Ⅰ
今年の空獲りの儀式が済んでから、二週間が経っている。
翼族の国の人々にとって、空獲りは冬祭りの前触れを意味する行事だ。毎年、立冬の日に行われ、人々に冬の訪れを告げている。その後、大雪になると本格的に準備が始まり、国全体がにわかに浮き足立ってくる。
今年は、諸般の事情から、空獲りの儀式が大雪の日に行われたから、祭りへと向かう人々の意気込みもいつも以上に盛んだった。祭りの前の、沸き立つような独特の熱気は日を追うごとにさらに高まり、十四日目に頂点を迎えた。冬祭りの始まりだ。
普段より早くに朝食を終え、カイは急いで自室に戻った。素早く稽古着に着替えると、愛用の刀を掴んだ。鞘の革帯を腰に締めながら駆け出したが、扉の前で立ち止まり、舌打ちをして部屋の奥にある神棚まで戻った。神棚には、見事な装飾の懐剣が一匕飾ってある。それを掴んで懐に入れると、又クルリと振り返り、そのまま走って部屋を出た。
カイの真っ黒に日焼けした肌に、藍色の稽古着はよく映える。が、金茶の髪はボサボサのままだ。いつもなら、すぐ爺に「若様、身だしなみ!」と一喝される。今日はそんなことを気にしている暇はない。気にする必要もない。爺はどうせ城にはいないだろう。
カイは回廊を走り抜け、大広間に入った。
普段は静かな大広間が今日は活気に満ちている。晩には、ここで年に一度の大宴が催される。皆、その準備に忙しい。カイが広間に入っても誰も気がつかない。カイは、忙しなく動き回る人々の合間を縫って、足早に広間を横切った。
と、旨そうな肉料理の大皿が横を通り、思わず余所見をした途端、目の前で麦酒樽運びの人足が立ち止まったのに勢いよくぶつかって、カイは床に跳ね飛ばされた。「気をつけろ!」と振り返った人足が、カイの翼と顔を見て真っ青になる。カイは素早く立ち上がり、「無礼講!」と叫んでまた駆け出した。
大広間を抜け、カイは城の外に出た。ここでも各所で冬祭りの準備が進められている。城の入り口の大階段は、寒椿や柊で飾りつけられている最中だし、城の前に立つ皇家鷲族闘技場には、大きな祭りの高舞台が建てられようとしている。
翼族の都には、巨大な円柱形の岩山が、柱のように立ち並んでいる。その、地面から隆起したような、垂直に聳え立つ岩山の塔を、翼族の民は塔型台地と呼んでいる。
城も闘技場も、それぞれ高い塔型台地の上に立っているのだが、何羽もの巨大な貨物鳥が、二つの塔型台地を行ったり来たりして資材を運んでいる。雲雀や雁の翼をした大工や職人が、忙しそうにその合間を飛び回っていた。
カイは大階段を駆け下りた。すぐに背の翼を広げ羽撃かせ、神殿へと向かって飛び始める。その姿に気付いた人々が、慌てて手を休め頭を下げた。
カイは鷲族で、狗鷲の翼をしているが、茶色いはずのその翼はどういうわけか白い。本来、翼族の子供が、母方の翼を受継ぐことはないのだが、カイは白鳥族である母から、翼の色だけを受継いだらしかった。
カイの白鷲の翼は、民衆からの評判が良い。白鷲の翼は強さと繁栄の象徴なのだと言われている。だからカイが生まれたとき、国は七日七晩、誕生の祝いを続けたものだ。もう、十四年近くも前のことになる。
城の立つ塔型台地は、高等牢獄の搭を除けば国中で最も高く、皇搭と呼ばれている。神殿は、その横に聳える賢者搭の上に立っている。カイはゆっくりと旋回し、神殿の方へと下りていった。
やがて神殿前の広場に下り立つと、着地の勢いそのままに、神殿の中へと駆け込んだ。
いつもは静かな神殿も、今日は活気付いている。今晩から三日三晩、神殿の至る所で神話劇が上演される。宮廷役者や楽士たちが、神殿の広間を慌しく行ったり来たりしている。その合間を、神殿の本来の主である、賢者の一族が静かに行き交う。
神殿に住む賢者の一族は、翼族の国で唯一、翼のない一族だ。神事と法制とを担う神官たちで、ともすれば奔放に勝手気侭になりがちな翼族の精神的な錨となって、国に平穏と安定をもたらしている。この国で最も尊敬を受けている人々で、皇帝の特別政治顧問も、常にこの一族から輩出される。
カイは広間を抜け、神殿の中庭に入った。その中央に立つ古い桜の木の下に、小さな石祠があって、翼のない少年が二人、水を供えていた。
一人はカイと同じ位の歳で、真っ直ぐに伸びた黒髪を肩の辺りで切り揃えている。もう一人は幼く、茸のような髪型をしていた。二人とも白と藍の神官装束を身に着けている。
「おいハル!」と叫んで、カイは二人の元へと走っていった。年長の少年が振り返り、驚いたように声をあげた。
「あれ、皇子?」
カイがハルに会うのは、空獲りの儀式以来だ。 ハルの顔色は良い。元気そうだった。
「ずいぶん早いですね」
「久し振りの休みだからな!」と、 カイは勢い込んで言った。それから、不満そうに付け加えた。 「それに、今日は一日中自由ってわけじゃない。晩には式典に出なきゃならんからな」
「出なきゃならんって、当たり前でしょ、皇子、空獲りに勝ったんだから。本来なら喜ぶべきことなんですよ」 ハルが呆れたように言った。
「勝ったのはいいが、そういうのは面倒だ」 と、カイがぶっきらぼうに答える。
ハルは「まあ、皇子らしいです」と笑った。
と、澄んだ幼い声がした。「おはようございます」
茸頭の少年がぺこりと頭を下げた。 ハルの弟だ。
「おう、元気そうだな、ラル」
カイが笑いかけると、ラルは恥ずかしそうに下を向いて、もじもじと続けた。
「……ブッセもぼくも、元気です」
「そうか」
ラルの頭を撫でながら、カイはふと思いついて続けた。「そうだ、この休みの間に、お前のブッセに会いに行く約束だったな。今から行くか?」
すると、少年はパッと顔を上げ、目を輝かせてカイを見た。 「……ほんとう?」
「ああ。おい、いいか?まだ何か務めがあるのか?」
カイは、確認するようにハルを見た。
「いえ、今日はもう終わり。行くのは構わないですけど……いいんですか?せっかく早く起きたのに、今、厩に寄ったりなんかして。明日でもいいですよ」
「なに、大したことじゃない。行くぞ、ラル」
「はい、皇子、はい!」
カイが手を出すと、ラルは、嬉しそうにカイの手を掴んで歩き始めた。ハルが、並んで歩き出しながら、そっとカイに耳打ちをした。
「……よく思い出しましたね、その約束!」
カイは当たり前だ、というように肩をすくめた。 「約束は、したら守らんと爺がうるさい。まあ、これはちょっと時間がかかったけどな」
実は、カイがラルに「ブッセに会いに行く」という約束をしたのは、去年の冬祭りよりも前のことだった。 既に一年以上が経っている。
「……まあ、でも、あれからいろいろありましたしね」と、ハルが、少し感傷的な調子で呟いた。
「いろいろって、死んだり生き返ったりか?」
カイが冗談めかすと、ハルは「……ですね!」と言って吹き出した。
今だからこそ、こうして冗談にして笑っていられるが、実際二人は、この半年の間に、本当に死んだり生き返ったりする冒険の旅を経験している(ただし、それはまた別のお話)。
ラルに手を引かれて、カイは神殿付きの厩へとやって来た。厩といっても、繋がれているのは馬ではなくて鳥だ。
翼族の国は、大小様々の搭型台地の群れから成るから、生活に飛ぶことは欠かせない。普通の翼族には何の支障もないが、賢者の一族には翼がない。そこで、彼らが有するのが、賢者の乗鳥と呼ばれる大きな鳥だ。
今では、神殿で特別に飼育されているが、その始まりは、戦国時代、鷲族の王が翼のない友の為に北方山脈から生け捕ってきた、サピスと呼ばれる野生の大怪鳥だと言われている。
翼族の誰もがそれぞれ翼を持つように、賢者の一族は、それぞれが一羽ずつ自らの乗鳥を持っている。ラルの愛鳥の名がブッセと言う。
厩に入ると、ラルは一目散にブッセの元へと駆け寄っていった。
ブッセは灰色の美しい鳥だ。ラルを見ると、長い首を優雅に持ち上げて鳴き声を上げた。愛鳥の首をラルが撫でる。ブッセもラルに嘴を擦り付けてクークーと甘えて鳴いている。
乗鳥を大切にする賢者の一族の中でも、ラルのブッセの可愛がり方は際立っている。ブッセもラルに一際よく懐いていた。
「ブッセ、皇子がね、おいでくださったよ」 と、嬉しそうに言うと、鳥と顔を付き合わせるようにして、ラルはぼそぼそと何かを囁いている。
本当に会話をしているようだな、とカイは思わず笑ってしまった。
と、ラルがハルを振り返って、「……兄うえ、」と 控えめに言った。
「うん?」
「あの、ブッセが皇子におどってみせてもいいですかって」
「いいんじゃないか。せっかくだから、いつものやつをお見せしてごらん」と、 ハルが微笑みながら頷いた。「いいですか、皇子?」
「ああ」
カイが答えると、ラルは、「ハイ」と嬉しそうに頷いた。
ハルが、木の丸椅子を用意しながら、すぐ終わりますからね、とカイに目配せをした。椅子にどかっと腰を下ろし、カイは気にするな、と片手を上げた。
すぐに、ラルが歌い始めた。
ラルが歌うのは、伝統的な冬祭りの歌だ。ブッセはその音に合わせてゆっくりと羽を動かしている。
音と言葉と羽ばたきとが不思議に調和していて、案外、本当に二人(正確には、一人と一羽だが)は、心が通じ合っているのかもしれない、とカイは思った。
『ブッセは、ぼくのいうこと、わかるんです』
大人しいラルが、珍しく誇らしげな顔で言う姿が、カイの脳裏に浮かんできた。
……あれはハルの部屋での出来事だ。なぜかあの時、翼族の翼と、賢者の乗り鳥とを比べる話をしていた。
すると、ラルがやけに熱心に、ブッセの賢さを自慢してきた。翼は所詮、自分の翼でしかないけれど、自分たちの乗り鳥は友達でもある、とでも言いたげだった。カイは妙に感心してしまい、それなら、一度、俺もブッセに挨拶に行かなきゃならんな、ということになったのだ。
そうだ、あれは、去年の空獲りの直後だった。
一年前を思い返しながら、ラルが歌うのを見ていて、あの時からは、ずいぶん色々変わったが、こうして今年も、昨年と同じように冬祭りが過ごせているのは奇跡に近い、とカイは思った。
ほんの数ヶ月前まで、翼族の国はいつ内乱が起きてもおかしくないような状況にあったのだ。
不意に、様々な思いがカイの頭の中に浮かんできた。
国のこと、ハルのこと、賢者の一族のこと、爺のこと、夏の冒険のこと……。
ラルの甲高い歌声は、邪気がなく澄み切っていて、心に沁みる。
ラルが歌い終えて頭を下げた。ブッセも合わせて長い首を下げている。
カイはハッと我に返って慌てて拍手をした。
「歌がうまいな、ラル。楽師になれるぞ」
カイの言葉に、いつもは大人しい少年が顔を真っ赤にして喜んだ。
それを見て、カイは、しまった余計なことを言ったと思った。俺は相変わらずだ。考えが足りない。ラルは、本当に楽師になりたいかもしれない。幼い頃のハルが、剣士になることを夢見たように。
でも、賢者族は、皆神官になるのだ。
ハルをちらりと見たが、ハルは穏やかに微笑みながら、弟の頭を撫でている。
カイの胸が、夏の冒険旅行以来、久しぶりに強く痛んだ。




