「うーん、でもなんかこっちの方が怪しいのよね~」
エマは、何かを感じたのか、そこに向かって歩き始めた。艶やかな頭髪がアンテナの様に立ち、行く方向をピコピコと指し示す。
「それにしても、広くて殺風景ね。花ぐらい置けばいいのに。いったい何人で使ってるのかしら。まさか、ここまで誰も居ない時に来る事になるとは。タイミングが良いのか悪いのか」
ぶつぶつと言いながら、白く細い足を踏み出し堂々と、赤いカーペットが敷かれた幅の広い階段を上っていく。
すると、降りる階段とさらに上る階段があった。エマは降りる階段を選ぶ。
更にどんどんと降りていく。
するとふとエマは立ち止まり、振り向いて降りてきた階段を見る。
「ずいぶん来たわね。もう底についてもおかしくないと思うんだけど」
すると明らかにおかしな程の装飾が施された白い扉に行きついた。
「ここで行き止まりか。この部屋ね」
黄金の金属で装飾された白い扉に手をかける。
エマが手をかけた瞬間、ピシィ! と甲高い弾けるような音と共に、その扉は溶けてなくなる。
「あっ、ごめん……」
予想外の出来事に誰に言うともなく謝るエマ。
部屋に足を踏み入れるとその中は、とても殺風景であった。
室内の全ての壁は灰色で、その中央には黒く四角い物質がクルクルと自転していた。
それ以外の物は一切ない。
「あの黒いの何かしら?」
エマのアンテナが物質に合わせる様にクルクルと回転する。
「何これ、不思議な反応」
すると急に部屋の中に響く声。
「ダシテ、クレテ、アリガト、ウ……」
「んっ? 誰?」
キョロキョロと辺りを見回すが誰もいない。
「ココ、ココニイル……」
その声と共に、エマの目の前に眩いばかりの緑色の光が集まり始める。
何とも言えない、低音と高温が混じったような音が鳴り響き、次第に光の塊はパズルが積み上がるかの様に人の形を作っていく。
「もの凄く緑ね。光の塊、なのかしら?」
エマの前に現れたのは、光の粒を集めて、人型を形成した様な物体だった。
「アナタ、ダレ?」
緑の物体は機械的な音を出し、そう尋ねてきた。
「私の名前は、エマ・ブリスティアン。あなたは?」
エマが微笑んでそう言うと、
「ナマエ、【バーチャルイメージ】」
「何その名前。誰かがつけたの?」
エマが眉をひそめてそう言うと、
「ワカラナイ。イマトナッテハ、ワタシハ、ダレナノカスラ、ワカラナイ」
エマなりに考えようとしたが、一切見当もつかないので諦めることにする。
「まあいっか」
両手を後ろ手に組んであっけらかんとして、そう言うのだった。
「それにしても、チカチカして見にくいわね。どうかならない? あと、しゃべり方も」
「ヒカリノクッセツヲ、リヨウスレバ、ミタメハドウニデモナル。シカシ、ゲンゴハ、ムズカシイ」
「じゃあ私が教えてあげる。頭かしてみ」
エマはそう言うと自分の頭と、バーチャルイメージの頭をくっつける。
「えーと、こんな感じかな? 【トランスクリプション】」
エマのおでこに青い光が纏い、その光がバーチャルイメージに伝わっていく。
「オオ、そうか……うん、分かった。こんな感じかな?」
エマの魔法により、バーチャルイメージは一瞬にして流暢に言葉を話すのだった。
「うん。上手い、上手い」
エマは、親指を立ててウインクする。表情は今一分からないが、緑の人も喜んでいる様だ。
「名前は、呼びにくいから、ジェイってどう? 私の好きな緑色の綺麗な宝石の名前からとったんだけど」
「おお、ジェイ。君がつけてくれるなら、喜んでその名を貰おう。ありがとう」
ジェイはそう言うと、体をさらに輝かせ、次第に薄透明な皮膚のように色が変わって行く。
そこに現れたのは、完璧な肉体をもち、彫りが深く、目鼻立ちがくっきりとした端正な顔立ち、頭髪はシルバーでくせ毛が特徴的なの一人の青年だった。
「エマ。これでどうかな?」
ジェイは、満面の笑みで両手を広げてそう言った。
「うん。いいわ。いいんだけど、すっぽんぽんでそう言われてもね」
エマは眉をひそめる。
「そんなことより、あんたなんか見たことあるわよ」
「それは、不思議だな。この姿は昔友人だった芸術家と会う時にしかなったことがないから」
ジェイは、不思議そうに首を傾げる。
「まさかとは思うけど、その芸術家の名前は?」
エマが聞くと、
「えーと、たしか、ミケランジェロ」
「ああ、ああ……なるほどね。あんた、ダビデ……それなら、名前はダビデの方がよかったかしら」
エマは、腕組みして首を傾げる。
「いや、僕はジェイ。もう気に入ってしまったから、ジェイでいいんだ」
「そう? じゃあ、ジェイで、よろしくジェイ。でも、ジェイはここで何してたの?」
「それが、良く分からないんだ。旅の途中だったんだが、急にここから出れなくなってしまって」
エマは、口を結び少し考えていたが、何か思いついたようで、
「そっか。多分この部屋の魔法防御のせいね。しかも、かなり特殊な加工が部屋全体に施されているわ。そのせいで、どこへも行けなかったのね。私がドアを壊しちゃったから。て言うか触ったら勝手に溶解したんだけど。良く分かんないわ。それより、この黒いのは何かしら?」
エマが、覗き込むようにクルクルと回る黒い物体に触ろうとする。
「だめだ!」
ジェイが急に叫ぶものだから、エマはびくっとして止まる。
「あっ、ごめん。それは、多分この城の魔力を制御しているんだと思う。だから、それを止めてしまうと……」
「そっか……うん。やめときましょう。トマに怒られそうだから。まあ、じゃあとりあえず行こっか!」
エマは、ニコッと笑って手を差し伸べた。
「あっ、ごめん。服、服」
そう言うと、エマは人差し指を立てて一回空中をノックした。すると、次の瞬間には、ジェイの体を緑色のローブが覆うのだった。
「おお、ありがとう、エマ。いい着心地だ」
ジェイは、両手を広げて、自分の姿を見回している。そして、とても楽しそうにに笑うのだった。
「そうだね。僕も膨大な時間に少し退屈していたし、君について行ったら何か面白い事がありそうだ」
こうして、ジェイとエマは一緒に行くことになった。
その頃アレクサンドラは、夢の世界でエマとアルバムを見ていた。
(なんだろう、この子。懐かしい匂いがする。良く晴れた草原のような匂い)
「ほら、見て。これがあなたが生まれた時よ。お父さんとお母さんもいるわ」
エマが、ページをめくると、裸のまま抱き上げられている赤ん坊がいた。記憶の中の父とはだいぶ年齢が若いが、確かに父だと分かった。しかし、母の記憶はない。
「お母さんは、あなたが幼いころに亡くなったから。初めて見るでしょうね」
エマが言うと、
「なんで、あなたが知っているの?」
アレクサンドラはエマの顔を見ながら静かに聞いた。
「それは、私はあなただからよ。そして、あなたは私。ほら、感じるでしょう。この心臓の脈動を。この小さな心の器が、私たちの原動力。そして、それが、あなたが私である理由。さあ、目を閉じて、自分の魔力を感じるのよ。きっとその答えが分かるはず。さて、まだまだ先は長いわ。あなたは今生まれたばかりなのだから」
エマはそう言うと、アルバムに目を戻し、ゆっくりと次のページをめくるのだった。




