「歌姫の愛と呪縛の浮遊物」
死は突然に、そして平等に、誰にでも訪れるらしい。
もちろんそれは僕にも容赦はしなかった。
そう僕は死んだ。
いや、他者から生を絶たれたと言った方が正しいのだろう。
ある日の夜、気怠げに仕事を終え帰路についていた僕は、いつも通り最寄りの駅に着き、帰るための快速電車を待っていた。
何の狂いもなく、電車は向かって来た。
その時だった…僕は何かに背中を押された。
そして僕は電車の正面に身体の側面を強打した、四肢はバラバラになっていたそうだ。
ほらね。突然でしょ?
けど、どういう事か死んだはずの僕にはまだ視覚も、聴覚もある、だが誰にも、何にも干渉することはできない。
巷では、僕みたいなやつを「ユウレイ」って呼んでいる、大多数が僕をそれと言うのならそれなのだろう。
けど、今はそんな事はどうでもいい。
さてここから、僕の生きていた時の話をしよう。
なんて、つい最近なんだけどね。
僕はごく普通のサラリーマンだった、社会に溶け込み、時代に流された、ただの歯車だった。
年相応に交際相手もいた。
確か「朱音」って呼んでいた。
名前の通り明るくて、とっても歌が上手かったんだ。
「かった」って言うのはさ、つまり彼女はある日を境に歌えなくなっちゃうんだ。
ふつうに喋る事は出来てたんだけど、歌う事はなぜか出来なくなった。
彼女にとっては、それは大切なものを奪われたも同然、いやそれ以上のものだったのかもしれない。
でも、彼女は諦めなかった。
毎日、毎日歌い続けた。
春も夏も秋も冬も。
ああ言うのを奇跡って呼ぶのかな?
彼女は歌を徐々に取り戻していった。
最初の頃は単語に音を乗せるだけだったものが、日を重ねるにつれて、歌に聞こえるまでになった。
でも、僕は彼女の歌に違和感というか、異変みたいなものを少しづつ感じるようになった。
今までは、彼女の歌は「上手い」ぐらいにしか感じていなかったけど、歌を失ってからは歌詞もなるべくきくようにしていた、それは歌詞が彼女の思っていたことだったからだ、つまり歌すなわち彼女の考えていることになっていたからだ。
だからこそ、僕の違和感は日に日に強さを増して行った。
なぜかって?その歌が悲しみに満ち溢れていたからだ。
前の彼女が歌っていたのは、もっと明るい幸せを音にしたかのような、暖かい歌だったから。
全く反対の歌なら、音楽に疎い僕にでもわかる。
それは『鎮魂歌』のような『讃美歌』のような何かを鎮め、宥めているようだった。
けど、彼女にその事を伝えて、また歌え無くなってしまっても僕としては困るので、頭の隅にしまっておいた。
それが、僕を縛る縄だったとは知らずに。
「また、朱音、歌、上手くなったなぁ」
僕は彼女の歌が上手くなるのが憂鬱だった。
それとまだ説明してなかったね。
彼女が歌を失った「あの日」の真相。
何となく…とか、理由はない…とかだと、無責任なのかもしれないけど、あの日僕は彼女に別れを切り出した。
さっきも言った通り理由は特になかった、と言うより彼女を隣で見て「一緒にいる意味」を感じられなくなったって言うのが理由ならそうなのかもしれない。
別れたい。気持ちを伝えると彼女はカタカタと震え出して「嫌だ」と拒絶を声に出した。
案の定だ。自分で言うのもあれだけど、彼女は僕を好きすぎた、僕の思いとは対称的に。
脆弱な彼女の心に別れを受け止められるはずがなかった。
それを分かっていたのに、別れを先延ばしにした僕の優柔不断にも非がある、だから答えを待った。
一瞬でも答えを期待した僕は稚拙だった。
僕の別れ話を引き金に彼女は歌を失ったみたいだ。
責任を感じていた僕は、彼女が歌を取り戻すまで別れないと約束した。
言った通り彼女は歌を取り戻した。
でも僕は改心した、もちろん彼女と別れるのを。
2人でもう一度気持ちを確かめ合おうと思った。
また、彼女との生活が平凡になって、僕が一緒にいる意味を感じ始めたあの日。
今度は僕が死んだ「あの日」だ。
あの日のことをプカプカ浮かびながら、僕はよく考えていた。
この身体になった理由。
見たり聞いたりして感じることはできるのに、自分の感じたことは誰にも伝えられない。
これは何かの呪いかもしれない、またはそれに似たものか。
それについて一つ引っかかってることがあった。
いつか彼女がランチの席でぶっきらぼうに聞いてきたことだ。
「ねえ、もし大事なものが無くなりそうになったらどうするべきだと思う?」
僕はいつもの彼女の面倒くさい質問だと思い、ブラックのコーヒーを傾けながら適当に答えた。
「んーそれがもし無くなったらまた探せばいいじゃん」
頬を膨らませながら、彼女が正解を説明するかのように言った。
「あのねぇー、無くなってからじゃ遅いの!大事なものは近くに感じたいの!」
…………
僕の頭の中で、ばらばらの方を向いていた糸達が急に布を編み出したかのようだった。全てが繋がった。
彼女にとって僕は大切なものだったのだろう、だとすればそれが離れていくのは彼女にとって不都合なことだ、だから僕を縛り付けた。空に。
だからこそ強く思った、僕を殺したのは彼女だ。
それは必然的なことだったんだろうと思う。
別れを告げた僕はきっと離れていくんだろうと彼女は思ったはずだ、だから殺し動きを止めた。
そして呪縛をかけた。
方法は分からない、だからこの呪いの解き方も分からない。
色々考えて、僕はこの呪いを受け入れることにした。
そう、彼女の永遠の愛に抱かれて。
彼女は今日も笑って歌を口ずさんでいる。
今日も僕は……