Ⅱ
その日、カイとハルは、久しぶりに共に稽古に出かけることになっていた。
国を挙げて冬至を祝う冬の祭りの三日間は、二人に久しぶりに与えられた自由時間だ。一年前の空獲りの頃までは、毎日のように自由に二人で剣術の稽古に励んでいたものだが、今の二人の生活は、当時と全く異なるものになっている。どちらも日々勉強に追われて、気儘に一日を過ごすことなど、特別な祭りの休暇でもない限り不可能だ。
だから、カイは尚更この日を心待ちにしていた。
ラルを神殿へ送り届けて、二人は厩の前に戻った。ハルがさっと中に入り、すぐに自分の乗鳥を引いて出てくる。ハルの愛鳥は白い羽の優美な鳥で、名をファラドという。
ハルがヒラリと飛び乗ると、ファラドは大きな両翼を羽撃かせた。カイも翼を広げ、次の瞬間には、どちらも空へと飛び上がっていた。
「大烏卿のところですよね?」 と、羽音にかき消されないように、大声でハルが叫んだ。
「ああ!」
すぐに二人は神殿の上空を横切り、西の方角へと飛び始めた。
神殿が立つ賢者の搭のすぐ下には、低く広い卓上台地がある。その頂に広がるのが翼族の都最大の市街地だ。最古と言われる市場もある。すでに天幕が張られ、出店が並び、市場は人々で溢れている。家屋や街路は、山茶花や椿や南天やあらゆる冬の植物で飾られ、街全体が祭りの始まるのを、今か今かと待ちわびている。そういう空気に満ちている。この時期の、翼族の都の風物詩だ。
市場の上空を飛んでいて、カイはふと奇妙な錯覚に陥った。
目の前に広がる全てがこれまでの冬と変わらない。この一年の出来事が全て夢だったような気にさえなってくる。馴染みの大工に連れられて、こうしてハルや初等学校の剣術仲間たちと気儘に飛び回っていたのが、つい昨日のことに思えた。
が、鳶の翼の衛兵の一群が、すれ違いざま空中停止の最敬礼をするのに出くわして、カイは現実に引き戻された。衛兵たちは国境の警備に行くのだろう。カイも然るべき礼を返した。隣では、ハルが衛兵たちに祝福の言葉を与えている。若干高揚した面持ちの衛兵たちは、すぐに飛び去っていった。
ハルが、揶揄うようにカイを見た。カイは、仕方ないだろう、と肩をすくめた。祭りの期間は無礼講だが、二人にはそういう義務がある。
カイは、現翼族皇帝の第一子で、今年から正式に翼族の国の皇太子になった。ハルは、皇帝の特別政治顧問、筆頭賢者の息子で、後にその職を継ぐ立場にあり、俗に継承君と呼ばれている。同じ年度に生まれた幼馴染で、共に十三歳。翼族のしきたりでは、丁度成人を迎えたことになる。 現在、翼族の国で最も権威のある若者二人だ。
ちなみに、「空獲り」というのは、翼族の成人の儀式だ。その年に十三になった若者全員が参加して、飛ぶ速さと高さと強さとを競う。国境山脈の頂上に聳える「見張りの塔」に最初にたどり着き、祠の前で待つ神官から勝剣と呼ばれる懐剣を受け取った者が勝者だ。空獲りは、翼族の誰もが、毎年見るのを心待ちにしている競技でもあって、それに勝つことは、翼族の民、最大の名誉だとも言われている。
市街地を越え暫く飛ぶと、前方に一際高い塔型台地が見えてきた。その頂に、立派な館が立っている。大烏伯の屋敷だ。屋敷の後方にもう一つ、背の高い堅牢な建物がある。
二人は、その後方の建物の正門前に下り立った。古めかしい木の門札に、大烏伯飛武術本館と彫ってある。
建物の中からは、刀を交わす音と、時折笑い声も聞えてきた。
ハルが素早くファラドから飛び下り、手綱を門番に預けた。それから二人は連れ立って建物の中に入っていった。
二人が入った先はだだっ広い武道場で、二組の剣士が、空中で剣を交えていた。二人に気づくと、四人は剣を収めて地上に下りてきた。
開口一番、「この度は、誠におめでとう御座いまする」 と、浅黒い肌の、一番身体の大きな男がカイに言った。低く、味のある、深みのある声をしている。コンドル卿だ。
「全く見事な飛びっぷりでしたな」 と続けるのは、端正な顔立ちの、一見冷たそうにも見える男だ。鷹卿。今年の皇覧飛武術闘技大会の覇者だ。
「まあ、当然と言えば当然ですわね。皇子お一人だけ実力が抜きん出ていますもの」 と言うのは、唯一の女性、隼卿だ。長い焦茶色の髪を女性らしく三つ編みにして、後ろに垂らしている。 が、その眼差しは、笑っていても男性よりも強く鋭い。
その隣で静かに微笑む、色白で女性のように優しげな面立ちの男を白鳥卿という。
この四人は、それぞれが、四大公家と呼ばれる翼族の四大豪族頭首たちの後継ぎだ。たまたま全員が武術に秀でていたせいで、翼族の民から絶大な人気があり、四天王などと呼ばれている。
翼族の民は、そもそも好戦的で武術を愛好するのだが、飛武術と呼ばれる、飛行術と剣術を合わせたような空中での武術は、特別に人気がある。
四人は、師範である大烏伯公認の飛武術家で、目下、自他共に認める翼族最強の面々だ。現在、数ある飛武術の大会の優勝杯は、ほぼ全て四人の手中に収まっているし、最も権威ある皇覧飛武術闘技大会の、ここ数年の四強もこの四人で占められている。
今年の夏、カイとハルは、ひょんなことから、この四人と国外を旅した。以来、翼族の国に戻ってからも仲が良い。
「いや、今年の空獲りに勝ったのは、そんなに凄いことじゃない。他の奴らが皆、情けなかったからな」と言いながら、カイは肩をすくめた。
「確かに皇子の一人舞台でしたね。僕が開始の大太鼓を鳴らして振り返ったら、皇子、もう地上にいないんだから!重石が外れたみたいで、地上に戻ってきたのが不思議なくらいですよ」 と、笑いながらハルが言った。
すると白鳥卿が、柔らかい声でハルに言った。「そういえば、継承君も急遽の大役を立派に務められました」
「……ええ、おかげで今年の空獲りも見ることができました。皇子の雄姿が見られましたから、役得ですね」ハルは、そう答えて、悪戯っぽく笑った。
翼のない賢者の一族は、成人しても空獲りに参加はしない。代わりに、神殿の内広場にある大滝の前で成年の禊を行う。だから、自らの成人の年だけは、空獲りを見ることができないのだ。
しかし、ハルは特別だった。禊を前日に済ませて、成年祭司神官として参加した。儀式を執り行う立場にあった神官が、前の内乱の関係で不在だったから、ちょうど成人を迎えたハルが代行を務めることになったのだ。
幼い頃、カイは、ハルは自分と一緒に空獲りに出るのだと、当たり前のように信じていた。ハルは、翼の無い賢者の一族なのだから、そんなことはありえないのだが、まだ現実が現実味を帯びていなかった頃のことだ。だから、本当は叶うはずがなかった、幼いカイの頭の中の未来図が、形を変えて現実になった、というところだ。
と、ハルが、ふと思いついたように続けた。「そういえば、卿たちの空獲りは、大変な争いだったでしょうね。四人が同じ年だったわけでしょう?」
すると、四天王と呼ばれる面々は、複雑な表情をして顔を見合わせた。
「……まあ、大変といえば、」と コンドル卿が言う。
「大変でしたかな」 と鷹卿が続けた。
隼卿は、決まり悪そうに顔を背けた。
白鳥卿だけが面白そうに声をあげて笑った。
カイとハルは顔を見合わせた。何か興味深い出来事があったに違いない。
カイが「優勝したのは誰だったんだ?」 と尋ねる。
隼卿が「……皇子のお血筋よ」 と、怨めしそうに答えた。 それから、心底悔しそうに「馬鹿どもの往生際さえよければ、私だったのに」 と付け加えた。
コンドル卿と鷹卿の目が光った。
「おい、馬鹿どもとは誰のことだ」
「我らのことではあるまいな」
「あら、他に誰が居て?」と隼卿が冷たく答える。
コンドル卿が声を荒げた。 「お前は姑息な抜け駆けをしようとしただけだ!はっきりさせておくが、この鼻持ちならん男が潔く負けを認めさえすれば、俺が順当に勝っていたはずなんだ!」
鷹卿が眉を顰めた。「……その、鼻持ちならん男というのは、」
コンドル卿は、しまったという顔をして、バツが悪そうに鷹卿の言葉を遮った。「なに、一寸した言葉の綾だ。許せよ」 それから、ごまかすように豪快に笑って鷹卿の肩を叩いた。
が、鷹卿は、表情一つ変えずに、「許すも何も、そもそもお主に礼儀などは期待しておらぬ」 と返した。
それを聞いたコンドル卿が顔を顰めて、「お前はまったく変わらんなあ。愛想もクソもあったもんじゃない」と呟いた。
鷹卿は意に介する様子もない。淡々と、「それと誤りを正しておこうか。あの時、最初に頂に着地したのは私だ。当然、潔く負けを認めるべきはお主で、然るべき勝者は私だった」と続けた。
「何を言うか、そりゃ間違いなく俺だ」と、コンドル卿。
「いや、私だ。確かにお主は当初私より半身ほど先んじていたが、頂に足を着けたのは私が先だ」
「それは、先争いが始まってからのこと。塔の頂上に最初にたどり着いたのは俺だった」
「でも、勝剣の引渡しの口上を最初に言ったのは、私だったわ」と、隼卿が口を挟む。
「黙れ!お前は抜け駆けをしようとしただけだ!」
コンドル、鷹の両卿が声を合わせた。
「失礼ね。間抜けどもを出し抜くのは立派な作戦よ」
「間抜けだと?」
「聞き捨てならぬな」
そのまま、三人はまるで子供のような言い争いを始めた。仮にも四天王と呼ばれる、翼族随一の飛武術家たちが、だ!
白鳥卿だけが、黙ったまま、楽しそうに微笑んでいる。
暫くの間、カイとハルは、四人をポカンと眺めていた。
少しして、カイがハルの耳元で囁いた。「……おい、結局、誰が勝ったんだと思う?」
「隼卿は、皇子の血筋って言ってましたよ」
「フム、」カイは、白鳥卿を見て言った。「じゃあ、結局、勝ったのは、白鳥の叔父上だってことか?」
すると、三人は、言い争いを止めてカイを見た。
「……まあ、そうとも言いますな」と、コンドル卿。
「そこで、我らを一喝したのも、この男です」と、鷹卿も頷く。
「そういや、あの時、初めてこの子を恐ろしいと思ったんだわ」と、隼卿は身震いをした。
「恐ろしい?白鳥卿が? 」
カイとハルが驚いて声を合わせると、三人は神妙な面持ちで頷いた。
カイとハルは、優しげな白鳥卿の顔を見た。自らの姉に瓜二つと評判の、白鳥卿の顔も姿も、恐ろしさとは程遠い。
「……この三人に勝つ秘訣はね」と、当の白鳥卿が口を開いた。「無欲恬淡としていることなんですよ」
それから、バツが悪そうに顔を見合わせる三人を見て、白鳥卿はフフフと笑った。
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