第19話 バックライト
あまりの激痛に唸り、うずくまるノラ。
しかし、その空間に場違いな軽い声が響く。
「あ、ご、ごめん。止めようと思って左手引っ張っちゃった」
エマは頭を掻きながら、申し訳なさそうに謝る。
それはエマがノラの左手を持った事によって起こった。
音を超える速度で移動していたノラの左手をエマが掴んだものだから、その全ての負担がノラの左手一本にかかったのだ。
「う、うう、い、いつの間に……」
「いつの間にって、結構時間あったじゃん」
エマはキョトンとして首を傾げる。
(な、なんなんだ、こいつは! こ、こいつはやばい。結構時間があっただと。あるわけがない。私は音速で移動していたのだ。しかももう目の前に頭をとらえていた。その瞬間に後ろに回り込み左手を掴まれた。や、やばい、やばいぃ)
ノラはブルブルと震えながら、横にいるエマに目を向ける。
もはや、エマが同じ種類の人間だとは思えない。そのシルエットが感情とともに恐ろしく、膨れ上がっていく。
今まで感じたことのない恐怖心が、少しずつ自らの心を侵食してくる。恐ろしい。怖い。しかし、もうすでに手遅れだった。
「く、くそぉぉ!」
自らの恐怖を切り裂くように、渾身の力を振り絞り右手でナイフを振るう。
しかし、エマは人差し指の腹の部分で、その刃の先端を止めた。そしてその瞬間、ノラの戦意は完全に消滅したのだった。
全身の力が抜け、乾いた音と共にナイフが床に転がる。
「さて、償いの時間ね。今から永遠と流れる時間の中でその罪を悔いるといいわ」
そう言うとエマは優しく、ノラの額に手を置く。
「あなたも、もっと別の命を受けることが出来れば違う人生だっただろうに」
ノラには、エマの言葉が何故だか心の奥にまで響き渡るように感じた。
「さて始めましょうか。あなたのこの世での人生はここで終わりだけど、【マハートマー】の旅はこれからも続く。その旅の中で想像し刮目しなさい。そしてこの人生がいかに無駄だったのか、それを悔やみなさい。汚れのないマハートマーを奪うことはとても大きな罪――」
エマの手から、どんどんと溢れてくるオレンジ色の光。
「あなたの旅は今ここで終わり、そしてさらにまた始まる。いままで影だと思っていたものが光になり世界は反転する。それはあたかも、温かい太陽が背中から差し、あなたのシルエットを浮かび上がらせるように。さあ! 出発の時間よ! 【バックライト】」
エマがそう唱えると、パッとその場が照らされ光で真っ白になり、ノラは黒いシルエットに変わる。
ああ、これで自分は終わりなんだ、とノラは目を閉じ最後を悟るのだった。
ノラは不思議な感覚だった。なんだか夢でも見ているようだった。
体中に、暖かい感覚を覚えて、ゆっくりと目を開ける。
そこは草原だった。
(おかしい、私はエマという少女に殺されたはず)
ノラは不思議に思った。
さらに不思議なのは体が小さくなっている事。白いワンピースを着ているその体は幼いころの記憶にある自分そのものだった。
(ここはどこだろう?)
辺りを見回す、よく見るとそこは見覚えのある草原。この草原は小さい頃よく遊んでいた場所。父とよく来ていた場所だ。
そして、ここは初めて友達が出来た場所。
赤毛でそばかすがあったあの子。名前はリリス。ほら、この廃屋でよく遊んでた。いつも一緒に。
草原にはポピーが沢山咲いていた。リリスはその花が大好きでいつも手に持っていた。
あの青いポピー。
父とここへ来る理由は、私に家業を継がせるため。その練習をする。大体一日中その練習をする。でも休憩時間は自由にしていいって。だから私はリリスといつも遊んでいた。
そして、私の六歳の誕生日。その日は私の初任務だった。
私は見事にその任務をこなした。特にどうということもなく、ただ淡々と。
その使命は、一人の人間を殺すこと。
とても仲の良かった、最大の友達を。
私は、その廃屋でリリスを殺した。
リリスが倒れると、沢山の青いポピーが床に散らばった。
思えば、その時私の人生の末路は決まっていたのかもしれない。最初の友達で最愛のリリスをこの手にかけた時。
いや、もう生まれる前から決まっていたんだ。
私が私である限り、ノラ・ノスタークである限り。
今私は何故かあの日にいる。あの日の草原に。そう、忘れもしない。この廃屋の扉を開けると、リリスが手にいっぱいのポピーを持って笑って立っている。そして、そのリリスを私が……。
ノラは扉に手を掛け、ゆっくりと開ける。いや、行きたくない……。
しかし、そこにいたのはリリスではなかった。
それは、他の何かだ。
黒い靄に包まれてその全貌はつかめない、顔もない。
そしてその漆黒の闇が、ノラをズブズブと飲み込んでいく。それと同時に、あの日リリスが味わった苦しみや痛みが、一瞬でその魂に刻み込まれた。
それは言い表すことのできないほど濃密な苦痛だった。ノラを形作っている無数の精神の糸、その一本が、鈍くざらざらとした嫌な感覚でブツリと切れた。
そして深い闇に包まれる。
ノラが次に目を開けると、そこは見覚えのある街だった。そこは、二回目の任務の地。悪徳政治家の邪魔だった善良な若き政治家を殺した。
ああ、そうか。これは、私の人生だ。
その罪をすべて繰り返して、今度は私が受けるのか。
ノラは、漆黒の闇の底へと、ゆっくりと落ちていく。
そして、暗く寒いこの場所を魂の底から恐怖するのだった。
エマの手がノラの額から離れると、ノラの肉体は真っ黒い消し炭の様になりボロボロと崩れ落ちていく。
「さて、終わったわねって、こいつがまだだった」
エマは、停止したまま微動だにしないデボスを見て、一気に顔を曇らせる。
「ちょっと、トマ! 寝てないで、こいつどうかしてよ!」
エマは、なんとかトマのせいにしようと必死だ。
「え、ああ、おはよう。終わった?」
「もうっ。ぜっんぜん興味ないじゃん。それより、こいつどうかしてって」
エマは腰に手を当て、デボスを指さす。
トマは、しょぼしょぼの目を擦り、だるそうに椅子から立ち上がながら、
「もう、しょうがないなぁ。でもどうしよう。あっ! そうだ、アンダーワールドに送ることにしよう」
トマは考えるような素振りから、ポンッと手を打ち、棒読みでそう言った。
「次元魔法【テレポーテーション】」
そして、指を差してそう唱えると、デボスはその場からパッと消えるのだった。
「あんたね。面倒だからって適当に済ますんじゃないわよ。」
エマが自分の事を棚に上げ、眉間にしわを寄せる。
「まあまあ、いいじゃない。エマの魔法でもう尺がいっぱいだよ。それよりお客様みたいだよ」
トマがそう言うと、物陰でゴトッと言う音がした。
そこを見ると、部屋を形成している石積みの石が、一つ落ちて転がっている。
しばらくすると、その石はゴトゴトと揺れ出す。
次から次へと起こる出来事に、トマは少し面倒になっていた。なぜなら、エマの目がキラキラと輝いているからだ。
トマは、自宅にこもり好きな本を読んで暮らす、という夢をいつ果たせるのかと考える。
そして思うのだった、エマの好奇心に付き合っていたら一生無理かもしれない、と。
その牢獄は主を失いようやく静けさを取り戻そうとしていた。
ノラは黒い消し炭となり崩れ、今は細かな灰としてその場に積もっている。
窓から指す月明かりがその灰を照らし、きらきらと輝く。
そして、その灰の頂点には、一凛の青色のポピーが色鮮やかに咲いているのだった。




