第35話 レインハートⅱ
レオナルドベアの一声でその場は一様の収まりを見せ、一旦エマ達は宿に戻ることにした。
レオナルドベアは、今まで通りミアの城で匿ってもらい、準備を整えてから、リトマス連合国の奪還計画を練ることにしたのだった。
「ふう。色々あって疲れたわ」
エマは、ダンダの酒場の前で肩を落とす。
「大丈夫、エマ姉」
ルナが心配して両手で背中をさする。
「自業自得だよ。大体、エマが勝手にぬいぐるみに移すからだろ」
トマが呆れたように言い放つ。
「だってしょうがないじゃない。ああした方が良かったでしょ?」
「僕は、他にもやりようがあったんじゃないかと言っています。エマがぬいぐるみにしたかっただけじゃん」
エマは酒場の扉に手をかける。
「ばれてたっ! でもいいじゃーん、脳みそより――」
エマが後ろにいるトマにそう言い放ちながらドアを開けた瞬間だった。
大音量で鳴り響くファンファーレ。
「おっめでとうございまーす。あなたは一万人目の――」
エマはびくっとなる。
「……ああ、そうだった……こいつがいるんだった」
青い妖精は満面の笑みで言い終わると、やはり無表情でその場に浮き固まる。
エマは、面倒そうに機械の妖精に手を当てる。
「ほら、あなた。こんなとこに居なくてもいいから、もう好きなとこに行きなさい」
エマがそう言うと、
「あ、あれ。ここはどこ?」
先程まで無表情だった、青色の服を着た女性の妖精が、辺りを見渡しながらしゃべり始める。
ため息まじりにトマが口を開く。
「もう、また勝手なことして。えーと、妖精さん、自分の事は分かりますか?」
「は、はい。私は製造番号一万六百三十八。デパート案内用ピクシーロボットです。しかし、何故このような思考能力が……」
「それは、あなたを【ラビングメタル】だっけ、それに変えたからよ」
トマは更にため息をつく。エマはきっと街を観光して回った時に、ラビングメタルの特性を解読したのだ。
「まあ、こうなっては仕方がないので、諸事情は僕から話しましょう」
トマは、壊れたあなたが廃棄されなかったのは、ここの主のおかげだと話す。
すると、両手をほっぺたに当てて、驚いた顔でこう言った。
「そ、それは、ここの店主様には感謝のしようがありません。どうせ行くところもないですし、お礼も兼ねてここで働かせていただけるように頼んできます。エマさん、素敵な贈り物をありがとうございました!」
そして、製造番号一万六百三十八はピュンピュンと飛び回りながら喜びを表し、奥の方へ飛んで行ってしまった。
「あー良かった。これでもう驚かされることもないわ」
「もう言っても聞かないだろうけど、勝手な事しないで」
「はい、すいませーん」
エマは規則正しい動きで敬礼する。明らかにふざけた様子で、腰を九十度に曲げて、変顔を作りその顔面はしっかりと前を向いている。
(こいつはやっぱりだめだった)
トマはもう諦めることにする。
そのまま三人は部屋の前までたどり着き、エマが部屋のドアに手をかけたその時だった。
「うわっ!」
一瞬の静寂を破る驚嘆の声。
素敵な出会いをしたダンダの声が、酒場中に響き渡るのだった。
一方その頃、アレクサンドラは体の痛みと共に目を開けた。
「う、ぐっ」
少し右腕を動かしてみたが、激痛で上がらない。体中に強い痛みが走り、上手く動けない。
目だけ動かし、視線を巡らせると、足元では椅子に座ったディンガが、ベッドの端っこに突っ伏して寝ていた。
「……いつもありがとうディンガ」
その姿を見たアレクサンドラはそう呟く。
そしてアレクサンドラは、青紫色の大きな瞳を動かして窓に目をやる。外はすっかり夜になっていた。窓の外の闇がアレクサンドラの瞳に移り、その色は深く暗く染まっていく。
長いまつ毛が少し震えて、そのアメジストのような瞳からは涙が溢れる。
次々に溢れ出る涙は、白く美しい肌を伝い、綺麗に筋の通った少し低い鼻を滑り落ち、そして枕にしみ込んでいく。
不意に恐怖の記憶が蘇ってくる。あの苦痛。不意に体が拒否反応を起こす。
アレクサンドラは、唇を強く噛んで、体が震えるのを我慢する。
すると次第に、滲み出た血液が一筋の赤い線となり、顎に伝っていく。
アレクサンドラの心はもう限界だった。
幼くしてレオナルド国王に拾われた彼女は、その元で天才的なセンスを発揮し、魔力、格闘術、特殊スキル、その全てを高い水準でクリアした。
比べる指標はないが、アルファベットの中でも上位に匹敵するほどの力を持っている。
しかし、理由は分からないが、上層部の的になってしまった。また、若干十六歳という年齢や、容姿端麗な事を良く思わない輩もいたのだ。
二重スパイという重圧に加え、上層部による執拗な体罰。今までは、レオナルド国王に対する恩返しのつもりでやってきたが、いつしかその精神はすり減り、今や、その命すら削っている様な感覚だった。
子供のころ、幼くして死に別れた優しかった父の事だけを心の支えにしてきたが、今ほど誰かに寄り添ってもらいたい時はなかった。
もう、自分には誰も居ないのかもしれない。希望だった父の記憶も、恐怖と絶望に上塗りされ、生きていることが苦痛でしかない。アルファベットに入隊したこの一年は、アレクサンドラの心に雨しか降った事がなかった。そして、ここ最近では眠ることもままならないほどの不安が押し寄せて来る。
「お父さん。なぜ私を置いて逝かれたのですか。私はもう、生きて行くことに希望が持てないかもしれない」
アレクサンドラはそう呟くと、ドクドクと体中を駆け巡る痛みと共に、意識を失うように眼を閉じるのだった。




