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<ヒノヒコ(ピコ)の空獲り>
皇家鷲族闘技場に向かって空を飛びながら、きっとここに来るのはこれが最後だ、とヒノヒコは考えていた。
(ここは、空獲りと、飛武術の大会以外に使われることはないんだから!アタシはもう武術とはオサラバしたのよ!)
人でごった返す闘技場に下り立ち、ヒノヒコは周囲を見回した。
興奮気味に話しながら、友人と最後の準備に励む者。緊張で青白くなって震えている者。余裕があるのか、もしくは頭がないのか、笑いあいながら互いを小突きあっている者もいる。
(でも、皆、結局子供ね)と、ヒノヒコは鼻で笑った。(これは、成人の儀式なのよ。単なる子供じみた勝ち負け競技なんかじゃない。一人一人がきちんと自身の目的を持って参加することに意義があるの。だから、本当は、皆、もっと厳かな気持でいるべきなんだわ)
その時だ。
誰かが、 「女男!」 と、揶揄うような調子で言って、ヒノヒコの横を駆け抜けていった。続けて、弾けるような笑いがやや離れたところで起こった。数人が固まって、ちらちらとヒノヒコの方を見ている。
それを冷めた目で眺めながら、きっと、初等学校時代に自分を冷やかして、随分と乱暴な嫌がらせまでしてくれた集団だわ、とヒノヒコは思った。
(初等学校が終わって一年近くも経つのに、何も変わっていないんだわ。まったく、今まで何をしていやがったのかしら。飛武術の稽古なんて、身体ばかりを使って、頭も心も使うことが無いに違いないわ。だから成長しないんだわ、可哀想に)
そんなことを考えながら、ヒノヒコは、随分と自分が強気にふてぶてしくなったものだ、とも思った。
(そういや、去年の空獲りの時期には、アタシはまだこんなに立派になってはいなかったわ……)
ふと、そうと気付き、ヒノヒコは自らの過去に思いを馳せた。
・〜・〜・〜・〜・
ヒノヒコは、代々続く皇帝の毒見役の家に生まれた。幼い頃から家業の訓練を受け、また、皇帝の食の安全を預かるという職業柄、自らの身を守る術を心得ているのは当然と、武術を学ぶ初等学校へと入学させられた。一族の者は、皆そうする。
だが、ヒノヒコは武術が嫌いだった。むしろ幼い頃から、絵を描いたり、詩を朗読したりすることが好きだった。だから、武術を好む子供たちばかりの初等学校は、居心地が悪かった。どう頑張っても、真剣に武術の稽古に励むことは出来なかったし、武術の話ばかりをする周囲とも、話が合わない。
神話や叙事詩が好きで、その朗読ばかりしているから、他の子供に比べて、口が立つ。神話を劇に仕立て上げ、一人で男役から女役までこなして遊んだりもした。武術の稽古の合間に、こっそり神楽芝居や巫女舞を見に行っては真似をして、上手く演じる為に、よく女形の練習もしていたから、いつの間にか古臭い女言葉や、しなやかな身のこなしが板についている。加えて、背が高いほうでヒョロヒョロとしていて、しかも、孔雀族の中でも珍しい青髪をしているから目立つ。
自然と、ヒノヒコは、他の乱暴な腕白坊主たちの揶揄いの的になった。
口で冷やかされているうちはまだよかったが、年齢が上がるにつれ、それも性質が悪くなってくる。
ヒノヒコは家での毒見の訓練のせいで、身体や顔に発疹が出ていることもしばしばだから、気味悪がられて、時には小突かれたり殴られたりすることもあった。
それでも、争いごとの嫌いなヒノヒコが抵抗したりやり返したりすることはなかった。もともと、運動神経は悪い方ではない。急所に当たらないように殴られ続ければ、腕白坊主たちは、そのうち飽きて行ってしまう。初めから初等学校が嫌いなのだから、そういう目にあっても、それ以上嫌いになることもない。頭の中はいつも美しい叙事詩でいっぱいだから、現実がそれほど辛いとも思っていなかった。
(……そうだわ、アタシは、まだそんなふうだった。そういう生活が当たり前だったんだわ)と、ヒノヒコはつくづく思い返した。
が、転機は、昨年の冬祭りの後に、突然訪れた。
いつものようにヒノヒコを囲んで小突き回す腕白坊主たちを、蹴散らした者がいたのだ。一つ年下の、賢者の一族の少年だった。名前も知らなかったが、何度か合同稽古で見かけたことがある。快活で自信に溢れ、誰よりも剣術が上手かった、とヒノヒコは記憶していた。
腕白坊主たちが走り去ったあとで、 少年は訝しげに言った。『お前、どうしていつもそうなんだ』 心底理解出来ない、といった口調だった。
『そうって何のこと』
『何でいつも、そうやってやられ放題なんだ。急所に当てさせない程の力量があるなら、あれくらい本当は何でも無いだろう』
『……だって、そういうことには興味がないのよ』
『どういう意味だ?』
『乱暴は好きじゃないってことよ』
『じゃあ、何でここにいるんだ』
『私の意志じゃないもの。父上の命令よ。そうでなきゃ、芸術の初等学校に行っているわよ』
『行けばいいだろう』
『え?』
『武術が嫌いで芸術が好きなんだろう。分かっているなら芸術学校に行けばいい』
『でも、父上が……』
『学ぶのはお前だろう。父君に反対されると何か問題があるのか』
そう、あっさりと返されて、ヒノヒコは心底驚いた。
『お前、毒見の家の者だな。家業を継がなければならないのか。長子か』 と、続けざまに少年は尋ねた。
『……いえ。兄がいるから……』
『ならば、自由だろう。どうして必要もないのに嫌いな武術をやっているんだ。真剣に武術の道を志すものを馬鹿にしているのか』
『……そんなんじゃないわよ』と、ヒノヒコは口篭った。
実際の所、何故やりたくもない武術などを続けているのか、自分でもよく分からなかった。一族の者は皆、武芸を修めているから、当然自分もやらねばならないことと思い込んでいた。それ以外に理由など無かった。
ヒノヒコが答えられずにまごまごしていると、強い口調で少年は続けた。『やりたいことがあり、それが出来る身体があり、それを出来る立場にもいて、やらないというのは、愚か者のすることだ。でなければ臆病者だ。誰かが――父君が何もかもを用意してくれなければ、何も出来ないのか。情けない奴め』
蔑むように言い捨てて、翼の無い一族の少年は立ち去った。
『なんなのよ……』と、呟いて、ヒノヒコは顔を顰めた。
身分が上の者とはいえ、自分よりも年下の少年にそう悪し様に言われるのは、いい気持はしなかった。しかも、その言葉は、腕白坊主たちのどんな揶揄いの言葉よりも、ずっと鋭くヒノヒコの心に突き刺さった。
ヒノヒコは、その場に座り込んだ。
初等学校はあと十日あまりで卒業だ。その後は、家業の訓練を受けながら、大烏族が営む飛武術館へ進むことが決められている。家のもの全てが進む道だ。
ヒノヒコは、武術は嫌いだったが、毒薬と解毒薬の研究は嫌いでも不得意でもなかった。だから、修業期間を終え家業に従事するようになりさえすれば、生活はそれほど嫌なものではなくなる。もっと自由に好きな芸術に没頭出来るようになる、と考えていた。
が、好きな芸術そのものを生業にしようと思ったことはなかった。
毒見役の家は閉鎖的だ。家人が外へと出ていくのを嫌う。だから最初から諦めていた。そして、そういえば毎日が、現実逃避の日々だった。
そんなことをつらつらと考えていて、気が付くと泣いていた。驚いた。
が、一頻り泣いた後で、『私の場合は、愚か者というよりも、臆病者よねえ』と独り言を言って、ヒノヒコは笑った。
宮廷役者という職業があることを調べ上げたのは、その二日後のことだった。
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ヒノヒコが、ふと現実の闘技場に意識を戻すと、「女男!女男!」という冷やかしの声は、まだ続いていた。
(……空獲りを目前にして、こんなことをやっている余裕があるのだから、ある意味、この小坊主たちは肝が据わっているのかもしれないわね)とヒノヒコは思った。
初等学校を卒業した後、ヒノヒコは家を出た。勘当されたといってもよかった。飛武術館に行く代わりに芸術学館に入学し、必死で日々を過ごすうちに、あっという間に一年近くが経ってしまった。家からの援助が無いから、生活は楽ではなかったが、芸術に没頭出切る毎日は素晴らしかった。
しかも、芸術学館では、一人飛びぬけて奇妙な存在というわけではない。然るべき師と仲間に囲まれて、ヒノヒコの芸術的才能は花開いていくばかりだ。水を得た魚とは、アタシのことをいうのよ、とヒノヒコは自分と自分の生活を誇らしく思っていた。こんな幼稚な冷やかしが、今更気になるはずはなかった。
ヒノヒコは、ただ気の毒そうに、かつての初等学校の仲間たちを眺めた。
暫くすると、相手にされないことを悟ったのか、少年たちは、つまらなそうに闘技場の人ごみの中へ消えていった。
少しして、神官が祭壇へと上り、空獲りの儀式が始まった。
壇上の翼のない神官の姿を眺めながら、ヒノヒコは、あの少年のことを思い出していた。
(癪だけど、アタシがこうしてアタシの居るべき所に居られるのは、あのクソ生意気な賢者族のガキのおかげだわ)
今、あの少年がどうしているのかは知らない。相変わらず、自信満々に乱暴に剣術にでも励んでいるのだろう。
が、ふとヒノヒコは「あら、でも、賢者の一族って、武術家になんかなれたかしら?」と呟いて、思わず眉を顰めた。 そういえば、賢者の一族は、皆、神官になっている。
(じゃあ、あの子どうするのかしら。てっきり飛武術家になるんだと思ってたけど、そういえば翼もないんじゃないの)
そう思ったところで太鼓が鳴った。
皆が一斉に飛び立ち、ヒノヒコも翼を広げて空を目指した。
飛びながら、ヒノヒコは、『やりたいことがあり、それが出来る身体があり、それを出来る立場にもいて、やらないというのは、愚か者のすることだ』という少年の言葉を思い出していた。
もしかしたら、少年は、やりたいことが出来る身体ではなくて、それを出来る立場にもいないのかもしれない。
そして、目の前にある可能性をただ無駄にしていたヒノヒコを見るに見かねて、発破を掛けたのかもしれない。
(……もし本当にそうだとするなら、まったくあれはよくできたガキだわ)と、ヒノヒコは思った。
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