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幼馴染に告白する前に幼馴染が結婚してしまったので告白するために過去に戻りました

作者: 藤和希




隆文(たかふみ)さん。あなたは莉穂さんを妻とし、健やかなるときも、病めるときも、喜びのときも、悲しみのときも、富めるときも、貧しいときも、妻を愛し、敬い、慰め合い、ともに助け合い、その命ある限り真心を尽くすことを誓いますか?」


「はい。誓います」


莉穂(りほ)さん。あなたは隆文さんを夫とし、健やかなるときも、病めるときも、喜びのときも、悲しみのときも、富めるときも、貧しいときも、妻を愛し、敬い、慰め合い、ともに助け合い、その命ある限り真心を尽くすことを誓いますか?」


「はい。誓います」


 牧師の言葉に新郎新婦は頷き応える。

 互いの顔は豪奢なシャンデリアによって輝きを放ち、より一層美しさに拍車をかけていた。

 周りは色鮮やかな花に囲まれ、大勢の友人知人、家族親族がふたりの門出を見守っている。

 牧師の後ろは一面に広がる淡い海が見える。

 太陽が燦燦と照り注ぎ、自然な演出がふたりを祝福しているかのようだった。

 華やかな世界。

 美しいひと時。

 一生に一度の思い出。

 感動の渦に包まれ、幸せが多くの人に伝播し、涙が込み上げてくる。


 指輪の交換。


 そして誓いの口づけ――



 結婚式はつつがなく進み、多くの拍手で見送られる新郎新婦。

「綺麗だよ」「可愛い」「幸せ者」「おめでとう」

 だれもがふたりの幸せを願って声を掛ける中、

 ただひとり。

 新婦莉穂の幼馴染であるひとりの男――粟島(あわしま)律希(りつき)だけは。

 上辺だけの祝杯をあげ、作ったような笑みを浮かべ、この場に最も相応しく感情を抱きながら出席していた。





「律希」


 会場は移り、自由に歓談や食事をする時間となっていた。

 高校時代の友人らと思い出話をしていると自分の名前が呼ばれた気がして周囲を見渡す。するとグラスを片手に背の高い男が俺を見て手を振って近づいてきた。


「おお、(ひろ)か」


 だらしなく着るスーツ。

 毛先を遊ばせた目立つ金髪。

 見るからに軽薄そうな男は学生の頃からちっとも変っていないからすぐだれかわかった。


「なんだ。こっち戻っていたのか?」

「まさか。今日は余興でお呼ばれしたから東京からはるばるやってきたんだよ」

「え、……紘、歌うのか?」

「おい、次に来るアーティストとして巷で有名な男を知らないのか?」

「知らん」


 自信満々に白い歯を見せる男はsound rulerというバンドのボーカルをやっている橋向紘だ。彼は学生時代からメジャーデビューを目指して音楽活動をしており、いまもその夢をあきらめずに東京で活動している。

 ぶっちゃけお世辞抜きに素人目から見ても彼の歌は上手だ。

 歌声だけなら素晴らしいものを持っている。その証拠に彼が一度SNSでカラオケで歌った様子を撮った動画が何万回再生も行ったことがあった。いわゆるバズるというやつだ。

 しかしそれ以上なにかが起こることはなかった。

 たぶん彼の作詞作曲する歌が原因だと思われるが。


「莉穂ちゃんに頼まれたらどれだけ忙しくたって駆けつけるさ」

「莉穂のやつ、紘の歌好きだったな」


 高校の学園祭で紘がステージで歌った際に莉穂は彼の作った曲が好きだと言っていた。

 曲名は確か『キスは付き合う前に』で、強引な男の歌だったような気がする。

 学園祭の雰囲気で誤魔化されていたけれど、まあまあひどい自分勝手な男をモチーフにした歌だったはず。


「今日は変な歌詞の歌じゃないだろうな?」

「ちゃんとふたりを祝したやつだよ」

「本当か?」

「『浮気は男の性』っていう今日のために書き下ろした最高の――もががっ」

「いまから定番の結婚ソングに変えろ」


 曲名を聞いた瞬間俺は自分の皿に取っていたチキンを紘の口に突っ込んだ。

 不謹慎にもほどがある曲名だった。

 前述したとおり、こいつは歌が上手だ。下手なら笑いの方向に行きそうなのだが、逆に上手過ぎて歌詞も耳に入って妙に生々しくて変な空気になるに決まっている。


「――ごくん、美味いなこれ」

「美味いじゃなくて、そういうのを求めて莉穂も呼んだわけじゃねえだろ」

「そうかな?」

「そうだろ。だれが結婚式でそんな場違いな歌を聞きたいんだよ」

「律希とか?」


 ぺろりとチキンを綺麗に食べた紘は「もう一個もらうね」と言ってさらにチキンを奪う。


「……は?」


 そのことに注意することも忘れ、俺は呆けたように口を開いたまま動けずにいた。

 それを見て紘はおかしそうに笑う。


「違うのか?」

「違うっつーか、意味がわからん。なんで俺が別れることを願ってんだよ」

「だって律希……莉穂ちゃんのこと好きだっただろう?」

「いや、好きとか……ただの幼馴染なだけだよ」

「そうか? でも俺はふたりはお似合いだと思ってたけどな。ほらよく夫婦漫才してたし」

「それは紘が勝手にそう言ってただけだ」

「でもあれは傍から見てたらそう見えるって」


 当時の様子を思い出しているのか、紘はクスクスと小さく笑う。


「まあけど、あれから何年も経っているからさすがに違うか」

「当たり前だろ。てかそれ以前の問題だからな」

「ふーん。でも俺はあんなよくわからんやつより律希のほうがいいけどなあ」


 などと喋っているうちにチキンをぺろりと食べ終えた紘はまたしても俺の皿から食べ物をもらおうと吟味していたので俺は「やるよ」と言って皿ごと彼に渡して外の空気を吸うために会場をあとにした。





 高校生の頃、俺は莉穂のことが好きだった。

 いや気づいていないだけで小学校、中学校の頃から好きだったのだろう。

 過去形で語り出したけれど、いまもまだ好きなままだ。

 しかし高校を卒業し、俺は関東に彼女は地元に残ると疎遠となった。

 そして就職とともに戻ってくると彼女に久しぶりに会い、結婚する旨を聞いた。

 やっと莉穂と話せたと思ったのに。

 またいままでみたいに家族ぐるみで付き合えると思ったのに。

 そしたら今度はちゃんと想いを告げようと思っていたのに。


「結婚式もサボるつもり?」


 懐かしい声が耳朶を叩く。

 ベンチに腰掛けていた俺が顔を上げるとそこには莉穂がいた。


 濁りのない暗夜の星のように美しい瞳。

 整えられた眉に綺麗な鼻梁の線。

 小さな赤い唇は白い肌に咲く一輪の花のよう。

 彼女を包むウエディングドレスは真っ白で、彼女を表すように純粋な色をしていた。

 スレンダーな彼女に合うそれは、高校生の頃とは違った彼女の魅力を引き出していた。


 改めて思う。

 本当に莉穂は綺麗だ、と。


「なに見惚れてんの?」

「み、見惚れてねえし。馬子にも衣裳だなって思っただけだ」

「うわひどっ。素直に褒められないの?」

「綺麗だな。ドレス」

「はいはい。聞いた私が馬鹿でした」


 屈託なく笑う莉穂。

 それは高校の頃から変わっていない常の彼女だった。


「主役が会場抜け出すなよ」

「だれかさんがいないから」

「授業はサボるがイベントごとはサボったことないだろ」

「そうだったね」


 立ち上がって莉穂のところまで歩く。


「なにか用か?」


 問うと莉穂は一歩前に出た。


「あれよあれ。ほら友人代表スピーチ。お願いねって言いに来たの」

「それだけか。大丈夫、忘れてないから」

「ほんとに?」

「あのなあ、いくら俺だからってスピーチが嫌でバックレるかよ」

「あはは、そうだよね」


 莉穂もわかっているだろうがなにか会話をと思って言ったのだろう。

 子供の頃から気を遣うような関係ではなかったのに。

 どうしてこんなふうになってしまったのだろうか。


「そういえば紘に余興頼んだって?」

「あ、そうそう。結婚式は絶対紘くんに歌ってもらいたくって」

「物好きだなあ。確かに上手いけど……学園祭の時だって大概の女子からブーイングだったぞ」

「それでも好きな人もいたじゃん。私とか」

「あれって結局やたらめったら女子にキスして何股もする男のラブソングとかじゃなかったか?」

「言い方! それはまあ捉え方によってはそうなんだけどさ……」


 紘を擁護する莉穂に疑問を投げかけると、彼女は数秒間を置いてから言う。


「言葉じゃあ恥ずかしくて伝えられないことも、そういうふうに気持ちを伝える強引で口下手な感じがなんかすごくいいなっていうか……」


 恥ずかしそうに言う莉穂を見て、こっちも恥ずかしくなってきて目を逸らす。


 気まずい空気が流れる。

 そよ風が吹き、莉穂は乱れる髪の毛を耳にかけた。

 その時、彼女の左手薬指に光る指輪が目に映り、唇を噛んだ。


「私、律希のこと好きだったんだ」


 唐突に告白される。

 なにを言われたのか一瞬理解できなかった。

 脳に酸素がいくまで数秒、数十秒とかかったように思える。


「今更なに言ってんだって思ったでしょ。でも本当だよ。ずっと。それこそ幼稚園児からの付き合いだけど、恋愛みたいなのがわかってきたのが中学生あたりからかな? だからその頃からずっと。うん、ずっと……律希のことが好きだった」


 秘めていた想いの告白なのになんてことのない報告のように軽いものだった。

 いや、きっと重く受け止めないようにそう言っているのだろう。


「でも高校卒業してからあんまり連絡も取らなくなったし、会わなくもなって……そんな時に隆文さんと出会った。付き合って約2年くらいだけど、これも運命かなって」


 なにも言えずにいる俺に莉穂はからかうように言う。


「律希は彼女いないの?」

「……そんなのいねえよ」

「はあ、まったく駄目ね。そんな消極的じゃあ一生結婚できないよ」

「余計なお世話だ……」


 いつもの軽口も動揺で自分がなにを言っているのかわからなくなる。


「隆文さんは優しそうだな」


 だからそんなふうに大人の対応をしていた。


「ええ。だれかが困ってたらすぐに声をかけるし、自分も大変なのに人が助けを求めたら自分のことは二の次に頑張っちゃうし、私の無理なお願いとかも嫌な顔せずに聞いてくれるし、私が家事苦手なの知っているからいろいろしてくれるし、喧嘩という喧嘩はしたことないんじゃないかなってくらい気遣いができて穏やかで笑顔の絶えない優しい人」


 夫となる人を語る莉穂の横顔は気恥ずかしそうで、でもすごく楽しそうだった。


「…………」


 傷つくことはわかっていたのに。

 胸が苦しくなることもわかっていたのに。

 好きな人に――あんなふうに語ってもらえたならどれだけ嬉しいことか。

 でももう好きな人は違うべつの人を好きになっていた。


「莉穂はいろいろとガサツなところがあるから愛想つかされるなよ」

「ちゃんと花嫁修業したから心配しなくても平気ですよーだ」


 あっかんべーと舌を出してくるっと翻る。


「学生の頃とは違うんだからね」


 じゃあ、と莉穂はひらりと手を振った。


「スピーチよろしくね。あと、私も律希が結婚する時スピーチしてあげるからその時は呼んでよね!」


 主役の新婦は綺麗なドレスをはためかせて会場へと戻っていった。


 残された俺はなにをするわけでもなく、そのままベンチに腰を落とした。


「好きだったって……なんだよそれ。聞いてねえよ」


 莉穂は俺のことが好きだった。

 俺も莉穂のことが好きだった。

 両想いだったのだ。

 それなのにどうしてこんなふうになってしまったのだろう。


「なんもしなかった俺が悪い」


 好きだと伝えるタイミングはいくらでもあったはずだ。

 教室で。

 部活動で。

 帰り道で。

 イベントなんてなくたって、毎日のように彼女には会っていた。

 いつだって会えるからと安心していた。

 いつまでも隣にいると勘違いして――俺はなにもしなかった。


 だからいま彼女の隣にいるのが俺ではないのだろう。


「やり直したいな」


 もう一度あの頃に戻って、想いを伝えたい。


 戻られるのならもう一度――



「式場でこんなにも負のオーラを感じる人間は初めて見たぞ」


 と。

 だれもいなかったはずのベンチにひとりの男が座っていた。


 黒い細い男だった。

 ハットをかぶり、真っ黒のスーツを着こなす壮年の男性は俺を見て呆れたように鼻を鳴らす。


「そんなにあの女が忘れられないか?」


 この人はだれなのだろう。

 莉穂の知り合いはひととおり知っている人だったから、隆文さんの知り合いか?

 てか独り言聞かれたっぽい。


「いや、あの……そんなんじゃないんで」

「戻してやろうか?」

「……はあ、いやだからべつにいいんですって」

「戻りたくないのか?」


 頭痛がしてきた。

 この人は少し頭がおかしい人かもしれない。

 それとも幻覚を見ているとかか?


「だれなんですか?」

「わたしか? わたしは悪魔だ」

「へえ、悪魔さんか。珍しいですね」

「そうじゃない。悪魔だ。人間ではない」

「…………」


 本格的にやばい人かもしれない。

 この歳にもなって中二病なのか?


「信じないのならば信じないでべつに構わん。チャンスを逃すだけだ」

「チャンスって」

「後悔しているんだろう? 彼女に告白しなかったことを」


 どこまでもこちらのことを見透かしたふうに言う男に俺は半ば投げやりに言う。


「戻してくれるんですか?」

「いいぞ。悪魔と契約を結ぶことになるがな」

「契約を結ぶとどうなるんです?」

「過去に帰って未来を変えようとしているんだ。相応の罪を背負ってもらわないといけん」

「よくわからないっすけど、戻してくれるんならいいっすよ。なんでも」

「よかろう。ただし戻れるのは自分の気持ちに決着をつけてからだ。わかったな?」

「いいですよ。そのために行くんですからね」


 話に乗ると悪魔と名乗った男はどこからか出した一枚の用紙と朱肉を見せる。

 文字が書かれているようだが日本語ではなく、英語でもないよくわからない言語で書かれていて読めない。

 朱肉をこちらに差し出し、「人差し指でいい」と男は端的に言った。


「契約書的なやつです?」

「そうだ。これで過去に戻れる」

「ふーん。それじゃあ」


 朱肉に触れ、そのまま男の示すところへ押印する。


「契約完了だ。せいぜい頑張ることだ」

「はあ。まあありがとうございます」


 適当に流すように立ち上がり、俺は男に別れを告げようとし――


「眩しっ!」


 次の瞬間、光をあてられたかのように目が開けられない衝撃が走り、

 脳が焼かれるような痛みと身体が波打つような振動に襲われ、


「なんだこれ――――――」


 刹那、俺は意識を失った。




――――




「――ま」


 だれかに呼ばれた気がした。


「――島」


 なんだろう、この身体にこびりついた聞きたくない声の正体は。


「粟島、粟島律希!」


「――は、はいっ! …………って、バーコードコバセン!?」


 意識の覚醒とともに現れたのはコバセンこと数学教師の小林先生。

 バーコードのような頭をしていたため、裏でそう呼んでいたのを思い出す。


「バーコード……?」

「あ、いや……えっと、嘘ですよね?」

「なにが嘘だ」

「小林先生の存在というか、うん、その……えっと、嘘です。冗談です。すみませんでした」

「あとで職員室に来るように」


 謝罪もむなしく地獄の拘束を約束されてしまう。


 周りを見渡すと制服を着た生徒が大勢いた。

 それらみんなの顔には覚えがあった。

 それもそのはず、ここは高校二年生の頃のクラスメイトの顔ぶれであり。


「やらかしたな、律希」


 後ろではにやにやと面白そうに笑う軽薄そうな男――橋向紘がいた。


「紘はあんま変わんないな」

「……はあ?」


 座り直し、俺の失態をおかしそうに笑うクラスメイトの中に――彼女の存在を見つける。


 古屋(ふるや)莉穂。

 いや、榛名(はるな)莉穂がいた。





「若いな、おい」


 トイレの手洗い鏡に映る自分の姿を見て驚愕する。

 社会に出て早三年目に突入するという男が高校生に逆戻り。

 放課後に遊ぶ彼らを見て、おじさんになったなあと思っていたのに自分が高校生に戻るとは思ってもみなかった。


「諦めろ。顔は変えられない」


 鏡に映ってきた紘の顔を見て、ため息を吐く。


「そういうやつだったよなあ、紘は」

「なんで過去形?」


 自分の頬をつねり、痛みを実感。

 夢じゃないな。


「整形はおすすめしないぞ」

「違うっつの」


 紘の頬をつねりたくなってきた。

 まあこういう感じが嫌じゃあなかったんだけど。


「なんだよ見つめてきて。もしかして惚れたか?」

「男子便所でする会話じゃねえな」


 俺と紘がトイレから出ると女子トイレからちょうど出てきたらしい莉穂と遭遇する。


 ウエディングドレスを着ていた彼女とは違う見慣れた莉穂がいた。

 動くのに邪魔だと後ろで一本に髪の毛を束ねていた。だったら短くすればいいのにと助言すると女子って思われなくなるでしょと自分の女子力のなさを気にしていた。

 隠すのが苦手でよく表情に表れていた。喜ぶ時は盛大に、怒る時は声を大にして、哀しむ時は涙で顔を崩して、楽しむ時は徹底的に。

 莉穂を見たら、一気に思い出が込み上げてきた。


「お、莉穂ちゃん。おーい」


 紘がなんの気もなしに莉穂を呼ぶ。


「こいつさっきまでコバセンにめちゃんこ怒られてたよ」

「おい」


 いじられ、俺は紘の口を塞ぐ。

 莉穂は一瞬俺のことを見て、唇をきゅっと結び、ひとつ息を吐いた。


「さすがに小林先生にあれは直球過ぎるでしょ」

「……仕方ねえだろ、久しぶりだったんだから」

「なに久しぶりって」

「だって7年くらい会ってな――い、いやべつに。あんな目の前にバーコードがあったらだれだって口走っちゃうだろ」


 未来からやってきたなどと口にすれば笑われるのはわかっていたので言いかけてやめる。


「ていうか寝るならもうちょっと工夫しなさいよ。机に突っ伏して爆睡って」

「未だにお気に入りの熊のぬいぐるみが隣にないと寝れないやつに言われてもなあ」

「は、はあ!? いまそういう話してないでしょ! てか寝れないわけじゃなくて、寝つきがよくなるからそうしているって何回も言っているでしょ!」

「寝つきはいいかもしれないけど寝相をどうにかしたほうがいいんじゃないか?」

「あれは前日練習で疲れてただけであれっきりだし……そっちだって毎回ベッドから落ちてるくせに」

「目を覚ますために自発的にやっているだけだ」

「二度寝するくせに」

「目覚まし時計に仕事させているだけだ。莉穂からもらった目覚ましうるさ過ぎるんだよな」

「……え、ははっ! まだあれ使っているの?」

「目覚ましなんてそうそう買い替えないだろ。いまだって――」


「はいはい、夫婦漫才はやめる!」


 終始面白くなさそうに見ていた紘が言い合う俺たちの間に割って入る。


「……ぐっ、だからそういうんじゃねえっての」


 先ほどの未来で言われていたことがまさにこれだった。

 売り言葉に買い言葉。

 どちらかがなにかを言えばもう一方が反発する。

 それが高校時代の俺たちだった。


「莉穂おまたせ。行こー」


 女子トイレから莉穂の友人が出てきて「う、うん」と彼女もそれに応える。


「嫁行っちゃうぞ? 追いかけなくていいのか?」


 ふたりを見送る俺に、なんともぶっ刺さる言葉が投げられる。


「……なにやってんだよ、俺は」


 悔いるように小さく呟いた。





 粟島律希と榛名莉穂は家が隣同士の幼馴染である。

 幼稚園の頃からずっと一緒で家族ぐるみの付き合いもあり、毎日一緒にいるくらい仲が良かった。小学校の頃は登下校一緒で遅くまで遊んだり、互いの家に行き来したりしていた。中学に入ってからも同じテニス部で汗水流して部活に励み、時には勉強を一緒にしていた。高校生になっても関係こそは変わらないものの、互いに大人に近づいたせいもあってか仲良しの幼馴染というよりも腐れ縁といった感じで素直に言葉を口にすることができなくなり、気づけば言い争うことが多くなっていた。



「変わってねえじゃねえか」


 昨日は一日なにもできなかった。

 同じクラス、部活も男女こそ分かれているものの同じ場所で、家も当然隣だったのに。

 顔を見合わせれば素直になれない頑なな気持ちとは真逆の言葉の羅列。

 自分の想いを告げるために戻ってきたんだろうが。


「これ、職員室届けるのか?」

「そうだけど、なに?」

「半分持とうかと」


 学級委員を務める莉穂はよく先生に頼まれごとをしていた。

 友人に手伝いを求めることはあったが基本は自分ひとりでやっていた。彼女の性格からしてあまり人に迷惑をかけたくないという気持ちがあるのだと思う。


「いいよ、これくらい」


 これくらいとは言ってもクラス全員分のノートだ。

 30冊以上あるし、莉穂もさして身長があるわけでもないから足元が見えにくいはず。


「次移動教室だし遅れるぞ」


 ちらほらとクラスメイトたちは教科書類を持って教室を出ようとしていた。


「平気だって。私のは持ってってもらっているし」

「それでも万が一ってこともあるし」

「なにそれ」


 理由をつけるのすら下手くそな俺は莉穂から訝しむような視線を注がれる。


「なにか企んでいる? ……もしかしてまたノート見せて欲しいとか?」

「ノート? なんだそりゃ」

「テストの時になるといっつもこっちをおだてて。ノート目的なんでしょ」

「違えよ。……ノートは見せて欲しいけど、そういうことじゃない」

「じゃあなによ。お昼忘れてお金貸して欲しいとか?」

「べつになにも企んでねえって」


 高校時代の俺の行いはどれほど悪いものだったのだろうか。


「…………なんでそうやって」


 ぼそりと莉穂がなにかを言った。


「なんか言っ――」

「律希くん」


 聞き返そうとした俺の背中に声が掛けられる。

 振り向くとそこにはクラスメイトの女子生徒が数人いた。


「今日部活何時まで?」

「部活? 何時だろうな、6時半終わりでそっから片づけとかやるから7時とかじゃないか」

「じゃあ今日いい?」

「えっと、なんか約束してたっけ?」

「男子テニス部とうちらで放課後に遊びに行こうって話。忘れた?」


 何年前の約束だよ。覚えているわけがない。

 なんでこういう時に限っていらんことしてんだよ、俺。他にすべき人との約束しろよ。

 しかし女子から期待の眼差しを向けられ、断るに断りづらいのも事実であった。


「俺抜きじゃだめ?」

「このクラスに男子テニス部、律希くんしかいないじゃん」

「そ、そうだったね」

「今日いい?」

「いやあ、ちょっと遅くなるかもだし。他のやつの都合もあるからなあ、どうだろう」

「連絡してみてよ、お願い」

「連絡、連絡ね。うん、あとでしておく。わかったらあとで教える」

「絶対だよ。じゃあまた」


 ほいほいと生返事をし、中断していた莉穂とのやり取りに戻ろうとするも。


「あれ……莉穂?」


 すでにそこには姿はなく、教卓にあったノートもすべてなくなっていた。

 会話が長引くと思ってひとりで持っていってしまったらしい。


「ついてねえな」




――



 昼休み。

 各々弁当を広げたり、購買に行ったりと席を移動する生徒も多い。


「莉穂」


 ちょうど席を立とうとしていた莉穂を呼び止める。


「なに?」

「さっきなんで先に行ったんだよ」

「手伝いいらないって言ったでしょ」

「そうなんだけどさ。まあいいや。ちょっといまから時間あるか?」


 首を傾げられ、「ごめん、今日は無理」と断られる。


「飯の前でいいんだけど」

「いまから約束があって」

「約束?」

「うん。律希こそどしたの? まさか本当にお弁当忘れたの?」

「いや少し話がしたくて」

「なに?」

「ここじゃあちょっと」


 がやがやと騒がしい教室を一瞥する。

 こんなところじゃあムードもへったくれもありはしない。

 言葉尻が萎み、言いにくそうにする俺を見て莉穂は眉を顰める。


「女の子の落とし方でも聞きたいの?」

「なんじゃそりゃ」

「だって今日遊ぶんでしょ」

「ああさっきのか。あれとは違うよ。てか遊ばないし」

「彼女欲しいんでしょ? 遊べばいいじゃん。しょっちゅう変な本読んでるくせに」

「それとこれとは違うんだよ。だれでもいいってわけじゃないし」


 視線が彷徨い、莉穂を見ることができない。

 好きな人は目の前にいる。

 彼女は莉穂じゃなきゃ嫌だ。

 言葉にしようにもできない俺を見て、莉穂は小さく笑う。


「ごめん、もう行かなきゃ」


 莉穂は俺に背を向け急ぎ足で教室から出て行った。




――




「それは旦那が浮気すりゃあ嫁は怒るだろ」


 放課後。

 テニスコートから少し離れたところで帰宅途中の紘に出会い、莉穂が俺のことを避けているように思えたのでそれとなく、莉穂の様子がおかしいことを相談すると案の定とんちんかんなことを言われた。


「遊びは断ったって」

「でも嫁からすりゃあ面白くないだろ。結婚してんのに合コンすりゃあさ」

「そもそもそういうことを言いたいんじゃなくて、莉穂なんかあったんじゃないかって話」


 もちろんその可能性は考えていた。

 結婚式場で言われた言葉。

 はっきりと覚えている。莉穂は俺のことが好きだったと言っていた。

 それで嫉妬にも似た感情がもしかしたらあるんじゃないかと。

 でもなんとなく違うような気がした。


「まあ女は熱しやすく冷めやすいからな。幼稚園の頃からの付き合いなんだろ? 俺としてはよく他にいかずにいたと思うぜ。そこまで執着するような男じゃあないのに、だ。ようやく莉穂ちゃんもなかなか関係をはっきりさせない男に愛想が尽きたってわけさ」


 紘のいつものからかいだ。

 たぶん本気で言っているわけではないはず。

 けれどいまだけは紘の言葉が胸に強く刺さった。


 莉穂からの告白を受けてから思い返してみると彼女からのアクションは確かにあった。


 ふたりで帰ろうと誘われたのに、部員のみんなで帰ったり。

 お昼を一緒に摂った時もあったのに、彼女の手料理を下手だと言ったり。

 家で一緒に勉強をしている時に泊まっていいかと尋ねられ、隣だろと突き返したり。

 誕生日にはいつだってプレゼントをくれていたのに、俺はなにもしてあげなかったり。


 気づくことはできたはずだ。

 でも俺は自分の気持ちに正直になれなくて、いつだって真逆のことをして。

 莉穂のことを知らず、傷つけていたかもしれない。


「けどなんかあったのはそのとおりかもな」


 顎でくいっとして示された方向を見るとそこには部活に勤しむ莉穂の姿があった。

 しかしそこにはいつもの元気な彼女はおらず、平凡なミスを重ねていた。


「あれは旦那として放っておくわけにはいかないんじゃないか?」

「幼馴染、な」


 強調する紘に、俺ははっきりと否定する。

 だってそうだろう。

 まだ俺はあいつに気持ちを伝えてすらいないのだから。




――




 橙色になった空が地面を照らす。

 駅から距離があることもあって人通りは少なく、目的の人物を探すことは容易だった。


「莉穂」


 尻尾のように揺れる髪の毛もいまだけは萎れたように動かず、小さい歩幅で進む莉穂を見つけ、声を掛ける。

 呼ばれて顔を上げた莉穂の表情から困惑の色が窺えた。


「遊びに行ったんじゃなかったの?」

「遊ばないって言っただろ」


 それ以上このことには言及するつもりはないのか、莉穂は歩みを進めたので俺も続く。


「遅かったな」

「ちょこっとだけ居残りで練習してたから」

「ひどかったもんな、今日」


 キッと睨まれる。


「はいはい。言いたいことがあれば言ってどうぞ」


 でもそれも一瞬のことで、すぐに言い負けることを確信した莉穂はやけくそ気味に言う。


「大丈夫か?」


 心配されるとは思ってもいなかったのか莉穂は驚いたように目を瞬かせた。


「なんかあったのか? あんな凡ミスするなんて珍しいから」

「…………」

「全体的に今日様子おかしいけど、なにか悩んでいることとかあるのか?」


 なにも言わない莉穂を見て、俺は彼女の前にぐるっと回った。


「言いたくないならべつに無理に言わなくていい。けど、莉穂が元気ないと調子狂うんだよ。いつも馬鹿みたいに元気で疲れを知らないみたいにギャーギャー騒がしいのに、そういう浮かない顔すんなよ。莉穂が暗いとこっちまで気分悪くなるんだよ」

「……なにそれ、いつもはうるさいって言うくせに」

「うるさいものにはうるさいって言うのは当たり前だろ」

「意味わかんない。言っておくけど、自分も十分うるさいからね」

「だれかさんに比べたら可愛いもんだ」

「どうだか」


 ふたりして同時に笑う。

 この笑顔だ。

 莉穂のこの表情が一番好きだった。


「あーあ、なんか悔しいな」

「なにが?」

「律希に励まされたみたいで」


 晴れやかな顔つきとなった莉穂は唇を尖らせ、俺を退けて自宅方向へと足を向ける。


 期せずして出来たチャンス。

 ふたりきりになろうとして何度も邪魔されたがようやく訪れた。

 莉穂もなんだか機嫌がよさそうに見える。

 いまなら言える。

 俺の想いを。


「莉穂。俺、実は莉穂のことが――」


「私ね、獅童先輩に告白されたの」


 好きだと伝えようとした瞬間だった。

 莉穂の口からよく知らない人物の名前が挙がった。

 告白、された……?


「それで付き合うことにしたの」


 瞬間――

 衝撃で眩暈を起こしそうになる。


 莉穂はなんと言った……?

 なにが起きているのか、どういう話の流れなのか、まったくわからない。

 ただただその報告が俺には信じたくないもので、すぐに言葉を呑み込めないでいた。


「こういう恋愛ごとで調子悪くなってたら恥ずかしいから言えなかったの」

「…………」

「律希に言うとすぐ馬鹿にしてくるだろうから余計にね。でも逆に心配かけちゃったね、ごめん」


 謝って欲しかったわけじゃない。

 心配かけられたことだって全然苦じゃない。

 そういうことじゃあ、ない。




――ねえ、私今日付き合ってくれって言われたんだけど。


――え、どんな物好きだよ。


――うるさいな。そこはいいでしょ、そこは。


――そ、そうか。へえ、莉穂に彼氏か。


――まだ返事してない。


――そうなのか! なんだよ、タイプじゃないのか? てかだれから?


――獅童先輩って知っている? ひとつ上のサッカー部の。


――あーなんか知っているかも。たぶんあの格好いい人だろうな、え、まじか? やばいな。


――やばいって……。


――すげえじゃん。


――どうしたほうがいいと思う?


――なんで俺に聞くんだよ。


――いいから。……律希は私が獅童先輩と付き合ったほうがいいと思う?


――まあそうだなあ。ノートとか見せてもらえなくなったりするかもだからあんま付き合って欲しくはない、かな。なんか気軽に頼み事とかできなくなりそうだしさ、それに。


――わかった。じゃあ断る。


――え、は? 断んの? いいのか? こんな機会一生ないかもしれないんだぞ。


――いいの。というか一生ないってなによ!




 フラッシュバックした記憶。

 過去にも似たようなことがあった。

 初めて莉穂から恋愛の相談を受けたので確かに覚えている。


 でもなんで。

 どうして。


「それは相談じゃなくて、報告なのか? もう付き合ったっていう」

「うん、そうだけど。なに、どういう意味?」

「意味は、特にないけど」


 そのあとの会話は覚えていない。


 ようやく、

 覚悟を、決めて。

 一歩、踏み出して。

 勇気を奮い起こして。


 告白しようとしていたのに。


 過去に戻っても、俺はなにもかも遅かった。

 俺の気持ちは土俵に立つことなく、またしても敗戦することになった。





 過去が変わった。

 俺があの時と違う行動を取ったからだろうか。

 だとしたら莉穂もまた俺への気持ちはもうすでになくなっているのかもしれない。


「戻らねえな」


 手をグーパーさせる。

 恋に破れたというのに俺はまだこの世界にいる。

 自分の想いに決着をつけたと判断されていないのか。


「莉穂ちゃんは戻ったのに、今日は律希が変だな。晴れて付き合うことになったんじゃないのか?」

「付き合うことにはなったらしいぞ」

「よかったじゃん」

「俺じゃないけど」

「は?」


 紘は食べていたパンを机の上に落とした。

 呆けたように固まってしまった悪友を茶化す気力すら湧かない。


「そういうわけだからもう夫婦漫才とか言うなよ。お相手に迷惑がかかる」

「マジ?」

「俺の目を見ろ」

「濁りのない綺麗な目をしているな」


 冗談で言っているわけではないことを察したらしい紘は落としたパンを拾ってぱくりと食べる。


「なんでそんな展開に?」

「知らん」

「そうかー、莉穂ちゃんも人の女になっちゃったかー。ちぇっ」


 舌打ちをして悔し気な色を顔に乗せる。


「なんで紘がそんなショック受けてんだよ」

「だって莉穂ちゃん可愛いじゃん。性格もいいし、しかもこれまで男なし! こんな子なかなかいないっての。でも俺はふたりがお似合いだからなにもしなかったわけ。おわかり?」


 橋向紘はそれなりにモテる。

 顔は悪くないし、金髪や学生服を着崩すチャラそうな見た目、飄々とした態度、頭も悪くないし運動神経もいい。しかもこれで歌も上手いときたら女子が惚れるのも頷ける。

 ただ近場は嫌だとかなんとか言って他校の生徒ばかりと付き合っているらしいが。


 そんな紘が莉穂を口説いていたとしたら。

 彼の歌を好きだと言っていた莉穂の心は、揺らいでいた可能性はある。


「律希は近くにいてわかんないかもだったけど、莉穂ちゃん結構人気あったんだぜ。まあただ律希がいっつもいたからなあ、なかなか行ける人いなかったみたいだよ。付き合っていたと勘違いしていたやつもいるみたいだし」


 驚きの事実に俺も弁当を食べるのを忘れてしまう。


 榛名莉穂が綺麗なことを。

 榛名莉穂が優しいことを。

 榛名莉穂が何事もマメなことを。

 榛名莉穂の明るく元気なことを。

 榛名莉穂が気遣いの出来ることを。

 榛名莉穂が面倒見のいいことを。

 榛名莉穂が頑張り屋なことを。

 榛名莉穂の頼りがいのあることを。

 榛名莉穂が場の空気を読めることを。

 榛名莉穂が女子力がないことを気にしていることを。

 榛名莉穂の喜怒哀楽が激しいことを。


 榛名莉穂の魅力的なところを知っているのは俺だけではないのだということを。

 今更ながらに気づく。


「で、だれと付き合ったって?」

「……獅童っていうひとつ上の先輩」

「あの人か」

「サッカー部の格好いい人だろ。俺も顔くらいは知ってる」


 いままで莉穂がだれとも付き合わなかったこと自体が不思議だ。

 やっぱり俺のことを好いていてくれたってことなのだろうか。

 隆文さんに会う前にもだれかと付き合っていたかもしれないし、おのずとこういう結果になっていたとしてもおかしくはない。


「あの人あんまいい噂聞かないんだよな」

「え?」

「他校の女子からの情報だけど、なんでも一度ヤレば満足というか、ひとりの子を大事にしないっぽくて……すぐ次に行くとかなんとか」


「なんだよそれ!」


 俺は気づけば紘の胸ぐらを掴んでいた。

 紘は血相を変えた俺を見て落ち着かせるように宥める。


「ま、まあまあ。噂だからな。本当にそうだとは限らない」

「でも違うとも言えないんだろう?」

「そう言われたらそうなんだけど」


 教室を見渡す。

 いつも莉穂と昼食をともにしているグループに莉穂がいなかった。


「俺、行ってくる」

「え、お、おい。律希」


 宣言し、俺は一目散に教室を出る。




――




 俺が過去に戻った理由は結婚する前の莉穂に自分の気持ちを告げることだ。

 それは俺と莉穂が両想いであったと知ったから、というのもあるがやはり後悔が大きかった。

 自分の想いを伝えていたら彼女の隣にいたのは俺かも知れなかったからだし。

 莉穂を一番幸せにできるのは俺だという自信があったからだ。


 けど結婚式で莉穂と話した時、笑顔の片隅になにか引っ掛かりを覚えた。

 勘違いだと言われればそれまでのことで。

 思い込みだと言われればそのとおりだと思う。

 望んだ結婚ではないと思いたかった俺の汚い部分――


 好いた人には幸せになって欲しい。


 過去に戻って、莉穂を悲しませてどうする。

 過去を変えて、莉穂を泣かせたらどうする。


 隣は俺じゃなくていい。

 幸せな家庭に俺はいなくていい。


 笑顔でいてくれ。

 元気一杯の莉穂でいてくれ。


 俺の願いはただそれだけだった。



「莉穂!」


 旧校舎の裏手。

 そこに莉穂と獅童先輩がふたりでいた。

 付き合って初めてのふたりでの昼食だったかもしれない。

 だけど俺はそんな幸せな空間をぶち破る。

 自分の身勝手だけで。


「すみません。莉穂はめちゃくちゃいいやつです。顔は可愛いし、胸もあるし、優しいし、いじるといちいち反応が大きくて面白いし、頑張り屋でなんでも自分ひとりでやろうとするし、不器用でなにをするにも人より時間がかかるのに努力し続けるし、そういうの隠しているつもりなのにバレバレなのがすげえ馬鹿で、そこがすごくよくて……だから先輩が莉穂を好きになるのは充分わかるんですけど、すみません。やっぱ駄目です。先輩には莉穂はもったいなさすぎる」


 一方的に言い捨て、俺は莉穂の腕を掴む。


「行くぞ」


 有無を言わさず莉穂を連れ去り、彼女の言すらも耳を貸さず、走った。

 どれくらい走ったかはわからないが、旧校舎の中へ入り、ふたりして息を切らす。


「はあはあ、急になに」

「……っ、いや、その……やっぱ付き合うのはやめて欲しいと思って」

「…………」


 莉穂は息を整え、俺の言葉の意味を追求してくる。


「どうして?」

「それ、は……」

「さっき先輩に言ったことと関係あるの?」


 先ほどの発言を思い出し、かあっと顔に熱が帯びる。

 必死だったとはいえなにを恥ずかしげもなくあんな大胆なことを……。


「関係はあるっつーか、その……」


 見つめられ、俺は口を噤む。

 やっぱり好きな人を目の前にすると素直になれない。


 好きの二文字すら言えない。


 けれど。


「――――」


 莉穂の身体を抱き、ゆっくりと引き寄せ、彼女の唇と自身の唇を重ねた。


 ほんの一瞬。

 温かい感触が残る。



――言葉じゃあ恥ずかしくて伝えられないことも、そういうふうに気持ちを伝える強引で口下手な感じがなんかすごくいいなっていうか……



「これが俺の気持ち……、だから」


 ようやく口を開くと莉穂は柔らかな微笑を湛える。


「馬鹿じゃないの……っ。なんでいまそんなこと」


 ぽろり、と潤んだ瞳から雫が落ちた。


「お、おい」

「違っ! 違うの、これは違くて」


 莉穂は首を横に振り、涙を拭う。


「ごめん律希。私いま、一番幸せかも」


 俺はこれまで一度も感謝したことのなかった友人へ感謝の気持ちを送りたかった。

 だってそうだろう。

 いままで見てきた中で一番綺麗な莉穂の笑みがあったのだから。







「ずいぶんとイラついていますね、悪魔リド」


 自分の思いどおりにいかず足を床に何度も当てていると、悠然とした態度で現れた人物に舌打ちを鳴らす。


「天使リシェル、貴様の仕業か」


 白いハットに白いタキシード、全身を白のコーディネートでまとめた女性に言う。


「粟島律希に過去改変の罪を着させて魂を奪うつもりだったのでしょう」

「……新婦を過去に戻したな? 天使が過去改変を促すなどあっていいのか?」

「幸せの未来を導いたと言って欲しいですね」

「屁理屈を」


 粟島律希の過去戻りを見ていた悪魔リドは明らかにおかしな動きをする人物に気づいた。

 それは律希が恋をしていた女性――榛名莉穂だ。

 彼女は過去にしなかった行動をしていた。

 明らかに律希を避け、付き合ったと嘘までついて彼から距離を取ろうとしていた。


「あなたは粟島律希が榛名莉穂を彼女にしようがしまいがどちらでもよかった。いままでどおりなにもできなければそのままずっと彼は過去にいて魂を吸い続け、逆に成功すれば新郎古屋隆文から幸せを奪ったとして粟島律希を過去改変の罪に問わせ、魂を奪う予定だったのでしょう」


 なにもかもが天使リシェルの言うとおりだった。

 悪魔は魂を奪うことで生きながらえる。

 魂は人間の後悔の念から抽出される。

 そのため悪魔は人間が後悔する場所、学校や病院、墓や山、崖や橋といった自殺の多い場所に潜伏し彼らを言いくるめ過去に戻し、なんらかの過去改変の罪を着せ、合法的に魂を奪う。


「だから私はこの結婚式に若干の蟠りを持った古屋莉穂こと榛名莉穂を過去に送りました。彼女は自身の結婚にまだ揺らぎがあり、その原因とも言える人物の幸せを願って過去をやり直しに行きました。彼女は彼が自分といたばっかりに女性と縁がなかったと考え、彼女は彼から離れようとしましたがあなたも知ってのとおりの結果となってしまいました」


 ゆっくりと語られる。


「するとあら不思議。粟島律希は榛名莉穂を幸せにし、榛名莉穂もまた粟島律希を幸せにした。今回の過去改変は幸せの導きと言えましょう」

「だったら新郎はどうなる? あやつの幸せになる未来は!」

「榛名莉穂はまだ粟島律希のことを忘れられていなかったのですよ? それがどうして幸せな未来を築けると思います?」

「……っ」

「現に彼はいま、この結婚式場にはおらず、べつの場所で幸せな家庭を築いていますでしょう」

「貴様っ……! いいように解釈しおって」

「さて、では言い逃れできませんね。悪魔リド、投降なさい」


 悪魔は観念したように肩を落とした。

 天使の微笑みは悪魔のそれを上回る姑息な笑みだった。






――After side



 彼の幸せを奪ったのは私だ。


 小学校から高校までずっと彼とは一緒にいた。

 好きだったから。

 彼の隣にいたかったから。


 高校を卒業したタイミングでなにもなかったら諦めようと。


 結婚はけじめだった。

 彼への想いを断ち切る一歩だった。


 諦めたのにどうして。

 どうして彼は幸せそうじゃないの?




――――




 天使リシェルさんが私を過去に戻してくれた。

 どうやら過去をやり直させてくれるらしい。

 ただひとつ条件として、だれかを幸せにしなさいと言われた。


「売り言葉に買い言葉……はあ、私はまた」


 戻ってすぐ彼と言い合った。

 でもあれは向こうが悪い。今回は私発信ではない。

 べつに仲良くするために戻ってきたわけではないけど、なんだかなあって感じだ。



 その後、一日特になにもできなかった。

 律希を幸せにする方法などあるのだろうかと思った矢先、彼が女子に話しかけられた。


「…………」


 畢竟、私が離れるべきだったのだ。

 私という存在が彼の人生を邪魔している。


 そのまま律希が珍しく手伝いを申し出たことなど気にせず、私はひとりでノートを職員室に運んだ。その際、獅童先輩に昼休みにふたりきりで会って欲しい旨を伝えられた。

 急激に思い出す、淡い記憶。

 告白されたことを律希に相談したら彼が告白してくれるのではないか、と。


「だったら今回は受けようかな」


 そう決意したものの、私は心の引っ掛かりがあったのか、それからなににも集中できなかった。だから律希から指摘されてしまった時、無性に嬉しくなってしまった。

 まだ彼が私を見てくれている、と。

 でもそれが幸せから遠ざかる道だと悟った時、気づけば私は嘘を吐いていた。


「それで付き合うことにしたの」


 これでよかった。

 これでよかったんだと思う。


 私の選択肢は間違っていない。

 間違ってなどいなかったはずだ。


 なのにどうして。

 どうして諦めようとしている時にあなたは私の手を取るの?



――――



 私が律希を好きになったきっかけはたぶん小学生の頃――

いつものように彼に誘われて運動場で遊んでいた時のことだった。


「女子なのになんで男子とばっか遊んでんの?」


 だれかが言った。

 悪気とかはなかったと思う。

 ただ純粋な疑問とちょっとしたからかいの範疇。

 けれどそれは小さな私の心を傷つけるには容易かった。


 次の日、私は律希に誘われたらどうしようと思っていた。

 そんな時、いつものように彼が現れ、


「莉穂、今日外暑いから教室で遊ぼうぜ」


 と日焼け顔で言った。


 あの頃から彼は口下手だった。

 暑いからっていう理由だけのわけがない

 身体を動かすことばかりな彼が私と友達の女の子と一緒に絵しりとりをしている姿は面白かった。



 ――そういう彼の行動や言葉がいつも私の心を揺さぶった。


 私の好意には気づかないのに。

 なんで私の求めていることは的確についてくるの?


 その積み重ねだった。

 気づかない内に私は彼のことが好きになっていた。





「ごめん律希。私いま、一番幸せかも」


 律希を幸せにするために戻って来ているのに。

 私が幸せを手にしてどうするのだろう。

 でも。


 彼との未来が待っていると思うと、嬉しくて涙が止まらなかった。








挿絵(By みてみん)



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― 新着の感想 ―
[一言] 全員別の幸せルートにすすんでなにより ただ、昔好きだったと言われて初めて行動に移す男って何だかなぁって思わなくもないw ズルくない?
[気になる点] 女幼馴染が男幼馴染に友人代表スピーチって酷くね?
[良い点] べったべたですけどこういうの好きです。 よかった。 [一言] ふたりとも受け身すぎるw
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