IV
<隼卿>
立冬。空獲りの儀式が行われる日の早朝のことだ。
隼卿は、誰よりも早く皇家鷲族闘技場にやって来た。あと数時間で、今年の空獲りが始まる。隼卿には、空獲りに並々ならぬ思い入れがあった。絶対に勝ってみせる、と固く心に誓っていた。
今年、隼卿は、隼族公爵の正式な後継者となった。隼卿が空獲りを迎えるその年、如月の月になっても、隼族公爵夫人に懐妊の兆しが全く見られなかったからだ。
翼族の爵位の継承は、男子優先の長子相続と定められている。長子が女子の場合、その女子が成人を迎える前に男子が誕生すれば、継承順位はその男子が先になる。が、隼卿にいるのは二人の妹だ。結局、弟の誕生は見ることがないまま、隼卿は成人を迎えた。
もともと、父である現隼族公爵が、男子継承に特に躍起になっていたわけではない。自然に任せるままで男子が誕生すればよし、という態度を若い頃から貫いていたし、娘を後継ぎとすることに何の異論もない人物だった。
だが、一族の中には、後継ぎの男子を望むものが多くいることを、女後継者である当人は良く知っていた。そのことで、父がもっと子を作らないのを長老連中から咎められてきたのも、その度に、すでに立派な後継者があると、父が長老連中を黙らせてきたのも知っている。父の信頼が厚いことも、自分が負うべき責任の重さも幼い頃から自覚してきた。
だから、隼卿は物心ついた頃から、父の信頼に足る、後継者にふさわしい人物でいられるよう努力をしている。翼族の社会では、女後継者の成人は、常に配偶者の選定と対になっているが、もちろん、そのことも承知している。成人と同時に遠縁の男子との婚約が内定したが、とっくに覚悟も決まっているし、文句を言ったこともない。結婚など、世継ぎが産めればそれでいい。それよりも、自分は立派な公爵になるのだ、と幼い頃から決めている。
実際、隼卿は決して出来の悪い後継者ではない。武芸も達者なら、学問にも秀でている。面倒見もよく、統率者の資質も十分と、初等学校でも評判だった。
それでも、女子であるというだけで、その資質を認めて貰えない。
今年、後継者として初めて臨んだ式典で、立派な王子のいる鷹族やコンドル族が羨ましいと面と向かって言われた時、表面上は父を倣ってやり過ごしたが、隼卿の腸は煮えくり返った。そして、その時、誓ったのだ。
(空獲りに勝って、私が鷹やコンドルの後継ぎ王子たちよりも優れた翼族であることを証明してやる)
世間的な評価が高いあの二人に勝つことで、自分に対する父の信頼が正当であることを証明するのだ。自分が誰よりも立派な「後継者」であることを、小うるさい同族の耄碌爺どもに分からせてやる。自分を蔑ろにしてきたことを、きっと後悔させてやる。そう、隼卿は固く固く心に誓った。
そんな理由があるからか、又は、単に性質が合わないからかは定かではないが、隼族の女卿は、同い年の鷹族とコンドル族の王子たちが大嫌いだった。両者とも容姿、武芸、学問に優れ、しかも後継ぎの「男子」だったから、幼少の頃から何かともてはやされるのを聞いて育った。初等学校時代、違う学校に属する彼らのそういう噂を聞いただけでも不愉快だったが、今年、同じ大烏伯の飛武術本館に所属して共に稽古をするようになってからは余計に嫌いになった。
一人は、親切面をしているのが気に食わない。もう一人は、淡々としているのが癪に障る。どちらも自信満々で、女にまともに武術が出来るか、という蔑みが態度に見え隠れしている。二人に憧れを抱く女子武術生が多いと言われているが、隼卿は心から馬鹿ではないかと思っている。何しろ隼卿が抱いているのは、間違いなく敵意と対抗意識だ。
ところで、翼族の子供は、成人するまで自由に翼を使うことを許されていない。武術の稽古も、初等学校では地上でのみ行われ、飛武術は空獲りに参加する年に初めて習うことが出来る。
隼卿は幼い頃から剣術が好きで稽古を重ねてきたが、小柄なせいもあって、地上ではなかなか実力を発揮することが出来なかった。しかし、飛ぶことと速さには自信があった。だから、早く自由に飛べるようになりたい、飛武術をやりたいと、ずっと願ってきたのだ。
今年、ついにその時は来た。始めたばかりの飛武術では、早速、持ち前の早さが剣術、飛行術と上手く噛み合って、既に一目置かれる存在になりつつある。近頃は、急に身長も伸び始め、腕力もついてきた。そのうち、飛武術の実力では、あの不愉快な王子たちを抜き去るはずだと自負している。
隼卿は、美しく晴れた早朝の冬空を見上げた。
もちろん、今日の空獲りにも負けるはずがない。自分には、冷静で戦略的な頭脳もある。この隼卿が、あの高慢な二人の王子の鼻を明かしてやる。そうして、世間の人々は、自分をこそ、最高の翼族の若者だと、もてはやすようになる。今日の空獲りの勝利は、その幕開けだ。勝算はある。勝つ自信もあった。やってやる。
よし、と新たに気合を入れると、隼卿はこれまで以上に熱心に、丹念に筋を伸ばして身体を温め始めた。
その時だ。
「おはよう!」という、独特の、澄み切った高い声が闘技場に響き渡った。
隼卿が声の方を振り返ると、丁度、少女のような顔立ちの少年が、競技場に下り立ったところだった。
美しい白鳥の翼をした、その美しい少年は、公家白鳥族の後継ぎ王子、白鳥卿という。
この白鳥卿には十二も年の離れた姉がいて、その人は長い間、隼卿と同じような境遇にいたという。白鳥族公爵夫妻は、第一子の後、子宝に恵まれず、皆が、一族の次期頭首は女性になりそうだと考え始めた時にひょっこりと男子が生まれた。白鳥族の誰もが狂喜したが、爵位を継ぐことに積極的でなかった姉が最も喜んだという。
それからは、愛らしい容姿も手伝って、この白鳥族の世継王子は一族の宝として大切に育てられてきた。
初めて会った時、隼卿もそうと納得がいった。白鳥卿は、とにかくおっとりとしていて可愛らしい。初等学校の入学式で出会ったのが最初だが、姉と境遇の似た隼卿に親しみを覚えたのか、その頃からちょろちょろと隼卿についてまわってきた。丁度その頃、白鳥卿の姉が嫁いでしまったせいもあったかもしれない。隼卿も継承権云々に関わらず、ずっと弟が欲しいと思っていたから、よく面倒を見て、以来ずっと二人は仲が良かった。
余談だが、白鳥卿の姉は皇家狗鷲族に嫁ぎ、現在、翼族皇太子妃となっている。だから白鳥卿は、今年生まれた鷲族皇子の年若い叔父ということになる。
「相変わらず熱心だねえ」と、のんびり白鳥卿が言った。
「当然だね。勝つつもりだから」と隼卿はそっけなく答えた。それから、「あんたこそ早い。やっぱり優勝を狙ってるの?」と白鳥卿をからかった。もちろん、白鳥卿が勝負ごとに興味がないのは、わかりきったことだ。
案の定、白鳥卿は「ウウン、そういうわけじゃないの」と愛らしく首を横に振った。
隼卿も笑って答えた。「わかってる。開始時間に遅れないか心配だったんだろ」
すると、白鳥卿は、再び首を横に振った。「ううん、僕ね、今朝が、子供でいられる最後の朝なんだなあ、と思って。だから、この子供のままの時間の最後を、きちんと味わおうと思ったの」
隼卿は、予想外の答えに呆気にとられた。なんと、翼族にとって、生涯最初で最大の競技会の朝に、これほど呑気に感傷に浸っていられるとは!
確かに白鳥卿というのは、感受性が豊かで、詩作も画も書も上手い。一応、次期白鳥族公爵として、武術のイロハを学ぶ初等学校には来させられたものの、それを終えたら芸術学館に進むのだろうと誰もが信じていた。だから、本人が、飛武術本館に進みたいと言い出した時は、周囲は本当に驚いたものだった。
隼卿も、こんなに物腰が柔らかくおっとりとしていて、本当に飛武術など出来るのだろうかと心配したのだが、訓練を始めてみると白鳥卿は驚くほど器用で飛武術が上手かった。
これならば安心と胸を撫で下ろした隼卿だったが、こういう時、やはり「弟」の武術家としての先行きが心配になる。武術家に必要なのは、生っちょろい感受性ではない。強さと打算だ。まず、この子には、闘争心とか、気迫とか、そういったものが足りない。勝負事に興味のない飛武術家が生き残っていけるわけがない。感傷に浸っているよりも、目の前の勝負事に勝つ方法を考えた方がいい。
隼卿は、思わず声を荒げた。「そんな心構えじゃ駄目だ!空獲りなんだよ!競争なんだ!そんなことじゃ、飛び立った瞬間にもみくちゃにされて、あんたの空獲りはお終いよ!そんなことになったら、飛武術家の端くれとしても、白鳥族の王子としても情けない!」
白鳥卿は、びっくりして目を瞬かせた。
「しっかりなさい!いい、今日は私の側から離れずに、開始の太鼓が鳴ったら、絶対に私についてくるのよ」それから隼卿は、少し声の調子を下げて囁くように続けた。「……私、少し遠回りをして人気のないところを飛ぶつもり。最初の人込みを抜ければ、後は私との争いだけよ。そこからは、私に勝つ気で飛びなさい!」
隼卿は最後の言葉を力強く言って、白鳥卿の腕をグッと掴んだ。発破を掛けるつもりだった。
が、当の「弟」は、「ウン、わかった」と頷いて、嬉しそうに、愛らしく笑った。
隼卿は、がっくりときて、ため息をついた。こりゃあダメだ、と思った。
仕方がない、これが蝶よ花よと育てられた、白鳥族の秘蔵っ子だ。心配だが、まさかこの白鳥卿を故意に傷つけたり、踏み台にしたりする者はいないだろう。自分の後について来させれば、込み合った危険な場所は無事に抜けられる。そうなれば、本人にその気がなくとも入賞はできるはずだ。
「……まあ、いいよ。今回はそれで」と、隼卿はため息まじりに言った。
この子の闘争心は、空獲りが終わってからゆっくり鍛えてやればいい。今は、ともかく空獲りだ。隼卿は、そう結論づけた。
「私はもうちょっと動いて身体を温めるけど、一緒にやる?」
「ウウン、僕、もう少し考え事をしていたいから、構わずにやって」
「わかった」
そう答えて、隼卿は、再び空獲り優勝の準備に精神を集中させた。
暫くすると、闘技場にちらほらと人が現れ始めた。
やがて闘技場の三分の一が人で埋まると、隼卿は運動を止め、白鳥卿を見た。白鳥卿は壁際に腰掛けて、真剣な眼差しで闘技場に集まってくる人々を眺めている。近寄っていくと、隼卿の背後を見つめて、「あ、」と呟いた。
「何?」
隼卿が尋ねると、白鳥卿は空を指差して言った。
「鷹卿だ」
隼卿が振り返って見上げると、鷹の翼の少年が闘技場に向かって飛んでくるのが目に入った。あの尊大な不愉快な飛び姿は確かに鷹卿に違いない、と隼卿は小さく舌打ちをした。
すると、唐突に、にこやかに、白鳥卿が口を開いた。「挨拶に行こうよ」
「挨拶……?」と、隼卿は訝しげに返した。「私があれを嫌いなの知っているだろう」
「でも、同じ館の仲間じゃないか」
「知らないね」
「鷹卿はねえ、話すといい人なのよ」
それを聞いて、隼卿はショックを受けた。すぐには言葉が出なかった。少しの間、ただ、まじまじと白鳥卿の顔を見つめた。
「……いつの間にあんなのと仲良くなった?」
「あのね、近頃、画のお師匠さまのところで顔を合わせるのが多かったの。卿の弟君が……、」
白鳥卿が一生懸命説明しようとするのを、隼卿は手で遮った。
「いや、もういい。挨拶に行くなら一人で行ってきな。私はその辺を飛んでくる。時間までには帰ってくるから、あんたもそれまでには切り上げておいで」
そう言い捨てて、隼卿はさっさと飛び去った。
鷹卿の弟だか何だか知らないが、自分こそ可愛がっている弟に裏切られたような気持ちになっていた。
が、その取り残された「弟」が、驚くほど大人びた、冷静な瞳で自分を見送っているのに、もちろん隼卿は気がつかなかった。
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