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【3】前を通る時はドキドキである。

『前を通る時はドキドキである。』


 ここ数日、明日香の在籍する二年一組の教室は、一種異様な雰囲気に包まれていた。


 校舎の曲がり角で茶木明日香と変人・小笠原拓郎が接触した例の出来事、通称《前見て歩けブス事件》が和泉沢高校全体を駆け巡って以降、拓郎への悪評が強くなる一方で明日香自身にも不可解な変化が見られ始めたためである。


 その日、授業と授業の合間の十分休憩の時にもその変化は確認された。


 次の授業の準備やお手洗いなどでバタバタとする教室内。

 その時も、隣同士の席である明日香と篠原優子はお気に入りの動画チャンネルや好きなアーティストの新譜について楽しく会話を交わしていたのだが、ふとした瞬間に明日香が差し込んできたのである。


「――ねえ、私ってブスかな?」


 不思議なものでこの間、まるで時が止まったかのように騒がしかった教室が静まり返る。そして、


「……ぶ、ぶ、ブスなわけないじゃんッ! 超美人さんだよ、何言ってんの明日香ちゃん、驚くわ〜〜! アハハハハ!」

「そっかー」


 決まって優子がフォローしたのを確認した後、再び教室内の時が動き出す。

 このようなやり取りが、割と頻繁に繰り返されており、まさしくアンタッチャブルでピリピリとした、緊迫の空気がクラスメイト達の間に満たされていた。そして、


『これもあの小笠原とかいうオタク野郎のせいだ……!』


 より一層彼への風当たりが強まっていくのである。




――――――




 篠原優子は苦悩していた。


 親友があの事件で心にキズを負ったことは間違いない。

 頻繁に自身の美醜を気にする素振りを見せたり、いつも真面目に受けていた授業中にボーッとすることが増えたり、この間なんて体育でバレーボールの最中に顔面に思いきりスパイクを受けたにも関わらず無言の見事な仁王立ちで鼻血を出していたのである。


 スパイカーの娘はもちろんのことクラスメイト一同が慌てる中、


「……()れ? みん()()うか()()?」




 どうかしてるのはあなただよ! しっかりしてよ!

 このままではいけないよ〜〜! ダメだよ〜〜! 親友がダメな娘になっちゃうよ〜〜! あたしが何とかしないとぉ〜〜! でも一体どうしたらぁ〜〜〜〜!?


 ぐぬぬぬぬと心の中で唸り声を上げながら頭を掻き毟る優子だったが、当の明日香自身は心にキズを負ったどころか、メンタルは至って安全な数値を維持していた。

 だが残念なことに、それは決して平常であるとは言いがたい代物だったのである。


 そう、彼女の精神状態は例の事件以降、間違いなく異常な方向へとシフトしていたのだ。




――――――




 小笠原拓郎。

 隣のクラスの男子。

 オタクで、根暗で、目の下のクマがひどくて、それから、




『ちゃんと前見て歩け! このブス!』




 サキュバスである自分に、あんなことを言ってのけた唯一の男。


 初めての経験だった。

 それも本来なら一生あり得なかったであろう経験だ。

 もしかしたら、古来より続くサキュバスの歴史の中で、こんな経験をしたのは自分一人だけなのではないのかとさえ思った。


 今思い出してもドキドキが止まらない。

 あのゴミを見るような目。

 不躾な態度。

 そしてあの言葉。


「〜〜〜〜!」


 分からない。分からなかった。

 あの時のことを思い出す度に全身を駆け巡るこのゾクゾクとした感覚の正体が分からない。

 心臓の高鳴りが抑えられない。

 顔の火照りが、指先の痺れが、目の潤みが気になって仕方がない。




『ちゃんと前見て歩け! このブス!』




 どうしてなの? あの人の顔が、声が、頭の中からちっとも出て行ってくれない!


 ……

 …………

 ………………


 あーもー! 何なのよこれは!

 私は一体どうしたらいいわけ!? 一体どうしたらいいってのよ!?

 もうヤダ! ヤダヤダヤダ! んにぃぃぃぃぃぃ!!


 叫び出したい衝動に負けそうになったその時、まるでそれを制するかのようにチャイムが鳴り響いた。

 そこでようやく今が授業中であったのだと思い出す。

 どうやら一人悶々としている間に随分と時間が経ってしまっていたらしい。


「あ、明日香ちゃん、大丈夫? なんだか具合悪そうだけど……」


 隣を見ると優子が心配そうな顔でこちらを覗き込んでいた。

 机の上には弁当が出されている。

 ああ、そうか、もうお昼休憩なのだとハッとする。


「あ、うん……大丈夫。ちょっと寝不足なだけだから。それよりもお昼食べ行こうか。いつもの中庭でいいよね?」


 誤魔化すように言いながら、弁当を手に立ち上がる。

 ため息がこぼれた。




 明日香の教室は西校舎二階の端に位置している。

 そこから廊下伝いに二組が並び、向かい合わせになった階段と渡り廊下を挟んで三組四組、再び階段と渡り廊下を挟んで五組六組といった造りとなっている。

 つまり、ここから中庭にたどり着くにはどう足掻いても拓郎のいる二組の前を通過する必要があるわけだ。


 無論窓から飛び降りるという強硬策もないわけではないが、毎回飛び降りていてはそれはそれで問題なので除外しておく。


 あの事件以降、この時が最も心拍数が高鳴る瞬間だった。

 引き戸が閉まっていればまだいいのだが、それでも生徒が出入りするたびにビクリと肩が跳ねるのである。

 もし鉢合わせしようものならどんな顔をしたら良いのか分からない。分からないから会いたくない。

 意識し過ぎて仕方がないといったご様子だ。

 では今回はどうなのかというと、




 ――全開じゃないッ!




 全開だった。

 前の戸も後ろの戸も全開である。

 これではふとした拍子に拓郎を見つけてしまうかもしれない。

 もしかしたら目が合ってしまうかもしれない。

 教室の中を見さえしなければそんなことは起こり得ないのだが、残念ながらそんなことにすら気が付かないほど彼女の頭は面白いことになっていた。というか、心のどこかで期待している節があった。


 典型的なイヤよイヤよも好きのうちである。


 ど、どうしよう……!

 見ちゃう……! 目が合っちゃう……!

 こ、心の準備が……!


 思わず足が止まる。

 するとその異変に優子が気付いた。


「? どうしたの、明日香ちゃ――!?」


 優子ここで察する。




 ――明日香ちゃんが……怖がってる!




 すかさず視線を走らせる。


 ああ! 二組の教室の扉が開いている!

 ああ! 二組は例の男子がいる教室!

 ああ! 明日香ちゃんはあの経験がきっとトラウマに!




 A_閉めなきゃ!!




 答えを得た優子はすかさず行動を開始した。

 ダッシュで二組の引き戸の取っ手に手を掛けると、




「開けたら閉める!」




 そう叫んでピシャリ! と閉じ、すぐさまもう一つの戸に駆け寄ると、




「開けたら閉める!」




 そう叫んでピシャリ! と閉じた。


 その勢いの良さにシンと静まり返るギャラリー。

 そのギャラリーに向かってキッと睨み付けると、




「間違ってますか!? あたしの言ったこと、間違ってますかッ!?」




 謎の威嚇行動をとった。

 特に間違ってもないので皆一様に俯く。

 その様子を確認すると、優子は満足そうに頷き、


「さ、もう怖いものはナイナイしたよ。中庭に行こうね〜」


 謎の母性を発揮して明日香を中庭へとエスコートした。


「……う、うん……なんか……その……アリガトウ……?」


 ドキドキが一方的に吹き飛ばされ、モヤモヤとした不完全燃焼感に包まれてしまったが、親友がなんか怖かったので、明日香は素直に謝辞を述べることにした。


続きが気になる! と思って下さった読者の方がいらっしゃいましたら、是非ブクマ・感想等よろしくお願いします。

執筆時のモチベーションが跳ね上がります。

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