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第2章 1



 第2章



   1


 昼時。

 家から車を飛ばして10分ほどの位置にあるファミリーレストランの店内に入り、そこでご飯を食べようとメニューを見ていると、目の前の席に若い男性の客がどっかりと座ってきた。

 本当にどっかりと自信満々な感じで座ってきた。

 誰なんだろう。

 武彦は誰なんだろうと思った。

 この人は誰なんだ?

 え?

 本当にこの人誰なんだろう。外見も全然見覚えがない。本当に誰だというのかな! わかったぞ相席だ。これは相席というやつなんだろうな。俺は相席というものを知っているぞ。俺は相席という文化を知っているんだ。

 昼時の客が多いときにするあれだろう。

 昼時に、どうしても客がさばききれないときに、もうすでに席についている客のところにほかの客を案内することなんだ。

 相成れない二人だけれども、とりあえず店の都合で席を一緒にしてもらって、それで食事を済ませてくださいというあれなんだろう。

 なるほど相席か。

 相席ね。

 アホか!

 相席だったら店員が一言くらい「相席よろしいですか」みたいなこと言わんかい! 相席よろしいですかということを俺に尋ねて、もうすでに席についている俺の許可を取らんかい! ここの店員頭おかしいんか!

 目の前にどっかりと座ってきた男が話しかけていた。「久しぶりじゃないか武彦」

 久しぶりじゃないか武彦? 

 武彦は目の前の男性の発言に驚いた。驚いたというかあっけにとられて思考が一時停止した。

 はて。

 どういうことなんだろう。確かに俺は武彦という名前で、そういえば生まれたときからこの名前一筋でずっと今までやってきているけれども、それにしてもどうしてあなたが? どうして今俺の目の前にいるあなたが俺の名前を知っているというのですかね。俺の名前を気軽に呼んできたというのでしょうかね。

 わからない。

 俺にはさっぱりわかりませんぞ! そして武彦はこういうことも思った。「あとこの男が誰なのかはまだわかりませんが、しかしもし俺の知り合いだと言うのならここの店員さんごめんなさい。客に許可も取らずに相席なんて頭おかしいんか、みたいなことを思ってしまってすみませんでした。相席じゃなかったんですね。連れだと思っていたんですね。だから相席ではないという判断の下『相席よろしいですか』という確認をしなかったんですね。そりゃごもっともですとも! そりゃ普通しませんよね。相席じゃない客に対して『相席よろしいですか』なんて確認をしてしまったら、それこそ頭がどうかしていると思われてしまいますよ。あなたの頭はまともだ」

「ああ久しぶりだね」武彦は目の前に座っている男性に対して言った。とりあえずは男性の話にこちらがあわせてみようというのである。

 何? 

 それはちょっとまずいんじゃなかって? それはちょっと人とのコミュニケーションの中でやってはいけないことなんじゃないかって? 知らないのなら知らないで早めに告白しておかないと、あとで辻褄が合わなくなって痛い目に合うのは自分じゃないのかって?

 知らんし。

 そんなん俺知らんし。だって「久しぶりですね」と声をかけてきたのは向こうだし、確かに俺はあんた誰? みたいなことを思っているけれども、でも向こうが久しぶりと声をかけてきたからには、向こうにとって俺という存在は久しぶりなんだろう。久しぶりで、かつてどこかで会って何か一緒に仕事でもした仲なのかもしれないじゃないか。

 でも昔一緒に仕事をした仲だからといって、そいつが急に「久しぶり」などといってファミリーレストランで向かい側の席に座ってくるなんてありえるか? それって普通に考えて常識的な行動の範囲内にあるか?

 どうなんだろう。

 いや。

 もう考えたってわからないのだ。それにあんたの存在なんて知らないと告白したところで、始まるのはお互いの激しい会話じゃないのか。

 激しい会話といって、いついつのどこどこでお会いしたじゃありませんかとか、こんなことをかついて一緒にした仲じゃないですか、という情報を羅列されるだけなんだ。それでもまだ相手のことを思い出せなかったときのことを想像してみてほしい。地獄じゃないか。そんなのただの地獄のような状況じゃないか。

 だったらもうそんな手間は省いてしまって、たとえ知らないなりにも知らないなりで適当に話をあわせてこの場を終わらせてしまったらいいんじゃないだろうか。

 本当に考えてみて欲しい。

 今日この人と再会したのはこの場だけのことで、冷静になってみたらもうこの人とはもう二度と会うことがないかもしれない。俺の人生にとってこれからも必要な人なのかそうでないのか。マジで考えてみればすぐにわかることだと思う。一度は別れた人なのだ。

 男が言った。「最近調子はどうなんだ」

「最近の調子ですか」武彦が答える。

「ああ最近の調子だ。俺はお前の最近の調子が知りたいんだ」

「俺の最近の調子が知りたいんですか」

「ああ知りたいね。だってなんとっても久しぶりなんだからな」

「そうですね。本当に久しぶりですよね」

「久しぶりだとも! 最近はどんな具合なんだ?」

「どんな具合といわれましてもね」

「何かよくないことにでも巻き込まれているのか?」

「いや巻き込まれちゃいませんとも」

「そりゃ良かった!」

「ええ良かったです」

「で、具体的にはどんな具合なんだ?」

「あなたが私と再会するのが久しぶりだということは、私にとってもあなたとの再会は久しぶりだということです」武彦は言った。

「そうなるな」

「私も気になり始めてきましたね」

「何が気になり始めてきたんだ?」

「あなたの近況ですよ」

「俺の近況だって?」

「ええ。だってそうでしょう! あなたが私の最近の調子を知りたいと思ったのならば、私だってそれをきいてあなたの最近の調子を知りたいと思うのはことの道理ですよ!」武彦は言った。そして本当に自分が相手の近況ともいうべきものを知りたいのかどうかを自らに尋ねた。

 それはわからなかった。

 本当に自分が相手の、いうならば見ず知らずの相手の近況とも言うべきものを知りたいと思っているのかどうかはわからなかったが、しかし話の流れから、知りたいと思うようになることはありえることだなと思った。

 それにもう言ってしまったのである。

 あなたが私の近況を知りたがっているように、私もまたあなたの近況を知りたいと思っているのだ、と。こうなればもう相手にも自らの近況というものをしゃべってもらうにほかない。

 しばらく男の顔を見ながら黙りこくっていると、いよいよ彼が口を開いた。「そりゃそうかもしれんな」

「そうでしょう!」すぐさま武彦が反応する。「私の言っていることはもっともですよ」

「もっともだろうな。もっともだ」

「でしょうね、もっともでしょうね」

「ということは、俺がまず始めに喋ればいいということなのかな?」

「お願いできますかね」

「どうしようかな」もったいぶったようなことを言う男。バカめ! 俺は実はそんなにお前の近況なんかには興味ないかもしれないんだぞ!

「ぜひお願いいたしますよ」武彦は言った。

「そうお願いされますとね」

「ええ、ぜひお願いいたしますよ」

「まあ私からお願いしたのが始めですからね。お願いするからには、先に自分から話をしなくちゃならないという感覚はわかります」

「でしょう? だったら本当にぜひお願いいたしますよ」

「わかりました!」男が言った。「では私の最近の調子の話ですね」

「ええあなたの最近の話ですよ」

「彼女と別れたんです」

「え?」

 武彦は少しびっくりして言った。彼の心境はこんな具合だった。「こいつマジで語り始めた。ついにこいつは自らの近況を話し始めやがったぞ。話を戻そう。こいつ誰なんだ。そうさ本当にこいつは一体誰なんだ。誰だというのかな。俺の人生の中のどんな役割を担う人物だというのだろう。申し訳ないが俺はあんたが誰なのかしらない。誰なのか思い出せていないんだぜ。それなのに俺はもうこいつの近況の話を聞こうとしている。それも彼女と最近別れた、みたいな比較的ヘビーな話をな! いや俺もともとお前と付き合ってた彼女のこととか知らんし。そもそもお前に彼女がいたって話も初耳だし」

 武彦は言った。「そりゃ大変ですね」

 男が答える。「ああ大変だったよ。大変だったというかね、本当にかなりショックな出来事だったんだ」

「ショックな出来事だったんですか」

「はいあれはショックな出来事でした」

「ただの別れだったわけじゃなさそうですね」

「そうなんですよ。かなりの修羅場がありましてね」

「修羅場があったんですか」

「ええあれはかなりの修羅場でしたね。修羅場と表現してもまったく問題ない状況でしたね」

「そんなに大変だったんですか! で、何があったんです?」武彦は尋ねた。

「包丁ですよ」

「包丁ですって?」武彦は男の発言をきいて、うわ一気に話が飛躍したなと思った。

 男が続ける。「はい包丁なんですよ。急に彼女が台所から包丁を持ち出してきましてね。それを私に向かって突き出してきたんですよ」

「刺されそうになったというわけなんですね?」

「まあ彼女が刺そうとしていたのか、切りつけようとしていたのかは今となってはわからないですがね」

「結局何もされずに済んだんですか?」

「彼女震えていましてね」

「ええ」

「包丁を持ち出してそれを構えてきたのはいいんですが、しばらく無言で対面していると、急に彼女がわなわなと震えだして、その場に包丁を落としてしまったんですよ」

「へえ」

「それでそのままその場で泣き崩れてしまいましてね」

「破局というわけですか」

「ええ破局ですね。あんなに怖い場面に遭遇したのは初めてですよ」

 武彦は男の話をきいていて、それでだからどうしてそういう包丁が出てくるような事態にまで発展してしまったんだ? 原因は何だったんだ? みたいなことを思った。

 ところがそういう疑問を持って男の顔を見てみると、彼はある程度自分の話に満足をしているようだった。武彦はそれを見て「まあそれならそれでいいか」みたいなことを思った。

 男が言った。「それで武彦の近況はどんな具合なんだ?」

 どんな具合かって?

 そりゃどんな具合かといわれれば、まあ別に変わったこともないし普段どおりといえば不断どおりなのだが……うん。

 だから普段どおりだね。

 そう。

 俺は別に変わったところなどないよ。特に普段の生活と変わったところなどないね。普通さ。最近の調子は普通だよ。悪いところもなければいいところも特にないって感じかな。あなたのように最近彼女と別れたとかそういうことはございませんよ。

「仕事が辛すぎてやめようとか思っている」武彦は言った。

「え? 仕事をやめるだって?」

 男が声を少し大きくしてびっくりしているような感じで言う。

 びっくりしているのだろう。

 そりゃそうだ。適当な雑談でもしようと思って「調子はどうだ」と話しかけているだけだというのに、いきなり「仕事をやめる」だのなんだのと重い話をし始めようとするんだからなあ! 本当にそんな今後の人生の大きく影響のありそうなことをぽろっとこぼすんだからなあ!

 しかし武彦はこう続けた。「もう本当に最近は毎日が辛くてね。朝起きるのなんてまるで地獄のようさ」

「地獄のようなのか」

「ああそりゃもう地獄のようだね! 何といっても朝目覚めるのが苦痛なんだよ。また今日も一日あの労働が待っているのかと思うと死んでしまいたくなる」

「死んでしまいたくなるほどなのか」

「そういうことってないかい?」

「まあわからないでもないがね」男がそう言って軽くうなずく「でも毎朝死んでしまいたいなどと思うなんて異常だよ」

「ああ異常だろうな」

「そうさ異常さ」

「俺も異常だろうなとは思っているんだ。だからもうこうなったら仕事をやめるしかないと考えているんだ」

「お前何の仕事をしているんだっけ?」

「工場」

「工場か……」

 武彦は男と会話をしながら、俺って工場に勤めているんだな、みたいなことをふと思った。

 いや工場に自分が勤めているという事実を今始めて知って驚いてるというわけではない。そういうわけではないのだけれども、しかしこうやって他人に対して改めて自分の仕事を発表してみると、ああ俺って工場に勤めているんだな、という風に感慨深く感じる。別にそのことに感動しているとか失望しているとかそういうことじゃなくってね。

 ただ単純に。

 ただ単純に、これ以上ないというところで「ああ俺は工場に勤めているんだな」ということをふと思ったというだけなのだ。

「何かあてはあるのか」男が言う。

「あてって?」

「仕事をやめて、ほかの仕事のあてはあるのか」

「いや今のところない」武彦は即答した。

「ないのか」

「ないんだよ。だからその次の仕事もままならないってところも今の俺を苦しめている原因さ」

「仕事は探しているのか」

「探していないね。働いているうちは、それどころじゃないんだ」

「それどころじゃないといっても、このままやめたところでどうにもならないぞ」

「わかってる」

「それじゃあ何とかして今の仕事をしているうちに次の仕事を見つけないといけないじゃないか」

「貯金はあるんだ」

「貯金があるっていったってな」

「わかってるよ。仕事をちゃんと見つけてからやめようとは思っているよ。でも俺としてみれば、本当に今の仕事をやめるという決断さえちゃんとできていないんだ」

「一体どうしたいっていうんだよ」

「わからん。だがお前が何度も最近の調子は? ときくから素直に答えただけさ。俺だってお前に話したように本当に今の仕事のことを苦しいと思っているのかどうかわからんね」

「もっと簡単に答えてくれれば良かったのに」

「え?」

「俺だってほとんど社交辞令みたいな感じで『最近どう?』と聞いているのだから『ああぼちぼちだね』みたいなことさえ言ってくれればそれでよかったのに」

 お前が彼女との別れ話と包丁をぶっこんできたんじゃないか! 武彦はそう思うと「本当に何なんだこいつ、こいつは一体何なんだ、俺の一体なんだというのだ、どういう知り合いだというのかな、俺だってお前のような得体の知れない奴に最近の悩みを打ち明ける気なんてなかったね、そんな気なんてなかったのだけれども、しかし気がついていたらこうなっていた、ただ気がついたらこうなっていただけという話なんだ、だから気にしないでくれたまえよ、あんまり俺の話にまじめに付き合うとしてくれなくて結構だから」などと思った。

「もしかして正樹?」武彦は言った。

「そうだよ。俺は正樹だよ。お前こそ武彦だよな?」男が言う。

「ああ、俺は武彦だよ。正真正銘の武彦さ」

 すると男はにこっと笑って「俺だって正真正銘の正樹さ。お前の友達の正樹だよ」

「俺の友達の正樹!」

「武彦!」

「久し振りじゃないか。お前こんなところで何をしているんだ」

「何をしているってお前が俺をここに誘ったんじゃないか。久し振りに飯でも食おうといって俺をここに誘ったのはお前なんだぞ、武彦」

「そうだな。先に連絡してお前をここに誘ったのは俺だった」

「そうさ」

「それでお前も約束どおりにここにきてくれたってわけなのか」

「そうとも」

「何でも注文してくれよ。俺も今からメニューを注文するところなんだ」

「おごってくれるのか?」

「いやおごらん」

「何だそうなのか」

「そうなんだ」

「とすると武彦も今からご飯を食べるところなんだな?」

「ああ」

「一緒に食べようぜ」

「バカだな。俺は始めからそのつもりで今日お前をここに誘ったんだよ」

「そうなんだ」

 目の前にどかっといきなり座ってきた男の正体は正樹だった。武彦の友達の正樹である。だから最初に懸念していたような突然の相席でもなければ、正体不明のわけのわからない登場人物というわけでもなかった。ただの知り合いだった。しかも武彦から誘っていた! 

 武彦は言った。「それで何を食べるんだ?」

「何を食べようかな」

「ここはファミリーレストランだぜ。きっとお前の食べたいものはあるはずだ」

「俺の食べたいもの?」正樹が言う。

 武彦は答えた。「そうさ。きっとここにはお前の食べたいものがあるはずだ」

「俺の食べたいものって一体何なんだ?」

「それは俺にはわからない。自分で自分にきいてみるんだな」

「自分で自分に?」

「俺は決まったぜ」

「決まったって何が?」正樹が言う。

「俺は自分の食べたいものをもう決めた!」

「何だって! 一体何にしたというんだ」

「ふふふ、それはウエイトレスのお姉さんがきてからのお楽しみさ。さあお前も早く自分の食べたいものを決めるんだ!」

「決めてやるさ!」

 正樹が意気込んだ。

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