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81話 釣り(1)

『クレハ様、湖に釣り堀があるってご存知でした?』


 きっかけはそんなリズの一言だった。ストラ湖については怪物がいるとかいないとか……そんな話しかしたことなかった。リズは王宮に来た時にセドリックさんから釣り堀の存在を教えて貰ったらしい。そんな面白そうな物があるなんて知らなかった。行ってみたい。

 私は早速レオンに相談した。帰宅の準備はとっくに終わっている。元々、着の身着のまま状態で始まった王宮生活だ。私が家から持参した荷物など無いし、またすぐにこちらに戻ってくる予定だから、準備といっても手ぶらみたいなものだったのだ。

 良い気晴らしになるから行っておいでと、レオンは私のお願いに快く頷いてくれた。フィオナ姉様の事で気を遣ってくれているのだと思う。姉様が心配なのはもちろんだけど、私まで塞ぎ込んではいけない。むしろこんな時だからこそしっかりしないと……









 レオンのお許しが出たので、翌日の昼前にさっそく釣りに行くことになった。護衛と私のお世話係としてレナードさんとルイスさん、そしてリズが同行してくれる。ミシェルさんも行きたがっていたけど、別の仕事が入っていたので断念したらしい。本当に悔しそうだったと、その時の様子を思い出してルイスさんが笑っていた。そしてミシェルさんに続き、レオンも急ぎの用事があるらしく不参加だった。一緒に行けるものだと思い込んでいたので残念……


「ボスは何だかんだ忙しいからなぁ。今回はダメでも次があるさ。あんまり気落ちしないでね、姫さん」


「クレハ様もリズちゃんも釣りは初めてだし、釣り堀は丁度良いですね。今日は練習がてらのんびりやりましょう」


「おふたりは釣りはよくされるんですか?」


「私は休みの日に時々って感じです。ルイスの方は全然ですけどね」


「じゃあ、ルイスさんも今日は私たちと同じで教わる側なんですね」


 今日の釣りの為に必要な準備はレナードさんがやってくれた。全く経験の無い私とリズにやり方も教えてくれるそうだ。


「ルイス……私のこと『師匠』って呼んでもいいよ」


「またハゲが調子乗ってるよ。釣りは……ほら、アレがあるからさ。お前、俺がダメな理由知ってる癖に」


 私たち4人は釣り堀を目指し、湖へと続く道を歩いている最中だ。小さな林の中を走るその道は木漏れ日が降り注ぎ、空気もひんやりとしていた。鳥の鳴き声も聞こえる。素敵な所だ……もし外出が自由にできるならランニングのコースに加えたいところです。

 林を抜けると、ゆらゆらと波打つ青い湖面が目の前に広がった。私はそこへ向かって一直線に走り出す。


「わー! すごい!!」


「姫さん、走ると危ないよ。1人でどんどん進んでいかないで」


「クレハ様ーー!! 帽子落ちましたよ! 日に焼けちゃいますから、ちゃんと被って下さい」


「レナード、追いかけろ。俺は日傘とバスケットで両手が塞がってる。お前は片方フリーだろ」


「了解」











 水際まで近付いて湖の水にそっと指を浸した。冷たくて気持ち良い。ストラ湖をこんなに間近で見るのは初めてだった。橋の上からしか見たこと無かったし、こうやって直接触れることができて感動している。今度は両手を入れて水を掬って持ち上げてみた。指の隙間から溢れ落ちる水の粒が太陽の光を反射して輝いている。綺麗――


「クレハ様捕まえた!」


「うわっ」


 頭の上に何かを被せられた。これは……帽子? 走った拍子に落としちゃったのか。後を追いかけて来たレナードさんは、私の横にしゃがみ込んだ。


「もうー、お転婆さんなんだから……」


「帽子拾って下さってありがとうございます」


「涼しくなってきたとはいえ、昼間はまだ日差しが強いですからね。帽子はちゃんと被っていて下さい。リズちゃんも心配してましたよ」


「ごめんなさい。つい興奮しちゃって……湖を近くで見たの初めてだったから」


 女神に守られた湖……ストラ湖。この美しい湖には怪物が住んでいるらしい。クライヴ隊長は噂に尾ひれが付いて大袈裟になっていると言っていたけど……


「レナードさん、この湖に怪物がいるって本当ですか?」


「本当ですよ」


「そんなあっさりと……」


「でも、世間で言われているように人を襲って食べたりなんてしません。普段は湖の底でじっと静かに眠っていてとても大人しいんですよ」


 噂は『半分嘘で半分本当』……クライヴさんの言っていたことの意味を理解する。怪物はいる……けれど、人は襲わない。そういうことだったのか。


「怖いですか?」


「ちょっとだけ……」


「大丈夫です。もし危険があるなら、クレハ様がここへ来るのを殿下が許可するはずありませんから」


 説得力……レナードさんの言う通りだ。レオンが許すはずがない。彼はやり過ぎなくらい私を気にかけてくれているのだ。レオンが反対しなかったということ……それが、怪物が私たちにとって無害なんだという何よりの証拠に思えた。


「さあ、釣り堀はもう少し先ですよ。行きましょう」


 レナードさんは立ち上がると、私に向かって手のひらを上向きにして差し出した。彼のエスコートを受けて差し出された手を取り、私もその場から立ち上がる。

 湖に怪物がいるという噂は事実だった。人を襲ったりはしないそうだけど……。それでも、そんな得体の知れない生き物が目の前の湖にいるのだと想像すると、背中の辺りが寒くなるのだった。








 

「クレハ様、もうじき着きますからね。ほら、あちらに見えるのが釣り小屋です」


 湖に沿って歩いていくと、茶色の屋根に壁は青色のカラフルな木造の建物が見えてきた。大きさは王宮の温室くらいだろうか……レナードさんはそれが釣り小屋だと教えてくれた。


「楽しみですね、クレハ様」


「うん!」


 リズも初めての釣りに浮かれているようだった。そんな彼女と手を繋ぎながら、小屋に向かって歩くスピードを少しだけ早める。王宮から徒歩で10分くらいだっただろうか。私たちは釣り小屋に到着した。


「おい、管理人のおっさんがいるんじゃねーのか?」


「今日はいないみたい。いつもいるとは限らないからね。道具類は好きに使って大丈夫だし、釣りをするだけなら問題無いけど……。ルイス、一緒に来て」


 レナードさんとルイスさんは小屋の中に入っていく。自由に道具を使えるということもあってか、小屋には鍵がかかっていなかった。管理人さんがいるらしいけど、あいにく不在みたいだ。

 入り口から中を覗いてみると、そこには竿や網などの釣り道具はもちろん、椅子やテーブル……小型のボートまで収納されていた。レナードさんが慣れた手つきで棚を物色しているのと、ルイスさんが椅子を抱えている様子が目に入る。私とリズは小屋の前でふたりが出てくるのを待った。


「お待たせ致しました。準備ができましたので、始めましょうか」


「滑りやすいから足元気を付けてね、おふたりさん。絶対に走ったら駄目だよ」 


 ルイスさんが心配そうな顔で見つめてくる。一応私とリズ両方に向けた注意だったけど、主に私に言ってるんだろうな……落ち着きが無くてすみません。私は彼を安心させようと、大丈夫ですと何度も力強く頷くのだった。

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