Ⅸ
カイは、武道場の床に大の字になって転がっていた。
一本どころか、四天王を相手に、五十本近い掛かり稽古をやってのけたのだった。
四卿は午後にはそれぞれ用事があるため、午前が終わる頃には帰ってしまったが、カイはその後も続けて、ハルと地上で地稽古をした。
体力には自信のあるカイだったが、さすがに疲れた。 ハルが、隣で胡座をかいて、呆れたようにカイを見ている。
「皇子、休暇の意味って知ってますか?」ハルが言った。
「死ぬほど遊びまわるってことだろ」
ハルが目を瞬かせる。「……まあ、皇子がそういう認識のもとに動いてるんならいいですけど。でも、休暇終わった後で、後悔しても知りませんよ。疲れて、講義中に居眠りして、怒られるのは皇子ですからね。梟卿、もうとっくに戻ってきてるんでしょ?」
「爺ごときが怖くて皇子をやってられるか」カイがぶっきらぼうに返す。
ハルは「それはそうですね」と笑った。
梟族侯爵は、カイの養育係だ。前の内乱で負傷し、暫くの間、職務から遠ざかっていたが、数週間前に復帰した。実のところ、カイが唯一頭の上がらない人物だ。赤ん坊の頃から育てられたのだから仕方がない。
一度は命すら危ないと言われていた梟卿が、無事城に戻ってきたときは、心から嬉しいと感じたカイだが、三日後には、その厳格さに再び辟易しだした、というのが本心だ。もちろん、それも爺が健康であってこその不平と、カイは知ってもいるのだが。
「……ねえ、皇子」ハルが言葉を続けた。
カイは、ちらりと目をやった。「なんだ」
「四天王が羨ましかったんでしょ?」
「どういう意味だ」
「そんな感じでしたよ、四卿と掛かり稽古をやってたとき。向きになってたんじゃないですか?」
カイはチッと舌打ちをした。まったく、ハルは何でもお見通しだ。「そうなら、どうだってんだ」と、カイはふて腐れて答えた。
「どうってわけじゃないですけど。僕も、皇子の気持ちは分かりましたから」
「……そうなのか?」
「ええ。まあ、僕は皇子と違って、我武者羅にカッとはなりませんけどね」
「……悪かったな」 カイは唸った。
「悪かないですよ。カッとなってこそ皇子なんだから」
そう言って、ハルは涼しげに笑った。それから、少し真面目な顔になって続けた。
「……もともとは気の合わない同士だとしても、今は一緒に好きな飛武術が出来るんだから、本当に幸運ですね、四天王は。しかも、皆が皆、揃いも揃って強いから、切磋琢磨のし甲斐もあるでしょうし。皇子が羨ましく思うのは、仕方がないですよ。僕から見ても、今、皇子の周りに、そう力のある同年代はいないし、せっかく飛武術が出来るようになったのに、色々物足りないだろうな、と思いますもん。僕だったら、もう少しまともに皇子と渡り合えたと思うんですけどねえ」 と、残念そうにハルは言った。
「……ハルが賢者族なんぞに生まれてきたのがいけない」と、カイがぶつぶつと文句を言った。
「反論しませんよ、僕も同感です。皇子から、父に、いや、自然神かな?に文句を言ってください!」とハルも笑った。
翼族の国では、十二になるまで子供は分け隔てなく育てられる。誰もが、同じように初等学校に行くのだ。賢者族に生まれた子供も例外ではなく、ハルもカイと同じ武術専攻の初等学校に行き、同じような教育を受けた。
もともと、翼があってもまだ自由に使えるわけではないから、ハルに翼が無いことも、それ程目立った違いにはならない。地上のみで行われる剣術の稽古にハルが参加するのに、何の問題もおこらない。
そして、ハルは剣術が上手かった。多分、カイよりも上手かった。
幼い頃の精神構造というのは、奇妙なものだな、とカイは近頃思う。それこそ生まれた時から、ハルに翼が無いことなど知っていたはずなのに、それが実感として分かってはいなかった。だから、ハルは自分と一緒に空獲りに参加もするし、その後は共に飛武術家を目指しもすると、カイは漠然と信じていた。
今年になって、自分がすんなりと自由に翼を使うことが出来るようになってから、やっとハルが翼の無い賢者の一族なのだと、カイは体で理解した。翼が無ければ飛武術は出来ない。それに、賢者の一族は武術家になることを許されていないから、ハルは身体的にも、立場的にも、飛武術家になることなど出来ないのだ。
そうと思い知って、それでもどうにも納得できずに、なんとかハルに翼を探してやると思いたって、そこから、あの夏の冒険旅行が始まったのだった。
「……皇子と僕にとっては、成人が色々な終わりだったけど、四天王にとっては、空獲りが全ての始まりだったんですよね。そんなことを考えるのは無駄というのは分かってますけど、僕もやっぱり羨ましくなりますよ」
ハルが複雑な表情で、でも、笑いながら言った。
カイは、ハルの武術好きをよく知っている。どれほど飛武術をやってみたかったのかも知っている。一緒に育ち、一緒に稽古をしてきたのだから当たり前だ。
今年になって、ハルは潔く現実と向き合い、潔く悩み傷つき、また穏やかに笑うようになった。が、こうして、カイの前で、四天王が羨ましいと素直に言えるようになるまでには、想像を絶する葛藤があった。そういうことも、カイは知っている。賢者の一族が背負うものは大きいと、夏の間に学びもした。
カイは、しんみりとしてしまった空気を振り切るように、勢いよく起き上がった。「腹が減った。どこかに行くぞ!」
すると、ハルも、気持ちを切り替えたように明るく「そうですね」と答えた。「どこに行きます?」
「城に戻るのは面白くない。決闘市場にでも顔を出すか」
決闘市場というのは、無頼の飛武術家たちが、賭け試合をする場所だ。本来、上流階級に属するカイやハルが訪ねるべきところではないが、カイもハルも、馴染みの大工に連れられて初等学校時代から出入りをしている。夏以降、顔を出す機会がなかったから、久し振りに行ってみるかとカイは思ったのだった。
が、ハルがあっさりと返した。「でも、今日は閉まってますよ。明日ならやってるはずですけど」
カイは軽く舌打ちをした 。「……そうか、冬祭りだったな。皆、あちこちの広場で見世物試合をしているか」
「稼ぎ時ですからね」
「久し振りに麦酒が飲めると思ったが」と呟きつつ、カイは、残念そうに舌打ちをした。「じゃあ、どこに行くか。都に行っても、どうせまだ色々準備中だろうしな」 言いながら、カイは顔を顰めた。
と、ハルが何かを思いついたように膝を叩いた。「そうだ、皇子!神殿に戻りませんか?」
「神殿?」
「ええ、そう言えば、宮廷役者たちが、炊き出しをやってるんです」
「ヘエ、役者の炊き出しか、」とカイは頷いた。 「面白そうだ。そこに行くぞ」
すると、ハルが意味ありげに付け加えた。
「それとね、誰が料理してると思います?」
カイは訝しげにハルを見た。
「……まさか……ピコか?」
ハルはニッコリと笑った。
「その通り!」




