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白銀の上宙、渦巻く極光の目から層が重く垂れて、一粒の雫が降りた。
その雫は、地上二十メートル程の位置で留まり、中に小さな青白い光を点した。
間を置かず、その青白い光が、発光を一際強めた、刹那、外膜が一気に弾け、一体の型が露になった。
それは、菱形の頭部にメスフラスコ型の胴体、独楽の足から成り、四つの球体を宙に侍らしていた。
青白い結晶体。
それは、煉獄へ堕ちた天使の魂――
またの名を〈堕天使〉という。
この世界にあってはならない魔力が、天使の魂を揺り起こし、その記憶の投影によってそれは、実体をもつ異形となって顕現する。
その実体を維持する源は、核と呼ばれ、球状の結晶で、赤い輝きを放っている。
〈堕天使〉の心臓部であり、また、動力源である核を内蔵する器は、あらゆる物理攻撃、属性攻撃に強い耐性を持ち、さらに、再生能力まで備わっている。
また、〈堕天使〉には学習能力が備わっており、魔法少女との戦闘で得た経験値は魂に蓄積され、直ぐに戦闘へフィードバックされる。
戦闘を重ねる度にバージョンアップされていく〈堕天使〉に、攻略法等というチートは存在しない。
魔法少女にとっては〈堕天使〉こそ、悪魔のような存在であるともいえる。
一体、〈堕天使〉の前に、何人もの魔法少女達がその命を散らしていったのか...
想像はしたくない。
だけど、〈堕天使〉を目の前にすると、無意識に浮かんできてしまう。
すぐにでも訪れるかもしれない、自分の凄惨な姿を。
胸の奥底、滲むように熱が広がっていく感覚。
息が詰まり、動悸が早くなる。
いつものこと。
そして、緊張とともに恐怖が、心を、そして体を蝕んでいく。
どんなに戦闘を重ねようが、決して慣れることはない。
今にも逃げだしたい。
ただ...
それは自ら死を選択するということ。
......。
す~す~すぴ~...
背負ってる風呂敷の中、何とも緊張感のない寝息が起こっている。
唐草模様の風呂敷から覗くこれーー 縦横三十センチ、白いモコふわの毛が全身を覆い、ちょこんとした角と四肢を携え、羊の姿形をしたファンシーグッズ ーーだが、悪魔の使い魔で、名をメーゲンドルドキャベルという。
使い魔とは、その名の通り、悪魔に仕えるもので、魔力回路を設えた傀儡に、地獄へ堕ちたさまよえる魂を込めて、造られるらしい。
この使い魔、主な役割はというと、
①魔法少女のスカウト
②魔法少女との連絡役
③魔法少女の育成
で、ある。
一番目。地獄に囚われている悪魔は、供世の敷居を跨ぐことができない為、その代わりに魔法少女をスカウトする役割を担うのが、使い魔なのである。
二番目。契約当事者間のあらゆるやり取りは、使い魔を通して行われる。その中でも一番重要なものは、魔法少女の命の源ある魔力の橋渡しである。霊象を維持する為に必要な魔力は、元の霊象の持ち主である悪魔の身に流れる魔力でないと、うまく馴染まず、拒絶反応を起こしてしまう為である。何となくドナーとレシピエントの関係に近いかもしれない。
三番目。使い魔は、魔法少女としてのスキルアップの為のトレーニング方法から、〈堕天使〉の基礎データの提供、果ては学校の試験勉強まで幅広く面倒をみてくれる。それは、主である悪魔の命につき、その救済を叶える為、〈果実〉を手に入れて来なければならない為である。
まあ、端的に言えば、魔法少女のマネージャーみたいなもの...かな。
この子も、この世界においては、便りになる非常に心強い存在ではある。
こう見えて...たぶん...。
「ベルちゃん、ねえ、もう!起きて!」
もにゃもにゃ。。
はぁ、いつものこと。
しょうがない...
いつもの手を使おう。
まず、風呂敷の膨らみを前に持ってくる、
そして、こう...角を、優しく、ゆっくりと擦る。
『...む、ひ、ぐっ、く、ひゃやーー』
やっぱり、これが一番手っ取り早い。
まあ、良く効くの。
角を擦るとくすぐったいらしい。
『何するんや!くすぐったいやんか。ん...どこや?』
「あれ」
〈堕天使〉を指差した。
メーゲンドルドキャベルが風呂敷の中で、器用に体を入れ換えて前を向き直し、指先を追って見た。
『...はぁ、ふぁ~あ』
メーゲンドルドキャベルが、寝惚け眼を擦りながら、風呂敷の中、何やらごそごそと一冊のメモ帳を取り出した。
"煉獄帳"
使い魔七つ道具の一つで、〈堕天使〉の形状、核の位置、相対的能力値、等々のステータスを記録したものである。
魔法少女と〈堕天使〉の戦闘の記録も勝率を上げるための、使い魔の大事な仕事の一つでもある。
故に、メーゲンドルドキャベル曰く、煉獄帳は、血と涙と汗の結晶らしい。
能堕天使
〈堕天使〉には、総合評価が付けられていて、その評価は、
上から、
①熾堕天使
②智堕天使
③座堕天使
④主堕天使
⑤力堕天使
⑥能堕天使
⑦大堕天使
と、七つの位に分けられている。
今回の相手は、下から二番目の強さ。
統計では、このクラスを相手に三割もの魔法少女達がその命を散らしている。
まだ良いほう...かな。
まさか、こんな風に考えられるようになるとは...。
と、言うのも上位三位はいずれも九割を越えるからかもしれない。しかも、熾堕天使に至っては、勝利した魔法少女の存在はまだ確認されていない...らしい。
〈堕天使〉についての多くは謎で、今のところどのクラスの〈堕天使〉に当たるかは運次第。
元の位置に戻ったメーゲンドルドキャベル。
『核の位置は頭部中央や。バァーンとやったるで!』
いつものことながら、なんともアバウトな。
「...うん」
バァーンとは、これのことだ。
私の武器、ステッキ。
これは、手元のスイッチを一度押すと魔力が充填され、もう一度押すことによって、先端から圧縮された魔力・魔弾を放つことができる、というもの。
このステッキは、一撃で〈堕天使〉の核を破壊できるだけの威力を持っている。
その反面、かなりの魔力消費を伴う。
魔力は、魔法少女にとって、人間でいう血液の様なもので、〈霊象〉の維持の為には必要不可欠なもの。
魔力が尽きれば当然、"死"が待っている。
魔力保有量は個々によって千差万別。
故に、攻撃にまわせる魔力量は自ずと決まる為、攻撃回数は限られている。
戦闘を重ねた末に導き出したリミットは十発。
私の場合、この内に倒さなければ、生き残れる可能性はゼロにも等しい。
......。
風呂敷を自らの体に結び直し、定位置である右肩に陣取ったメーゲンドルドキャベル。
『行こか、サフィ』
「うん、、行こう、ひーちゃん」
どうか...どうか、明日を迎えられますようにーー。