第6話 薄羽の秘密 6\12(水)
「遅いですよ先輩!」
待ち合わせ場所に向かうと、すでに到着がしていた薄羽が言った。
時は夕方。昼休みにカラオケに行くことにした俺たちはお互い一度家に帰り、私服に着替えて午後5時30分に駅前に集合する約束になったいた。制服のままカラオケに行くのも抵抗があるし、何より薄羽が着替えたいと言ったのだ。
「ごめん、何着てくか迷っちゃって」
「女子か!」
女の子がデートに遅れて来たときの言い訳みたいなことを言った。勿論冗談だが、実際に何を着て行くか迷った。何せ女の子と二人きりで遊びに行くなんてことは今まで経験したことがない(妹の柚葉は除く)。どのような服を着ればいいのかわからなかったので、それとなくリビングのソファに寝転がっていた母に訊いたらノリノリでコーディネートしてくれた。デートと勘違いしたらしい。最後に頑張ってね!と言って送り出された。
「お、今日の先輩いつもと違いますねぇ〜」
「ワックスしてるからな」
今の俺はヘアワックスで髪を整えている。普通の男子学生なら当然の身だしなみかもしれないが、普段俺はヘアワックスをつけていないので硬くなった髪の感触が心地悪い。
「そういうお前もいつもと違うな」
「ふふん、そうですかぁ〜?」
薄羽は青色のブラウスの上から薄手のカーディガンを羽織り、ハイウエストのデニムを履いていた。
デニムによって薄羽のモデルのような長い脚が強調される。彼女もそれをアピールしているのか、腰に手を当ててポーズを取り、自慢げに脚を伸ばして俺に見せつけているようだ。全体的に身体の線が細い薄羽がそうすると、本当にモデルなんじゃないかと錯覚してしまう。
「あれ?もしかして見惚れてました?」
「ほざけ。いつも部活ジャージ姿のお前しか見てないから新鮮だったんだよ」
「ホントにぃ〜?」
いつものように俺をイジりはじめる薄羽。やはり後輩スイッチはオフのようだ。
駅前は人目が多い。薄羽とこんなやりとりを続けていたらいずれ知り合いに見つかってしまうかもしれない。そう思って薄羽を急かした。
「さっさと行くぞ。歌える時間が短くなるだろ」
「・・・あ、ちょっと待って下さい先輩っ!」
どうせ後ろからついてて来るだろうと考え、カラオケへ足早に向かおうとすると、薄羽からストップがかかった。どうしたんだと後ろを振り返ると、ぎこちない歩き方をする彼女の姿があった。
「どうした?」
「靴です」
薄羽の靴はヒールの高いパンプスを履いていた。どうやらヒールのある靴に慣れておらず、早いスピードでは歩けないようだ。
「ああ、悪い」
薄羽が来るのを止まって待つ。彼女が横に来ると、歩行のスピードを合わせて並んで歩く。
「いつもよりちっちいっすね先輩」
「お前がヒールの高い靴履いてるからだろうが」
ヒールのせいでただえさえ身長の高い薄羽がさらに大きく感じる。彼女の身長が175cm なので8cmくらいのヒールの靴を履いてるとなると180cmを軽く超える。
俺の頭頂部は彼女の肩より下に来ていた。
「・・・歩きにくいか?」
「そうですね・・・。私、こういう靴履くの初めてなんです」
「今まで履いたことないのか?」
「だって私がヒール履くと大っきくなりすぎちゃうじゃないですか。女友達とお出掛けする時はいつもフラットシューズです」
確かにただえさえ背の高い薄羽がヒールを履くと身長差が大きすぎて友達と会話しづらくなってしまうのかもしれない。
「男な人でも私がヒール履くと、180cmある人でも身長抜いちゃうんです」
なるほど、大多数の男性は女性に身長を抜かれることを嫌がるのだろう。
「じゃあ何で今日履いてきたんだ?」
「だって先輩なら私との身長差、気にしないかなと思って」
はっと薄羽の顔を見上げる。彼女は不安そうな表情を浮かべて俺に問いかけた。
「先輩は嫌ですか・・・?私がヒール履くの」
珍しくしおらしい態度で薄羽が俺に訊いてきた。
「いや、むしろ似合ってると思うぞ」
俺がそう答えると、横を歩く薄羽が固まった。突然立ち止まった彼女の顔を見上げると、その表情は驚きに満ちていた。
「・・・似合ってますか?」
小さな声で呟いた彼女の問いに答える。
「ああ。ヒールで薄羽の良さが活きてる」
「私の良さ・・・?・・・うひひ」
俺の答えを反芻しているのか、彼女は少しの間思案したあと、突然不気味に笑った。
「何がおかしい?」
「いーえ。今日ヒール履いてきて良かったと思っただけです」
そう言った薄羽は心底嬉しそうに微笑んだ。彼女の歩き方も軽快になっている。
「何をはしゃいでるのか知らないけど、ちゃんと足元見てないと転ぶぞ」
「そうなったら転ぶ前に先輩が助けて下さい」
「それは無理」
「ひどぉーい!こんな可愛い後輩がたのんでるんですよぉー!?」
「・・・仕方ねえな」
俺は観念し、可愛い後輩(本人曰く)のために手を貸すことにした。
薄羽がいつ倒れても助けられるように、俺は彼女の手を握った。
「・・・これでいいか?」
「えっ・・・」
手を握られた薄羽は俺の行動に目を丸くした。
街中で若い男女が手を繋ぐ。その行為の意味は知っている。だが今の俺には薄羽が転ばないように手を貸すという大義名分があるのだ。
「店に着くまでな」
「・・・」
薄羽を伺うと、顔を真っ赤にして固まっていた。耳まで赤くしている。こんなに恥ずかしがる薄羽は初めて見た。これはかなりのレア物かもしれない。
「ほら、行くぞ」
動かない薄羽の手を引っ張って歩き出す。彼女は大人しく俺の後ろを着いてきた。
「・・・」
彼女は黙ってはいるが、周りの視線が気になるようでキョロキョロ視線を泳がせている。
はたから見ると俺たちは身長差がありすぎて親子くらいに見える。子供が母親の手を引っ張って急かしている微笑ましい絵に見えるかもしれない。
薄羽はいつの間にか猫背になっていた。俺は彼女の猫背が心底嫌いである。何故なら俺の敬愛する薄羽の高身長を、彼女自身が否定しているように見えるからだ。
俺は立ち止まって彼女を振り返った。
「周りの目なんか気にすんな!」
「!!」
「その身長はお前の長所だ!他人からどう言われようと関係ない!自信を持て!」
薄羽は自分の身長にコンプレックスを抱いている。それを知ったのは彼女と初めて会った4月の新入部員歓迎会の時だ。彼女は猫背になり、部屋の隅っこで縮こまっていた。
俺はあまり会話に入ろうとしない薄羽に話しかけた。その話の流れで彼女の高身長が羨ましいと言った。すると彼女は自分が高身長なことで身に降りかかった不幸をひたすら言い連ねた。高い低いの差はあれだ、たまに身長コンプレックスを抱いていた。
「私、昔から背が高かった訳じゃないんです・・・。小学生までは周りの子と同じくらいだったんですが、中学校に入ってから唐突に伸び始めたんです」
薄羽は自分と俺が繋いでいる手に視線を落とすと、しんみりと話し始めた。新入部員歓迎会て聞いた話と全く同じ内容だった。
「あぁ。知ってる」
「当時付き合っていた男の子がいたんですけど、はじめは私より背が高くて頼り甲斐のある彼氏だったんです。けど私が彼の身長を抜いてしまうと、それまで優しかった彼は変わってしまいました」
お前のせいじゃない、とは言わなかった。彼女の言う通り、身長さえ逆転しなければ彼は豹変しなかったと思う。
「私の背さえ伸びなければ、彼はああにはならなかったはずなんです。それから私は自分の高身長を呪いました」
薄羽のコンプレックスの本質はそこにある。自分の身長で周りが不幸にさせている。そう思い込んでしまい、高身長=悪という等号が彼女の中で成り立ってしまった。
「いまだに男の人と話すのがダメなんです・・・。また怒鳴られて、殴られて、襲われる気がするんです。あの人みたいに・・・」
彼女の身長コンプレックスはそのまま男性恐怖症に直結している。お店や教員などの表面上の関係なら全く問題ないのだが、友達や彼氏といった踏み入った関係になるのが怖いのだ。彼女の前の彼が変わったようにこの人も変わってしまうんじゃないかと嫌でも考えてしまう。
事実、薄羽が俺以外の男性と親しげに話しているところを見たことがない。部活の男子部員とは世間話を交わす態度で、遊びの誘いには一切乗っからない。
今日の昼休み、松川が俺と話す薄羽が楽しそうと言ったのはこれが原因である。さらに彼女の男性恐怖症についてはほとんどの人が知らない。
「女の子にはモデルみたいで格好いいって言われますけど、そう言う子に限って自分の方が可愛いって心の中で思ってるんです」
一般的に身長が高い方がいい。そう言われるのは男性だけだ。背の高い女性は格好いいとは思われるものの、男女の関係では敬遠されると言う話を聞く。高身長フェチの俺からすれば、非常な嘆かわしい現実である。
「・・・だから先輩だけです。この身長を心から認めてくれたのは」
彼女が俺にだけ高身長を見せつけているのは、歓迎会の日からそうするように俺が頼んだからだ。彼女が自分の身長に自信が持てるようになるためにリハビリを始めたのだ。
始めて間も無く、なかなか俺と会話できない彼女に授けたのが後輩スイッチ。オンオフを自由に切り替えることで、部活の先輩の俺と男友達としての俺を好きに入れ替えられる。
男友達としての俺と話すのは彼女にとって苦痛を伴うものだったようでら始めはなかなか後輩スイッチをオフにできなかったが、2ヶ月続けた今ではむしろオンの方が少なくなった。
「認めてもらうんじゃない。認めさせるんだよ皆んなに」
ありのままの薄羽を受け入れてもらえるように、薄羽自身も変わらなくてはならない。これまで2ヶ月間、俺は彼女に言い続けてきた。
「私、あの時から変われましたか・・・?」
この2ヶ月間の特訓に成果はあったのか、と言う疑問を薄羽は俺に投げかけた。確かに克服にはまだ至っていないが、彼女の努力の成果は出ている。
「変わっただろ?現に今街中で高いヒールを履いて男と歩いてるじゃないか」
「それは瀬尾先輩だからです!!」
薄羽が俺の方を真っ直ぐ見つめて叫んだ。
「瀬尾先輩にしか、こんなことできません・・・」
薄羽はそう言うと俺の腕を掻き抱いて道端でしゃがみこんでしまった。
「先輩がこんなに協力してくれているのに、結局乗り越えられない。過去のトラウマに打ち勝てないんです!」
なかなかコンプレックスを克服できないのが悔しいのか、薄羽は涙声になって言った。
松川の言うように、薄羽は俺と二人で話すときだけとても楽しそうにしている。それは俺が彼女のコンプレックスを理解し、その克服の手伝いをしているからだ。いずれはそのことを知らない俺以外の男ともまともに話せるようにならなければいけないのだ。
「急がなくていい。まだたった2ヶ月しか経ってないだろ」
「そのたった2ヶ月で私の身長は5cmも伸びましたっ!!」
悲痛に満ちた叫びだった。
長身コンプレックスを持つ彼女にとって身長が伸びるのは病気が進行するのと同じ。
「もうこの2ヶ月だけで、周りの男子の視線が変わってるんです!」
男とは身長を気にする生き物である。それと同時にそれなりのプライドを持っている厄介な連中なのだ。自分より背の高い女子を奇妙なものを見る目で見てしまう。
高校入学時点では170cmだった薄羽も175cmになって多くの男子生徒の身長を抜いてしまったのだろう。彼らの視線が彼女の精神力をじわじわ削っていたのだ。
「もう止まって、と何度も祈りました。成長しなくなるように身体に悪いこともしました。だけど身長は伸び続けるばかり。伸びれば伸びるほど、みんなからの視線は冷たくなっていくのにっ!!」
よもやここまでとは思っていなかった。俺からすると薄羽のコンプレックスは改善しているように見えていたし、彼女がクラスで孤立するようなこともなかった。このまま時間さえかけていけばいずれ克服できるだろうと考えていた。時間は無限にあるのだから。
だが彼女にとっては違った。伸び続ける身長が彼女の心を蝕み、導火線の火が爆弾に向かって刻一刻と迫っていたのだ。
「済まない薄羽。気付いてやれなくて・・・」
「もういっそのこと、死んだ方がマシと思ったこともあります」
どれだけ辛かっただろうか。視線に怯え、自分の身体にも怯え続ける日々は。
「けどその度に脳裏に瀬尾先輩の姿が浮かぶんです。私のために協力してくれている優しい先輩。あの人の為にもまた頑張ろうって、そう思えるんです」
薄羽が俺を真っ直ぐ見つめてこう言った。
「だから先輩は私の命の恩人です」
俺の存在が、自殺という選択から彼女を踏み留まらせていたようだ。だが俺自身は大した事はしていない。ただ彼女のコンプレックスの克服をマネジメントしているだけである。同時に自分の欲求を満たしているが。
「どうして先輩は、ここまで私のためになってくれるんですか・・・?」
ここ2ヶ月間、リハビリを始めたときから何度も聞かれた質問だ。俺は聞き慣れた質問に対し、いつもと同じように言い慣れた回答をした。
「お前の魅力を皆んなに知ってほしかったからだ。そしてお前自身にも」
彼女自身が自分を受け入れることが克服への一番の近道だ。
「私にはわからない!教えてください先輩!こんな身長の何がいいのかっ!?男子からは妬まれるわ、可愛い服が似合わないわ、いいことなんで何一つないじゃないですか!?」
薄羽は癇癪を起こした子供のように泣き喚く。そんな彼女に俺は優しく答える。
「俺に見えない景色が見えるだろう?」
「この世の中には身長が足りなくて夢を諦めなきゃいけなかった人が沢山いるんだ。たとえばスポーツ選手だったり、モデルだったり。成績とか技術は努力すれば上達する。けど身長は違う。どんなに努力しても伸びるものじゃない」
巷では身長を伸ばす体操やらサプリメントやらが出回っているが、そのほとんどは身長コンプレックスの客から金を巻き上げる悪質な業者だ。何せ俺がやっても伸びなかったから。それでも奴らは"効果には個人差があります"を免罪符に阿漕な商売をしている。
「だから身長は天賦の才能なんだ。人々がどんなに願ったって手に入らない。それを君は活かしていない。授かった才能をドブに捨てようとしている。他の人が見ることを叶わない景色を見ることもせずに。お前の未来をお前自身が閉ざそうとしている、それが俺にはそれが我慢ならない」
俺も身長が足りないが故に夢を諦めた一人である。
やれる事は何でもした。遺伝子検査もホルモン注射も効果があると聞いたものは片っ端から試していった。しかし、そのどれも効果がなかった。残ったのは多額の請求書と絶望感だけだった。
「だから胸を張って生きろ!その身体を夢を諦めた俺たちに見せつけてやるんだ!嫉妬に満ちた視線も、奇妙なものを見る視線も全て跳ね返せ!私はアンタたちが持ってないものを持っていると、自信満々に前に踏み出せ!お前にしか見えない景色を、俺たちの代わりに見てくれ!」
俺の魂の叫びは薄羽に響いただろうか。薄羽は俺の話を静かに聞いていた。
「・・・私は普通の身長で普通の人生を送りたかった。今の私は、私には大きすぎる・・・」
「身長は大きすぎるなんてことはない。大きければ大きいほどいいんだ」
「じゃあ私がどんなに大っきくなっても、先輩だけは私のそばにいてくれますか?」
泣き顔のまま不安そうに問いかける薄羽。
この可愛い後輩を安心させるために、とっておきの決め台詞を言ってやろう。それが先輩として、いや、男としての義務だ。
「ああ。好きなだけ大きくなってくれ。お前がどうなっても、俺はお前を受け入れてやる」
「いいんですか、そんなこと言っちゃって?私、ホントにどれだけ大きくなるかわかりませんよ?」
「どれだけ大きくなってもそばにいてやるよ」
「大きくなったら、ちっちゃな先輩のことなんて見えなくなっちゃうかもしれません」
「どんだけ大きくなるつもりだ・・・」
「安心してください。もしそうなったら虫眼鏡で先輩のこと探しに行きますから」
「そのときはくれぐれも潰さないように頼むよ」
薄羽の調子が戻ってきたようだ。
薄羽は俺の肩に腕を回すと、カラオケに向けて歩き始めた。
「今日はいっぱい歌うぞぉー!なんだか今日は気分がいいのでリクエスト受け付けますよぉー!」
「あれ?お前カラオケ好きだったっけ?」
「一人で行くのは好きですよ?人前では歌いませんから」
「友達とは行かないのか?」
「曲の趣味が合わないんですよねぇ〜」
「お前の好きなジャンルって確か・・・」
「ヘビメタです!」
人々の喧騒で賑やかさを増す街には、夜の帳が落ち始めていた。
書き溜めた分を一気に投稿しました。