第1章 その1 『どんな病も、どんな傷も、治してくれる闇医者がいる』
——どんな病も、どんな傷も、治してくれる闇医者がいる。
「……はぁ、そんな大物がなんでまた貧民街に」
所々に黒髪の混じった白髪の少年が、貧民街の薄汚れた四角い箱のような脆い建物の上に立って、呆れたように呟く。
少年が見下ろす先には、ほとんど薄汚れた白一色の貧民街では目立ちすぎる紫色の白衣に、丁寧に手入れされた鮮やかな緑色の髪を片方だけ結っている眼鏡の男がいる。
赤の髪飾りを身につけており、長めの髪や顔立ちとも相まって女性のようにも見えなくもない。紫の白衣は新品のように綺麗なのに裾はボロボロで、本来、白衣には必要ないであろう継ぎ接ぎがよく目立つ。これがオシャレなのだろうか。
——確かに、その男は闇医者というに相応しい風貌である。
なので、少年は自分の身を隠そうともしない堂々としたその姿に呆れて溜息をついたのだった。
これでは自分はその件の闇医者である、と主張しているようなものではないか。
しかし、無防備に歩くこの男こそがどんな病も傷も治す闇医者で、今回の『仕事』のターゲットであるということは紛れも無い事実であった。
「特にボディガードを雇ってるわけでもねェし……マジであいつ、自己主張が激しいだけのマヌケ野郎なのかァ?」
やはり何度辺りを見渡しても、闇医者を守ろうとしている人物は疎か、闇医者を見ている人物は少年しかいないように思える。
何故か、ここ一帯には人だけがいない。カラスや虫はいるのに、人だけがいないのだ。
少年はそんなことを気にすることなく「今回の依頼も大したことねェな」と嘲笑い、建物から飛び降り、その勢いのまま闇医者目掛けてダガーを振りかざす。
「コイツを殺せば、貧民街からおさらばできるほどの大金が手に入るんだ……! どうせ死ぬなら、俺の為に死ね!」
自分に言い聞かせるように放った言葉と共に、自信満々に口角を上げ、闇医者の首元の赤いチョーカーごと抉るように繰り出された強力な一撃。
闇医者の首と身体を分断し、見惚れてしまうほど鮮やかな血飛沫が——、
否。少年の放った渾身の一撃は、闇医者が振り向きざまに片手で止めた。
完全に勢いを殺され、少年の身体が一瞬、宙で停止する。
「お金が、君の望みならまだ死ねないな」
「なッ」
少年はダガーを闇医者の手から無理やり引き抜き、その勢いで縦に横に回転しながら後退する。
手のひらからわずかに闇医者の血が飛び散ったが、闇医者は大して気にした様子はなく、やれやれと肩をすくめるだけだった。
——そして、予想外の展開に狼狽の色を見せた少年を鼻で笑い、わかりやすすぎる挑発をする。
「はは、頑張って殺してみなよ」
闇医者が人差し指を立て、指輪に軽く唇で触れ妖美に笑みを浮かべたことを合図に、少年はその顔を目掛けてダガーを振りかざす。
少年が次から次へと繰り出す攻撃を、次から次へと闇医者は受け流していく。
静寂に包まれた貧民街に、二人の足音と少年の荒い息、舌打ち、そして闇医者の楽しげな笑い声だけが響いていた。
「コイツ、バケモノか……!? くそッ、あたらねェ!!」
苛立ちのあまり声を荒げた少年に、闇医者は「あははははっ」と面白そうに笑う。何がそんなに面白いのか。少年はその余裕そうな表情をぐちゃぐちゃに切り刻んでやる、とより激しくダガーを振るう。
——が、その刃は一度たりともひらり、ふらりと舞う闇医者に触れることはなかった。
「馬鹿にしてんのかァ……!!!?」
「それなりに」
少年の問いに、闇医者はまるで披露していたダンスを終えるかのように一礼をして答える。少年は青筋を立て、懲りずにもう一度攻撃を繰り出す。
——パァンと破裂するような乾いた音がしたのはその時だった。
二人のやりとりを引き裂くようなその音と共に、少年の身体が無防備に倒れこんだ。