第18話 シグニチャーフレーズ
そこは、石造りの牢獄のような作りで、鉄格子が幾つも続いていた。
薄暗く、生々しい匂いが漂い、窓は小さなものが数か所、手も届かない場所に設けられているだけだ。
何人もの人間が椅子に縛り付けられ、もはや喋る事も出来ないほどに精神が崩壊している。その悲惨な状況からノラとデボスの悪行がうかがい知れた。
(な、何? この子供、今何をした? じ、じげん……? ま、魔法なのか? 肉体を拘束する魔法? それにしても、いつマジックゲートを出したんだ……)
ノラは目の前の状況が掴めない。
「まあいい。体を拘束する程度の魔法なら私の【マジックリリース】で解除できる。|マジックゲートオープン《魔法門開放》」
ノラの前に赤く光る文字が現れ、操作すると、橙色の魔法陣が浮かび上がる。
「第三門陣階位魔法【マジックリリース】」
デボスを指さしノラがそう叫ぶと、魔法陣が勢いよくデボスに向かっていく。
しかし、それがデボスに当たった瞬間、ガラスが砕け散るような音と共に、魔法陣の方がばらばらに砕けてしまった。
「えっ、何、いったい何が……」
予想外の事態にノラの指さした手が震える。
「ちょっと何やってんのよ、無駄な魔力使うんじゃないわよ。今度は私の番なんだから、ほら早くかかってきなさいよ。さあさあ、私を楽しませて」
エマは手を腰に当て、人差し指をくるくると回す。
「エマ、それ完全に悪役のセリフだよ」
「そう?」
エマは指を顎に当て、じゃあ何が良かったかしら、あーでもないこーでもないと、一人でぶつぶつ言っている。
「ふ、ふざけんな……ふざけんなぁー! なめ腐りやがって、こうなったら本気で相手してやるよ」
ノラは、不可解な疑問を拭えぬまま進んでいく状況に、自分でも理解できないほど焦りを感じている。
「我がノスターク家に伝わる暗殺術。冥途の土産に拝ませてあげる」
ノラは斧を捨て、懐からの艶めかしく光るナイフを二本とりだす。それは小型のスティレットだが特殊な形状で、全体は細く先は鋭利だが刃の部分はのこぎりの様にギザギザに加工されている。
「今から、このナイフでお前のすべての関節を千回抜き刺す。その瞬間に封印術を施すから、どんな奴だろうと再起不能だ。私のスピードについて来れるなんて思うなよ。身体能力を強化した私はこの世の誰より早い。いくぞ、【千手抜刀殺人剣】」
ノラがそう言うと、マジックゲートが現れ、ノラの体を黄色い光が包む。
「第五門陣階位魔法【|フィジカルアビリティオーバーリミット《身体能力限界突破》】! ぎゃははは! もう取り返しはつかないよ! この魔法で私の動きは音を超える!」
ノラは発狂したかのように体を揺さぶり、喜びに打ち震える。
「さあ! 死へのカウントを数えな! 一手一陣初の太刀」
ノラはそう言うと、低い体勢からとてつもないスピードで動き始める、それはもはや発射されたというべき速度であった。
エマの周りには、黄色い閃光となったノラの残す光の筋が、無数に現れる。
そして、地に響く薄い無数のガラス玉をたたき割るような、脳裏に刺さる甲高い連続する異音ともにエマの体はぶれる。
「ひゃはぁ! 五百の太刀ぃ! あと半分だ、でもまだまだこれからだよ。ひゃああはははっは!」
ノラの移動速度が速すぎて、周りの時間は止まったかのように見える。
そして、光の筋はどんどんと大きくなり、やがて大きな黄色い繭となるのだった。
千回刺し抜く、それはとてつもない数だが一瞬で終わった。
気付くとノラは始まりと同じ位置に戻り、今度は逆に背中を向け、低い体勢のまま最後の一振りの余韻を感じる形でしゃがみこんでいた。
その手にある刃物には赤く滴る血がポタポタと零れ落ちている。
「千手千陣千の太刀……終わった。さあ、次はお前の番だ」
ノラはそう言いながら振り向くと、刃についた血を払いながらトマを見る。
その横にはボロボロになって変わり果てたエマの姿があり、そのままドサリと音を立てて崩れ落ちる。
しかしトマの反応は、ノラが予想していたものとは全く違った。
トマは欠伸をし、さっきまで自分が縛られていた椅子に腰かけ、手を後ろ頭で組んで、静かに目を閉じる。
「なんだあ、貴様! この状況が分からないの――」
「えっと、終わったかしら」
不意に響く予想外の声に目線を走らせる。
すると、そこにはノラが攻撃を加える前と何一つ変わっていないエマが立っていた。
「なっ……」
ノラはもはや理解が追い付かない。明らかに手応えはあった。暗殺稼業として、これまで何千人もの殺しを請け負い、殺し屋として百戦錬磨であるノラがその手ごたえを間違えるはずはなかった。
(特殊魔法か? 完全な肉体の分身を作れるのか。ば、ばかな、そんな魔法は聞いたことがない!)
ノラは今初めて感じている。目の前に立っているこの子供はただの子供ではない。
「お、お前……何者……?」
不意に口を付いて出たのは、掠れたような震えた声だった。
「おーおー、よくぞ聞いてくれた」
エマは拳を握った両手を腰に当てて胸を張る。
「いっくわよ! わぁが魔法の道は茨の道。故に咲くっ――」
エマは片足で地面を打ち鳴らす。空間に響く空気を切るような重い音。
「我が足跡には綺麗な薔薇が。大慈大悲の心を持って勧善懲悪! 天下無敵の大魔導士エマ・ブリスティアンとは私の事だぁー! エッヘン」
あまりの出来事にノラは、開いた口が塞がらない。
(だ、だめだ! 相手のペースに飲まれては!)
ノラは考えていた。今はただ全力で立ち向かわないといけない、そうしないとこの得体のしれない子供に隙を作ってしまう。真の実力が分らない相手と対峙する時、その隙は自らの命を削ることになるからだ。
そして、ノラはすぐに動いた。
それは音速を超え、先ほどよりさらに早い速度だった。そしてその軌道は、エマに向かって一直線に放たれる。
ノラが右手で持ったナイフはエマの頭を正確にとらえ、今まさに刃先とエマの頭とは十センチにまで迫っていた。
しかしそれは、一瞬の出来事だった。
ノラの爆発的な脚力により生まれた慣性は、必然的にエマの頭を貫いただろう。しかし、地球の法則を無視しノラの体はその場で完全に停止する。
その場から、一ミリも、いや、一ミクロンも前に出ることは出来なかった。それどころか引き戻される感覚。
「ぎゃああ!」
ノラは、凄まじい声で叫びながら、左手を押さえその場にうずくまる。左手はゴムの様にグニャグニャになっていた。




