ボタンとマフラー
戦争を体験したある老婆の思い出話です。
「鶴子さん もう 満開ね 綺麗ですね」
今日は、ヘルパーさんと近くの公園にお花見に来ています。
「鶴子さん 毎年 お花見の時 その白い布 持って来るけど それ何ですか?」
毎年、満開の桜を見るとあの日のことを思い出します。
昭和20年 あの日も桜の花が満開でした。
当時、私は15才。
勤労動員で陸軍の飛行場で働いておりました。
ある日。
一機の隼がエンジンの故障で緊急着陸しました。
それが、和夫さんとの出会いでした。
「いやー まいった まいった!」
和夫さんはそう言って白い歯で笑いながら隼から降りて来られました。
小柄な方でしたが、がっしりとした体格の方でした。
「スロットルレバーの不具合です・・・ 今 この部品がないので・・・ そうですね 届くのは明日の
午後でしょうか」
「そうですか・・・ 宜しくお願いします」
和夫さんは階級の下の整備の兵隊さんにも常に敬語で話されていました。
和夫さんが兵舎の前で掃き掃除をいていた私に近づいてこられたのは今でも昨日のことの様に
はっきりと覚えています。
「ご ご苦労様です!」
和夫さんは私に軽く敬礼されて笑顔で兵舎へと入っていかれました。
首に巻かれていた真っ白なマフラーが春の柔らかい日差しに輝いていました。
次の日の午後。
兵舎の裏の土手の満開の桜の木の下に和夫さんの姿がありました。
和夫さんは座って桜の花を眺めておられました。
「ご ご苦労様です!」
「ご苦労さん・・・」
「もう 満開ですね」
「そうだね」
暫く私達は満開の桜を眺めてました。
「君 名前は?」
「な・・・ はい! 岡田鶴子です!」
「そう 鶴子ちゃん・・・ 元気一杯だね!」
和夫さんは、私の胸を見て
「ボタン 取れかかっているよ」
見ると制服の第一ボタンが取れかかっていました。
「針と糸 持ってる?」
「針と糸・・・ はい!」
私は肩から掛けてていたカバンから裁縫袋を取り出しました。
「付けてあげるよ」
「えっ!?」
「僕 裁縫 得意なんだ さぁ 上着 脱いで」
「・・・」
突然の事態に私の手は震えました。
だって、父親と兄以外の男の人の前で服なんか脱いだことがなかったからです。
和夫さんはにっこりと笑って
「裁縫するのも これが最後になるかも知れない 僕に付けさせてくれない?」
「これが、最後」と言う言葉が私の心に突き刺さりました。
私は顔から火が出るほど恥ずかしかったのですがお願いすることにしました。
「へー うまいんですね!」
「僕んちは 親一人子一人の家だから これぐらいは自分でしないとダメだったから・・・」
「そうですか・・・」
「料理も得意なんだよ」
「へー お料理も! 凄いですね!」
「母が病気がちでね」
「そうですか・・・ また お料理も 教えて下さい・・・ あっ!」
「教えてあげたいんだけど もう 時間がないや・・・」
「ごめんなさい・・・」
「はい 出来上がり!」
和夫さんはにっこりと笑って制服の上着を私に差し出されました。
「ありがとうございます!」
「お母さん お元気ですか?」
和夫さんは 桜の木を眺められました。
「この間の空襲で やられちゃったよ・・・」
突然、私は言葉が出なくなりました。
私も空襲で家族全員が死んでしまっていたからです。
「大学出たら 一生懸命 働いて 楽させてあげたかったんだけど・・・」
「わ・・・ 私もです・・・」
「えっ!?」
「私も 私も同じです・・・ お父さん お母さん 妹・・・ みんな やられました」
「そう・・・」
「おまけに 兄まで 特攻で・・・」
「へー お兄さんもパイロットだったの?」
「はい! 海軍の大尉さんです! 海軍兵学校出てパイロットになったんですよ!」
「それは凄い! 学徒の僕とは 月とスッポンだ!」
「将来は 大きな軍艦の艦長さんになるはずだったのに・・・ 一家全滅です・・・」
「そう・・・ 辛いこと 思い出させてしまったね ごめんなさい・・・」
すっかり、私達は意気投合して桜の木の下で座り込んいました。
「戦争が終わったら 旅客機のパイロットになりたいな」
「旅客機?」
「うん! それで 世界中の空を飛ぶんだ!」
「世界中の空・・・」
「鶴子ちゃん 今にね 飛行機でブーンて 世界中を旅行出来る日がきっと来るよ!」
「世界中を? ブーンって?」
桜の花の向こうには真っ青な空が広がっていました。
「石田少尉殿! 整備完了しました!」
「ありがとうございます!」
思わず私は、付けてもらったばかりの胸のボタンを引きちぎっていました。
「何するの! せっかく 付けて上げたのに・・・」
私はボタンを和夫さんに差し出してこう言いました。
「このボタン お守りだと思って持って行って下さい! でも でも・・・ 絶対 持って帰って来て
下さい! また 付けてもらいたいんです!」
それを聞いて、和夫さんはにっこりと笑って 何度も 何度も うなずいておられました。
和夫さんは首に巻いた白いマフラーを私の首に巻きながらこうおっしゃいました。
「鶴子ちゃん! どんな事があっても生きていくんだよ! どんな時代になっても生きていくんだ
よ!」
「はい!」
「岡田大尉殿の妹さんにお会い出来て光栄です!」
和夫さんは、にっこりと笑って私に敬礼されました。
その日の夕方。
隼は沈む夕日の光を翼に受けて飛び立って行きました。
「あら 鶴子さん 胸のボタン取れかかってますよ 帰ったら付けてあげますね」
「うううん いいの これぐらい自分でつけないとね」
車椅子に乗った私の頭の上から数え切れない桜の花びらが舞い落ちてます。
「鶴子さん! ほら 飛行機!」
見上げると、真っ青の空の中を白い飛行機雲の線が遠ざかって行きます。
「どこへ行くんでいしょうね?」
空を見上げて、私は、こう呟きました。
「ブーン・・・」
「令和」が戦争のない平和な時代になることを祈って。