第36話 アメジストティアーズ
アレクサンドラが目を開けると、太陽の光が飛び込んできた。
強い日差しは瞳に突き刺さるようで、今のアレクサンドラには強すぎて思わず顔をしかめる。
昨日は、気を失うように眠っていた。体の消耗が激しかったおかげで、久しぶりによく眠った。
しかし、まだ体は痛い。
少し右腕を動かしてみると、昨日よりなんとか動くようだった。
恐る恐る上半身を起こす。
もう既にディンガの姿はなかった。胸の辺りに、違和感を覚えて探ると、一枚の紙切れが衣服の間から出てきた。
――私の魔力を分けておくから、早く元気になるのよ。今後に事について今日の夜話しましょう。ティアナ――
その紙にはそう書いてあった。
「ディンガ、ティアナ……本当にありがとう」
アレクサンドラには、二人だけがなぜ自分に親身になってくれるのか、良く分からなかったが、魔力が目に見えるアレクサンドラにとって、他のアルファベット連中に比べ、明らかに優しい魔力を纏っている二人は、異質な存在だった。
「でも、私はもう……」
アレクサンドラは決めていた。もう終わらせようと。
正確には今朝起きた時そう思ったのだった。
自分の命を終わらせると決意した。
もうあんな苦痛は受けたくない。
あの苦痛をまた受けるのなら、もう生きていても意味がない。
自らの命を絶つハードルをその苦痛が越えてしまった。
アレクサンドラが受けている、褒美と称されるその体罰は、レオナルド国王の元で血のにじむような訓練を受けた、彼女の精神すらそうなってしまう程の惨い仕打ちだった。
若くして、優れた忍耐力を持っていた事も、アレクサンドラが二重スパイに選ばれた要因だったが、まさか彼女の心が折れているとは、誰も想像することは出来なかっただろう。
アレクサンドラは布団から出ると、石造りの床に足を下ろす。素足には冷たい感覚が伝わっているはずだが、今はもう気にならなかった。
ベッドに座ったまま目線を窓に移し、少し空を眺める。空はとても青く澄んでおり、いつもなら綺麗に感じるその空はとても冷たく見えた。
そして、虚ろな目線で静止したまま、その薄い桃色の唇だけをかすかに動かし呟く。
「さようなら」
その言葉は、ディンガとティアナに向けたものだった。
アレクサンドラは、震える足に力を込めて頼りなく立ち上がり、左足を引きずりながら、かろうじてその部屋を出ていくのだった。
「んっ! ピピッと来た!」
ベッドに寝転んで本を読んでいたエマが、急に言い放つ。金色の頭髪がアンテナの様に立っている。
「なんだよ……嫌な予感しかしないよ。それに髪の毛……」
椅子に座り、優雅に紅茶を飲み、愛読書を読んでいたトマが、その言葉に警戒する。
「これは、我が敬愛する、しげーさんのゲゲゲ……まあそれは良いとして、今日の夜、会議よね?」
「ああ。そうだよ。ミアさんの城に皆集まって、会議するって昨日言っただろ?」
「その会議ってアレクサンドラは来るのかしら?」
エマが聞くとトマが少し考えて、
「うーん。どうだろう。アレクサンドラの名前は出なかったな。やはり危険な組織にいるのだから、そう簡単には連絡を取ることは出来ないだろう」
「なんかマジピンチな気がする」
「えっ、もしかしてアレクサンドラの事?」
トマが聞くと、エマは首を傾げながら言う。
「たぶん……」
「うーん、それはまずいね。今、迂闊に動くとこれからの作戦が台無しになる可能性が高い」
「えーと」
エマはそう言うと目を閉じる。
「いたわ。なんだかかなり弱い生命反応よ。これは早くしないと。ちょっと行ってくる」
「大丈夫?」
トマが聞と、
「んー、なんか誰もいそうにない街の外れみたいだから大丈夫かも」
エマは、そう言いながら瞑想のポーズをとると、パッと消えてしまった。
「なんか面白い格好で飛んだな。まあいっか……」
そういうとトマは飲みかけの紅茶を手に取り、再び本をに目を落とすのだった。
その隣にあるベッドでは、ルナが心地よさそうにすやすやと寝むっているのだった。
ここは、リストンの郊外にある、とある森の上空。
「あれ~、確かこの辺りだと思ったんだけど、生命反応が途切れて分からなくなっちゃった」
エマはその上空に浮き、右手を目の上に当て辺りを見渡すが、森が深くてよく見えない。
「あっ、いたいた!」
エマは、どうやら何かを見つけたらしく、そう言うと、スーと森の中に降りていく。
苔と蔦に覆われた、一つの巨大な老木の根本に、アレクサンドラは横たわっていた。
「あちゃー、あれ、完全に死んでるわね」
エマはその大木に近づいていく。
それにしてもその木は凄まじい大きさで、その直径はエマが手を広げたとして、優に十人以上は必要そうだ。高さもさることながら大きく広がった枝には、沢山の鮮やかな青色の葉が茂っていた。
「んっ?」
すると、不意に森の奥の方から視線を感じた。しかし、気のせいだったのかすぐに気配は消える。
「まあ、いっか」
そして、アレクサンドラの所まで来るとしゃがんで優しくその顔を起こす。
首の根本がぱっくりと切れている。おそらく死因はこれだろう。
「流石ね。自分の記憶を全て消去してるわ。それより、こんな死に方をするなんてよほど追い込まれてたのね」
よく見ると、体中に傷があることがわかる。
エマの服にアレクサンドラの血液が染み込み、体中血まみれになるが気にも留めずにその冷たくなった体を抱きしめた。
「この傷は……あなた、【マジッククリスタル】製造に使われたわね。なるほどね。まあ、大体奴らの狙いは分かった。この血のせいね」
すると、後ろの茂みから気配がする。
「こ、これは?」
そこから出てきたのはディンガとティアナだった。
「彼女の魔力が消えたから、おかしいと思ったのよ。」
エマはひとまずアレクサンドラをその場に置き、振り向き立ち上がる。
「そっか、この魔力の印は、あなたがつけたのね」
エマは、アレクサンドラに追跡用の印がついていたことを指摘する。
しかしそれに対する返事は帰ってこず、ディンガとティアナからは怒りの意思が伝わってくる。
「あー、こりゃ、完全に勘違いされちゃったかな。えーと、一様断っておくけど、これ私じゃないんだけど」
しかし、アレクサンドラが自害に使ったナイフを拾い右手に持ったままだった為、もう遅いようだった。
「このような決定的な場面、言い逃れは出来まい。問答無用。マジックゲートオープン」
ディンガの魔力が上昇していくのが分かる。
「まあ、いっか。この人たちなんか知ってそうだし」
ディンガは緑色の少し細身な剣を取り出し、野生じみた力強い足取りを見せ、もの凄い速さで向かってくる。
「アレクサンドラを倒すほどの者、容赦はしない。【魔刀一刀滅刀剣 第九句 花】」
ディンガがそう叫ぶと、辺りの時間がゆっくりと流れ始める。
それと共に地面には、無数の小さな白い花が咲き始め、パッと開くとそのままその花びらは、まるで重力に逆らうように茎から離れ、上にゆっくりと舞い上がっていくのだった。
周りの世界のゆっくりとなるが、ディンガの速さには一切の影響がいない。
その鋭い太刀筋は、そのスピードに加え、摩擦により生じた熱を帯び、エマに襲い掛かる。
その太刀が、エマの頭をとらえあと数センチに迫った瞬間だった。
「あんた、事情も聴かずにこんな可憐な少女に、なんて鋭い太刀筋をお見舞いするのよ」
エマは顔色一つ変えずに、ディンガに目線を映し、その刀を何の躊躇もなく、小さく可憐な手で受け止める。
「なぜ動ける!」
ディンガの叫び声とともに、大きな打撃音とエマを中心に衝撃波が起こる。
その威力を受け止めで、エマの足が地面に沈む。
その瞬間、ディンガの魔法が解け、時間は正常に戻る。
ディンガは自分の予測の範囲を超越したその事態に、自分の思考が追い付いて行かない。
そして、エマに掴まれている剣をどうにか引き抜こうとするが、全く動かないのだった。




