Ⅹ
大烏伯の飛武術本館を出て、カイとハルは再び神殿へと戻った。厩にファラドを繋ぎ、神殿の内広場を抜け、警護隊の番屋へと入った。
通常、警護兵の詰所になっている番屋だが、今は、役者や楽士たちの楽屋のようになっている。様々な格好の面々が、それぞれに準備を進めていた。衣装を合わせている者、化粧をほどこしている者、台詞合わせをしている者、調弦をしている者、歌って咽を温めている者、準備運動をしている者。カイやハルに気を留める者はない。番屋全体に奇妙な熱気があって、中の空気は蒸していた。
ハルは、こっちです、とカイを導いて、サッと番屋の反対側の扉を出た。
出た先は、小さな中庭だ。天幕が張られ、飯の良い匂いが漂っている。
その天幕の中央に、背の高い、孔雀の翼の男が立っていた。孔雀鳥の首の羽のような濃い青色の髪をしている。
「……いいこと、盛り付けにも美しさが必要よ。アタシたちのような美の奉仕者に奉仕されるものも、美しくあるべきなの。分かるかしら?」
孔雀男はクドクドと、雲雀翼の給仕たちに講釈をたれていた。奇妙な深みのある声で、奇妙に女っぽい話し方をする。頬に軽く紅もさしている。男は、手にした杓子からちょっと汁をすすり、納得顏で頷いた。
「ウン、お味は完璧ね。……まあ、アタシが作ってるんだから、当然よねえ!」
一人で話し続け、誇らしげに高笑いをする。奇妙な男だ。
「ヒノヒコ!」
ハルが声を掛けた。男はクルリと振り返る。
「アタシを呼ぶのは誰――アラ、継承君じゃないの」
ヒノヒコという名の宮廷役者だ。カイは、ピコと呼んでいる。やはり、前の冒険旅行の同行者で、二人とは、四天王と合流する前から数ヶ月、寝起きを共にした。若くは見えるが、四天王よりもずっと年上だという。美容と芸術とに命をかける、極めて破天荒な男だ。
と、すぐにヒノヒコ――ピコはカイに目を留めて、眉を顰めた。
「……そこにいるのは、まさか殿下じゃないでしょうね?イエ、殿下だわ。正に殿下よ。その粗野な立ち姿、野生じみた顔、横柄な態度、野蛮な目の光り具合、どれをとっても、我が翼族の次期皇帝――まあ、残念なことですけどね――皇太子殿下に違いないわ」
ペラペラと立て続けに喋り、ピコは、ホホホ、と愉快そうに笑った。
「随分ご無沙汰でしたことね、殿下!お元気?相変わらず傍若無人に生きてらっしゃるの?」
と、そこで言葉を切り、ピコは口に手を当てて申し訳なさそうにカイを見た。
「アラ、ごめんなさい、アタシったら、そんな当たり前のことワザワザ聞いたりして。殿下から傍若無人さを取ったら、なあんにも残らないじゃないの!大体、殿下が生きていらっしゃるってこと自体、傍若無人なんですものね!」
そして、また、ホホホ、と高らかに笑った。これで、実は悪気はない。
ハルは、あらら、という顔をして、鼻の頭を掻いた。
カイは舌打ちをした。それから、ぶっきらぼうに答えた。「まあ、今はまだやりたいようにやらせて貰ってるからな。それ位の自由はあってもいいだろ。いずれ皇帝になったら、クソ面倒臭い輩の面倒を全部見なきゃならん」
すると、ピコは、同情のため息をつきながら返した。「そうねえ、臣民の面倒を見るのは、権力者の義務だし、この国にも無頼の輩が増えていますものねえ。殿下も大変よ。お察しするわ!無頼だろうが無粋だろうが、国民なら面倒はみなけりゃならないんですもの。まあ、残念ながら、殿下が即位するまでにそういう輩が消え去ることは、まずないわよ」
「今も目の前にいるしな」 と、カイが、耳の穴をほじくりながらぞんざいに言う。
ピコは目をぱちくりとさせた。「アラ、なんのこと?」
「お前のことだ」
「何ですって?」 ピコは顔を真青にして、劇的に叫んだ。「殿下は、アタシが、クソ面倒臭い、無頼の輩だとでもおっしゃるの?」
「だろ?」
ピコは顔をさらに真青にして、一層劇的に叫んだ。「ンマア、何という侮辱!仮にも、翼族史上最高の芸術家である、アタシをつかまえて、無頼ですって?くそ面倒ですって?屈辱だわ!この美貌が目に入らないの?この溢れ出る才能が感じ取れないの?」
「は?何か仰いましたか、奥様?」 と、カイは、慇懃に返した。
夏の旅の間に、ピコの立ち居振舞いを揶揄って奥様と呼び始めたのだが、ピコが嫌がることを、カイは百も承知だ。
案の定、ピコは、キイイと叫んで癇癪を起こした。 「その呼び方お止めなさいって、何度言えば分かるの!アタシは、尊厳ある紳士なのよ!気風が自由奔放なだけなのよ!チョット、聞いてるの、殿下?」
「ああ?」 カイは、聞く耳もたん、という感じで、なげやりに答えた。
ピコは、怒りで真紫になって、金切り声を上げた。
「この、無礼千万で、横柄で、野蛮なクソ皇子!いったい何しに来やがったのよ!」
「メシをよこせ」と言おうと口を開きかけたカイを、ハルが止めた。
カイの耳元で素早く「食べられるものも食べられなくなりますよ!」と囁く。
途端にカイは口を噤んだ。
奇天烈な男で、カイとは反りも合わないが、ピコの料理は旨い。突然、カイの腹の虫がグウウ、と鳴った。
ハルはニコッと笑って、ピコに語りかけた。
「炊き出しの様子をね、見に来たんですよ」
が、ピコはツンケンとしてそっぽを向いた。
「アラ、そう。なら、見たら帰ってちょうだい。先に言っておくけど、こんな無礼極まりない皇子に食わせるものなんか無いわよ。アタシの美しい料理は、美への奉仕者だけが口にできるの。あんたたちみたいな野蛮な武術人に食わせるのは、ご免こうむるわ!」
「ええ、わかってます。まあ、僕たちには決闘市場の屋台あたりが丁度いいですし。後で行くつもりですから、安心してください」
「じゃあ、もう行けばいいわ。本当に、皇子にゃ、屋台の皿メシを腹一杯食らってるのがお似合いだものねえ」
「僕もそう思います。でも、その前に、ピコが神殿で炊き出しをやっていることを思い出したので、挨拶がてら見学にきたんです。考えてみたら、僕たち、ピコのちゃんとした料理を見たことがなかったんですよ」
「なら、もう見たわね。用が済んだら、とっとを皇子の首根っこ引っ捕まえて帰ればいいわ」
ハルは苦笑した。「ええ、そのうちそうします。それにしても、ピコの料理!草原の簡易料理であれだけ素晴らしかったわけだから、きちんと作ったら、さぞかし見事だろうな、と想像はしてきましたけれど……」
「どうだっていうのよ」
「これほど格調高いものとは思っていませんでした」
「……あら?」
「素晴らしいですね」
「……そうかしら?」
「ええ。城の料理長も驚く出来栄えです」
「……そりゃ、アタシの料理は品が良くて格調高いわ。本気を出せばこんなものよ。相変わらず、継承君はお目が高くていらっしゃるわ」
「こういう機会に、是非皇子にも、そういう品の良さを体験して貰いたいものです」
「……あら?」
「空獲りも済んだことですし、そろそろ皇子にもそういった品格を覚えて貰わないと」と、ハルはつくづくと言った。
「……そう言われると、そうかしら」
「ええ、やはりまずは食べるものから。皇子も、ずっと屋台飯ばかりが似合っていては困ります」
「……そう、教育、すなわち躾というわけなのね。……そう言われると、そうだわねえ。誰もが、アタシのように生まれながらに品があるわけじゃあないし。人によっちゃ、そういう常識を学ばなきゃならないのよ、殿下みたいに」
ピコは、同情的に頷きながら言った。
カイは、「いちいち癇に障る」と歯軋りをしたが、ハルが「食べたくないんですか」と言ってなだめた。
「……確かに、殿下にお品がないのは、殿下のせいではないわ。生まれもってこなかったものは、仕方がないというものよ。それを、あれこれ言うのは、可哀想だわ。……ヨシ、分かった!アタシの食の総合芸術を食べるがいいわ!そこから、品のかけらもない皇子に、美への畏敬の念やら品格やらを学び取って貰えるなら、アタシも本望というものよ」
そう力強く頷いて、ピコは、漆塗りの盆に、自慢の料理を美しく盛った皿や椀を乗せた。白身魚の唐揚げに色とりどりの野菜が入った甘酸っぱいタレをかけたもの、肉だんごの唐辛子煮、白めしに、しんじょの澄まし汁だ。甘味は杏の蒸し饅頭と甘露梨の寒天よせだった。
すっと目の前に差し出されたに盆の上には、全てが限りなく優雅に上品に盛ってある。
カイは、もっとよこせと文句を言おうとしたが、「つべこべ言わずに受け取りなさい、後でおかわりを貰えばいいんです」とハルに小声でたしなめられて、口を噤んだ。ハルは、ピコの扱い方を良く知っている。




