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第二話 真っ赤な愛しさ



「なんか、辻切りが出るらしい」

 今日も失友(失恋の友情ヴァージョンだ)に咽び泣く僕の隣で、こな雪が思い出したように呟いた。

「そうなのか。……時にこな雪。今日はいつも通り、素晴らしい制服姿だな!」

「ふざけんなっ!! どう考えたってこっちの方が異常だろうがっっ!!」

 そう叫ぶこな雪の制服、本日はスカートが眩しい女子バージョンである。

 こな雪の美少女っぷりといったら、マジでパない。

 三年前の制服採寸時には男子にも女子にも混ぜることができず、個別に採寸が行われ、混乱した業者から意味不明に男女の制服が一着ずつ配送されてしまった。

 ナイス! 業者!!

 以来、こな雪は一日おきに男女の制服を交互に着用している。

 上着だけなら構わないが、シャツまで男女一着ずつしかないので、綺麗好きなこな雪は毎日制服を交換しているようだ。

女子verが火・木曜の週二日しか見られないのは若干不服だが……まあ、いい。

『それ、シャツだけもう一着買えばよくね?』という発言は、空気の読める恋文学園生徒一同、誰も口にしないのでマジで助かる。ありがとう。

「夏原先輩は本当にスカートが似合いますよね……。同じ女として、ひなは嫉妬心を抑えられないのです……」

「日向さん!? ご存知だとは思いますが、俺、男だからねっ!? 決して同姓じゃないし、女の子としての嫉妬を受ける謂れはないからね!?」

「確かに夏原のスカート姿は点数高いわよね……。脚細いし……。あんた、男なのになんでそんなに足つるつるなのよ?」

「別に処理とかしてねぇよ!? 変な想像しないでくれる!?」

「そうだぞ、灯。こな雪は元から美少女なんだ。美少女がムダ毛の処理などするわけがないだろう。こな雪に謝れ」

「俺が一番謝ってほしいのはあんたなんですけどねぇっ!!」

 ぜーぜー、と息をつくこな雪。

 おいおい。あんまヒートアップするなって。汗かいたら下着が透けるぞ。

 ……ん?

「そう言えば……こな雪、下着はどうしてるんだ?」

「……え」

「そう言えばそうね。下着以外の服は男女のものを交互に着ているようだけど、下着はどうなの? やっぱり、男物ばっかり?」

「そりゃあ、もちろん――」

「……夏原先輩、女子の制服に男物の下着をミックスして悦んでいるんですね……」

「ううっ!?」

 日向ちゃんの一言に、こな雪が詰まる。

「待ってください、日向さん。俺は別に男物をつけてるなんて言ってないでしょう」

「……なら、女物をつけてるの? うわー……。口では散々男アピールをしておきながら女物の下着を着用するなんて……あんた、本格的に変態ね」

「ううっ!?」

 あ、こな雪涙目だ。

 仕方ない。ここは僕が助け舟を出してやるか。

「二人とも落ち着け。こな雪が男女、どちらの下着を着用しているかなんて問題じゃない。もちろん、男女の服をミックスして悦ぶ変態か、女装趣味の変態かも関係ない。僕は、どちらでも……ありのままのこな雪を受け入れる覚悟がある!」

「ゆめんちゅ……」

 こな雪が天使を見つめるような瞳で僕を見る。

 フッ……当然だろ?

僕がこな雪を辱めるような真似など――


「……で、 ど っ ち ?」


「死ねぇぇぇぇぇぇぇぇええええええええええええええええええ!!!!!!!!!」

「ごふっ!?」

 しまった! つい心の声が!!

 こな雪の痛烈な右ストレートが腹部にダイレクトヒットし、床に崩れ落ちる僕。

 まだだ……! まだ終わらんよ……!!

「ふんっ!」

「げふっ! ……orz」

 ……スカートの中身を確認しようとしたら、普通に顔面を踏みつけられましたとさ。

「ていうか、別に夏原がどっちの変態だったところで、あたし達には関係ないのよ。そんなことよりも気になるのは……辻切り? が出たの?」

「いや、これだけ騒いで軽やかにスルーされる俺の下着もどうなんだ……」

「夏原先輩は、どっちの変態さんなんですか?」

「聞いてくれ、日向さん! この学園は今、辻切りの恐怖に脅かされているんだ!!」

 ……変わり身の早いこな雪でした。

「ああ……っていうか、その子、みんながいない間に相談に来てたんだよ……」

 よっこらせ、と床からよろよろ起き上がりつつ発言する。

 顔を上げると三人の目線が同じ台詞を伝えていた。『またか、コイツ』。

「まぁ、待て。落ち着け。確かに今回もその辻切り少女に告白されたわけだが……今回ばっかりは全然甘いものじゃなくてだな……」

 僕は若干遠い目をしつつ、今日部室に来る前にあった告白イベントを思い出した。



「夢人先輩のことが好きですっ!」

 目をぎゅっと瞑って、一気に告げられた。

 この子も一年生かな……? 先日の子と同じような、きれいな制服。

 僕の頭一つ半くらい低い位置にある顔は真っ赤に染まり、頭の左右でちょこん、と二つ結びにされた髪がぴこぴこと上下に動いている。

「……ごめん」

 偽善だとは理解しつつも、できるだけその少女を傷つけないために、端的に告げる。

「僕、今、誰かと付き合おうとは思えないんだ……」

「あ、いいです。付き合ってくれなくて、いいです」

「へ?」

 これまで何度かこんなシチュエーションを経験したことがあったが、この場面でこんな台詞が飛んできたのは始めてのことだ。

 思わず、友達フラグへの期待が高まる。

「付き合わなくていいんで……夢人先輩。私のために、死んではくれませんか?」

「なにその斬新な告白!」

 まさかの殺人予告だった!

 こ、これが真の愛というもの……なの……か?

「先輩……【Little Wing】に所属されていらっしゃいますよね? だから、お願いです! 私の幸せのために、死んでください!!」

 深々と頭を下げ、礼儀正しく、僕に『死ね』宣言をしてくる少女。

「い、いや……えーっと? うん。とりあえず、僕は今、かなり混乱しているみたいなんだ。自分でも分からないほどに。だから、順を追って説明してくれないかな?」

「じゅ、順を追って……む、無理ですっ! 私、そんなにガマン……できないっ!!」

 ハァ……ハァ……と、妙に色っぽく息をする少女。

 なんだ……? 僕は一体、なんのイベントに巻き込まれているんだ!?

「先輩……っ! 好きぃーーーーーーーーーっっ!!」

「ちょ、まっ!? なにその果物ナイフ!? ええっ、マジで!? マジで夢人さん絶体絶命なの!? い、イワーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーック!!」



「……的なことがあってね」

「「「いやいやいやいや!!」」」

 哀愁漂う表情で窓の外を眺める僕に、三人が三人とも全力で手を振っていた。

「なによ、それ! 完全に殺人未遂じゃないのっ!」

「ヤンデレですか!? ついにゆーと先輩も、ヤンデレを守備範囲に収めるところまで成長されましたか!?」

「っていうか、純粋にホラーじゃねぇかよっ! LWうちじゃなくて警察か病院に行けよ、そいつ!!」

 なぜか怒る灯。

 興奮して目をキラキラさせる日向ちゃん。

 スカートの裾を握り締め、部屋の隅でガタガタ震えだすこな雪。(可愛過ぎ!)

「……まぁ、変な人が多いからね、この学園」

「「「お前が言うな」」」

「ちょっと待った! 今回に限り、その返しは不適切だと上訴させてもらう!」

 辻切り少女の上を行く変態だとカテゴライズされてしまったその日には、僕の人生観が変わっちゃう気がする!

「……で、なによ相談って? あたしとしてはその子よりも夢人こそが相談すべき問題だと思うんだけど……」

 灯が長い髪を指でクルクルしながら、ぶっきらぼうに言ってくる。

 なんだかんだで心配してくれてるんだな。

「ありがとう、灯。やっぱり灯は、僕の唯一の友達だよぅ……」

 よよよ、と抱きつこうとしたら、張り手を食らわされた。

 ……痛い。

「……ん。まぁ、なんというか、生まれつきそういう嗜好らしいんだ。本人も理由が分からない〝殺したい〟という願望が、自然と湧き上がってくるらしい。時には、親に。時には、友達に。時には、道を歩く全く関わりの無い人に。それはなんの理由もなく、なんの脈絡もなく、ある時突然に、生理的欲求と大差無いレベルで襲い掛かってくるらしい」

「いや……ちょ……マジで病院行けって! っていうか、その前に警察に拘留してもらってくれ!!」

 ……そういえば、こな雪はホラーが大の苦手だったな。

「いや、本人もこの異常に気づいてすぐ、病院に行ったらしいんだ。……だけど、結果は芳しくなかったらしい。『原因不明』ですらなく、単純に『異常なし』と判断されたそうだ」

「それは……さすがのひなも、ちょっと怖いですね……」

 さっきまでテンション高めだった日向ちゃんも、少し不安そうな表情をしだした。

「大丈夫だよ。これから先はわからないけど……少なくとも過去、複数の人間に対して同時にその感情が湧き上がったことはないらしい。つまり、彼女が僕に殺意を抱いている限り、他のみんなは安全ってわけ」

「安全ってねえ! あんたは全然安全じゃないでしょうがっ!!」

 日向ちゃんとこな雪を安心させるために笑って発言したのだが……なにやら灯は大層ご立腹だった。

 本当に、友達思いのいい奴だ。

「大丈夫だよ、灯。ほら、現にこうやって、僕は生きているだろう?」

「そう言えばそうですね。今聞いた相談内容もそうですが、ゆーと先輩はどうやって対処されたんですか?」

「……逃げて」

 そう。なんか動きが明らかに玄人っぽかった彼女と、まともに戦えるわけがないと早々に判断した僕は、彼女を撒くまで学園中を必死に走った。

 前半は走りながら事情を聞かないといけなかったから、本当に疲れたんだぜ……。

 彼女を振り切らず、しかし諦めさせないスピードで走り続けながら話をするなんて……我ながら、よくできたもんだと思う。

 その後、さらに動きがプロっぽく、サマになってきた彼女を撒くことに成功したのも、ある種の奇跡だった。

「……で? お前は結局どうするんだよ? ていうか、相談内容って何なわけ? 悪いけど、今回はあまり力になってやれそうにないが……」

 大分落ち着いてきたらしいこな雪が僕に尋ねる。

 ……安心しろ。僕の大切な親友こいびとを、危険な目に合わせるものかよ。

 それに――

「相談内容は『なんとかして』。だから僕は、なんとかする!」

 紛いなりにも好意を寄せてくれる女の子を、邪険にはできないしな。


「赤井刀子さん。二年生。成績、中の上。部活には無所属。委員会は図書委員。……特に目立つような動向もなく、普通の生徒として周囲には認知されていたようですね」

 帰り道。

 ファミレスのバイトに行った灯、遅めのカラオケ部に参加したこな雪と別れ、僕は日向ちゃんと下校していた。

 いつものように、可愛らしいピンク色の手帳を捲りながら情報提供してくれた日向ちゃんだったが、その表情は曇り気味だ。

「ありがとう、日向ちゃん。……ま、情報が少ないのは仕方がないさ。今までこんな噂が出なかったんだから、彼女もなんとかしていたんだろう。……ふーむ。制服がきれいだったから、てっきり一年生かと思ったんだけどなぁ……」

「あ、赤井さんはどうやら、かなりの潔癖症みたいですね。制服も毎日洗濯して、入念にアイロンがけしているようです」

 潔癖症……か。

 気になるワードだけど、殺人衝動には関係なさそうだなぁ……。

「あの……ゆーと先輩」

「……んー?」

 今後の対策を考えていると、日向ちゃんが遠慮がちに声を掛けてきた。

「……やっぱり、警察に任せる、というのではダメでしょうか?

ゆーと先輩の気持ちも分からなくはありませんが、いつもの恋愛相談とは規模が違います。下手をするとゆーと先輩が……」

 そこまで言って、その先を想像したらしい日向ちゃんが顔を青くして押し黙る。

 ……僕は、本当に周囲の人に恵まれているな。

「心配してくれてありがとう、日向ちゃん。でも……警察に言うのは避けたいんだ」

「……どうしてですか?」

 日向ちゃんが立ち止まった。

 暖かくて、優しい風が僕たちの間を吹き抜ける。

 だけど……いつも陽だまりのような笑顔を浮かべて僕に接してくれる日向ちゃんは、そこにはいなかった。

「ゆーと先輩は……時々、ヘンです。小さな恋愛相談に必死になって、徹夜で対策を考えるくらいなら、まだギリギリ、ひなにも理解できます。でも、それがギリギリです。

 自分の命が脅かされるような……今回みたいな相談まで、必死に自分の命を張って頑張るのは、おかしいです。もっと自分を、大切にしてください」

 ……目は見てくれなかった。

 顔は下を向いたまま、大きくもない声で告げられた。

 だけど……それが、日向ちゃんが本気である何よりの証拠であるように思えた。

「大丈夫だよ、日向ちゃん」

 僕なんかよりずっと他人を思いやれる日向ちゃんの頭を撫でてあげながら、笑顔を見せる。

「こう見えて、夢人さんてば強いんだから! 辻切り少女になんて、ぜ、絶対負けないんだからねっ!?」

「……ぷっ。どうしてそこでツンデレなんですか~」

 顔を上げた日向ちゃんは笑っていた。

 笑って、くれた。

 きっと……僕のために。

「それに僕は……あの子も本当は、人を殺したくないんじゃないかって思うよ」

「……え?」

「さーて! それじゃあ、頑張って体でも鍛えますかー!」

 遠くの空がオレンジ色に染まってくる帰り道を、二人で元気に下校した。



「夢人先輩、好きぃぃぃぃぃいいいいいいいいいいいい!!」

「イワーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーック!!」

 次の日の放課後。

 まるで放課後までの時間を必死に耐えていて、そのガマンしていた思いがはち切れた様に、刀子ちゃんがチャイムと同時に教室へ乱入してきた。

「ゆ、夢人になにすんのよーーーっ!!」

 今日はナイフこそ持っていなかったが、傍目にも危ないと分かる辻切り少女を相手に、灯が果敢に攻める!(体操着袋で!)

 しかし、刀子ちゃんは当たり前のようにそれを躱すと、まるで愛の障害を乗り越えた乙女のように幸せそうな表情をしながら、僕に突っ込んできた!

「恐ぇぇぇええええ!! 確かにこれはリアルホラーだっ!」

 最早教室のドアから出入りする余裕を失った僕は、窓からグラウンドへ飛び降りる!

 三年生の教室が一階でマジ助かった! 先生ありがとう!!

「ゆうううううううううと、せんぱああああああああああああい!!」

「ひぃぃぃぃいいいい!!」

 走る。全力で走る。

 障害物がないと振り切れないので、近くの渡り廊下をつたって再び校内に入り、階段を昇る。

 図書室を越え、多目的ホールを通り過ぎ、部室棟に潜り込む。

「待って~! 夢人せんぱ~い!」

 すごく甘い、恋人拒絶中(募集中の逆)の僕すら、思わず振り返ってしまいたくなる声を無視して、走る。

「もぅ~、夢人先輩ったら。照・れ・屋・さん♪」

 激しくツッコみたい気持ちも無視して走る!(ツッコんだら負けだ)

「あたしぃ~もう……っ! ガマン……できない……ッ!!」

 チャキッという嫌な金属音に振り返ると、刀子ちゃんが例の果物ナイフを手にしていた。

 と同時に、なんか加速した!

「ちょ、ま、ええぇ!? それ、チートじゃね!? ゲームじゃないんだからさぁっ!!」

 思わずツッコんだのが悪かった。

 廊下の曲がり角までの目測を誤った僕は、それを修正しようとして足を滑らせてしまった!

 万事休すか……っ!?

「うへ……うえっへっへっへ……」

「ま、待て。話し合おう、冷静に!」

 廊下の交差点で後退りながら、必死に口撃してみるものの……結果がよろしくないことは想定の範囲内だ。

 あ。やべ。

 僕、マジで死んじゃうの?

 死ぬなら、せめてこな雪と友情スキップをした後で――

「……そこでなにをしている」

 声は、後ろから聞こえた。

 振り返ると、ちょうど部室で着替えをしていたらしい女生徒が立っていた。

 長い黒髪を後ろで一つにまとめた、凛々しい立ち姿に純白の道着。

 このスカートみたいな道着……袴は――

「あんっ。夢人先輩との蜜月を邪魔しないでください!」

 次の瞬間、標的を僕から後ろの愛の障害(女生徒)に変更した刀子ちゃんが、陸上部の短距離走選手顔負けのスピードで走った。

 マズ――!?

「逃げ……っ!!」


 ――カチン。


「……ふん。ケンカを売るなら相手を見て売れよ。どこの世界に果物ナイフで剣士に挑む奴がいる」

「……む」

 最悪の事態を想像して硬直した僕を他所に、涼しい顔をしながら竹刀で果物ナイフを止める女生徒。

「はふん」

 そこで気が抜けたのか、刀子ちゃんは気持ち良さそうな声を上げて気を失ってしまった。

……読めねー!

「やれやれ。学園一のヒーローも、さすがに殺人鬼相手では骨が折れるかい?」

 ニカッとカッコよく笑いながら手を差し伸べる剣道少女。

 やべぇ……惚れそう。

「私の名は……いや、そうだな。〝師匠〟と呼びたまえ」

 あ、前言撤回。

この人も絶対、この学園特有のアレな人だ。

「弟子一号・夢人よ! 剣道部に入るのだ!!」



「……で。あれが今回のこな雪の助力なわけね……」

 騒動がひと段落したところで、いつものLW控え室に向かうと、みんな『師匠』の事情を把握していた。

「いや、正確に言うと俺達三人の助力、だけどな。さすがに一般生徒な俺達に、辻切り少女の相手は無理だしよぅ……」

 師匠と名乗ったあの女生徒……今年度の剣道部主将は、三人からの助っ人らしい。

 日向ちゃんが適任な人を選び、顔の広い灯が紹介し、こな雪が頼んでくれたのだとか。

「それ、灯が頼んでくれればよくない? 本当はこな雪、いらない子だったんじゃ……?」

「おいこら、てめぇ。せっかくの俺の厚意を……」

 ぶちぶちとこな雪がヤサグレ始めたので、失言を謝り、ちゅーしようとしてみた。

 ……殴られた。

「昨日、夢人先輩が体を鍛えると仰っていたので、それに最適な方法と人物を選びました。少しでもお力になれれば幸いです」

「おお! マジで助かるよ、日向ちゃん! ありがとう!! おーし、剣道かーっ! 燃えてきたーーーっ!!」

「あの人も、あちこちの運動部から誘われまくってる夢人を引き込めてご満悦でしょうよ……。やめたくなったら、すぐに言うのよ?」

「ん? なんだよ、灯。あの人が嫌いなのか?」

「別に……そういうわけじゃないけど……」

 そう言いつつ、左手で髪の先をいじる灯。

 長い髪を弄ぶのは、手持ち無沙汰な時と、照れた時と、困った時にやる灯の癖だ。

 んー……。なにか困ってるなら、この件について言及するのはやめておこうかな。

「で、どうすんだ? 剣道を習って強くなったとしても、根本的な解決にはならねーぞ。あの子……刀子ちゃん、だっけ? の殺人衝動をなんとかしない限りは……」

「あー、大丈夫。それについてはもう、考えがあるから」

「「「……?」」」

 三人とも頭に『?』マークを浮かべる。

 いや、ほんとはそんなに難しい問題じゃないんだけどね……。



「いちっ!」

「メン!」

「にっ!!」

「メン!」

「さんっ!!」

「メン!」

 そして、僕の剣道ライフが始まった。

 うん。他にやりたいこといっぱいあるから、毎日部活動に参加するのは無理だけど、こうやってたまにやるならいいものだなぁ~。

 剣道着や竹刀もかなりカッコいいし。

「おお! さすが我が弟子! 筋がいい!!」

「いえ、僕に才能なんてありませんよ。ちょっと昨夜 徹 夜 し て 竹刀振ってただけです」

 期待されるのは苦手だ。ガッカリさせたくない。

 ちなみに、学年は一緒だけど、師弟関係であることを考えて、師匠には敬語で接することにした。

「なに!? 徹夜だとぅ!?」

 ガシッ。

 ……なぜか肩を力いっぱい掴まれる。

「それはその……一体、どれくらいの時間竹刀を振っていたのだ?」

「いや、覚えてないですけど……。手にマメが出来てすぐ潰れるから休憩しながらやってましたし……」

「じゃあ休憩時間も込みでいい」

「はあ……。家に帰ってごはん食べてからだから…… 8 時 間 くらいでしょうか?」

「 8 時 間 だ と ぅ !? 」

 え、なになに!?

 剣道って、連続してやったらダメなものだったの!?

 混乱してわたわたしている僕の目の前で……ツーっと両目から涙を流す師匠。

「感動した!! 君こそ私の求めていた人材……否、剣士だっ!! 今後もぜひ、剣道部の部活動に参加してくれっ!!」

「あー……いえ、委員会が忙しいので……」

「むぅ……残念だ」

 その時、僕の体に『ぞわっ』とするような、嫌な悪寒が走った。

 直後、全力で走り、格技場にある簡易更衣室に逃げ込む!

「先輩はっ!? 夢人先輩はいますか!?」

 扉を隔てた更衣室に入っているのに「ハァ……ハァ……」という吐息が聞こえる。

 見た目普通に可愛い女の子がそんな色っぽい息遣いをしていたら、思わず覗いてしまいたくなるが……さすがに今回だけは自粛だ。

 さすがの僕も、自分の命は惜しい。

「いないよ。今日は早々に帰って、家で稽古するそうだ」

「あれぇ~? おっかしいですねぇ~……。確かにこっちの方から夢人先輩のニオイがしたのに……」

 なにその驚異的な能力!

 僕って、そんなに体臭ひどいのかな……?

「そんな能力があるなら学校の周辺をうろついてみろ。さっき帰ったばかりだから、運が良かったら間に合うかもしれんぞ?」

「いってきまーーーす! ゆううううううとせんぱあああああああああああああい!!」

 ……。

 …………。

 刀子ちゃんの声がドップラー効果によって音程が下がるまで待って、僕は更衣室から出た。

「……師匠、僕、体臭きついですか?」

「むしろ少ないと思うが……仮にそうでも気にするな。剣道なんてそんなもんだ」

 ほんと、清々しいほどカッコいい人だと思う。



「ぐへぇ~……」

「ちょ、ちょっと夢人、大丈夫なの?」

 あれから一週間。

 割と教師からの信頼が厚く、頻繁に授業をフルサボりしても御咎めなしな僕だが……さすがにそろそろマズイと思い、今日は授業に出ている。出席を大目に見てもらっても、授業に着いて行けなくなるしね……。

 しかし……こうしてイスに座っているだけでも結構キツい。

 結局、授業はまともに受けられそうにないな……。

「ったく、どんだけ剣道にのめり込んでんだよ。そんなに面白いのかぁ?」

「その声は……僕の心のオアシス、こな雪じゃないか……。……うぅ。ちくしょう……なんで今日は金曜日なんだよ……っ!」

「元気そうね……あんた」

 灯がジト目になったので、こな雪の制服姿(絶望の男子ver)から目を逸らし、灯の顔を見上げつつ戦況報告を行う。

「フッ……この一週間、なんとか刀子ちゃんを撒き続けることに成功しているよ……。しかし、そろそろそれも限界っぽくてね……。なんか最近は、僕と刀子ちゃんの間にある障害物は透けて見えるらしい」

「どんな超能力だよっ!」

「愛の力ってすごいのね……」

 こな雪が元気いっぱいにツッコみ、灯が額に手をやる。

 ああ……その元気をほんの少しでも僕に分けてくれ、こな雪……。

「なんとか騙し騙しやってきたけど……たぶん今日辺りが限界だと思うんだ。だから、そのための最終追い込みを、ね……」

「……ちなみに聞くけど、あんた昨日は何時間寝たの?」

「フッ……バッチリ、12秒寝たぜっ!!」

 ぼかっ。

「あんた本当にいつか死ぬからね! 分かってるの!? 人間の理想的睡眠時間って小学生の時に習わなかったかしらねぇ~!?」

 ……そう思うなら、僕を殴らないで欲しい。

 あと、小学校で理想的睡眠時間なんて教えてくれないから。……まあ、夜9時には寝ましょう、っていうのは聞いたことあるけど。それだって9時00分12秒に起きたら一緒じゃね?

「まったく……これだから夢人は……」

 ぶちぶちと文句を言いながら、灯が鞄から、僕用に買っている栄養剤を出してくれた。

「はい、これ。気休めだろうけど、少しはマシになるんじゃない?」

「ありがとう、灯! ……って、これめちゃくちゃ金ピカなんですけど! え、ちょ、これって一本3000円とかするやつじゃない……?」

 あまりの眩しさに目を逸らしつつ見上げると、

「バイト代入ったからね。オゴリよ。感謝しなさい」

 そっぽを向きながら、ぶっきらぼうな態度をとる灯。

「ありがとう、灯! 大好き!!」

「ちょ!? 軽々しく女の子に好きとか言うなって言ってるでしょうがっ!!」

 怒鳴ってくる灯をスルーしてドリンクを飲む。

 あ~……うめぇ~。生き返るぅ~~~。

「……元気ハツラツぅ?」

「いや、それ普通に薬局の栄養剤だから」

「……お熱いですね、お二人さん」

 灯と二人振り向くと、すっかりスルーされ続けたこな雪の姿が、そこにはあった。

 ……うん。こな雪には悪いけど、こういう『主人公とヒロインに置いてけぼりにされる』的なシチュエーションが、ほんと僕の好きな『GRAND』の『夏原』そっくりだと思う。



「さて……と。こんなもんかな?」

 放課後。

 ここ一週間ですっかり着慣れた剣道着を着用して竹刀を持ち、僕は格技場に佇んでいた。

「本当に、キミには驚かされてばかりだよ。たった一週間でここまで腕を上げた事実もそうだが、まさかそんな戦い方を選ぶとはね」

 防具を付けず、実は道着の下は生傷だらけの僕を見て師匠が呟いた。

 見学しようか迷っていたLWメンバー三人の姿は、ここにはない。

 今回ばかりは危険であるため、僕の方から断らせてもらった。

「一週間、本当にありがとうございました。このご恩は一生忘れません」

「……本当に、剣士になってくれないのがもったいないな」

 真っ直ぐに頭を下げて礼を言う僕に、師匠が苦笑で返す。

「分かっているとは思うが、あえて言わせてもらおう。確かにキミは、強くなった。驚くほどに。成長率だけで言ったら、最強だ。一週間でこれほど上達する剣士など、キミを置いて他にはいないだろう」

 そりゃ、一週間、ほぼ無睡眠で稽古する人なんていないもんね……。

「……だが。それでも、あの殺人鬼には遠く及ばない」

「……辻切りですよ?」

「似たようなもんだ」

 冗談めかして返答しても、ちっとも笑ってくれなかった。

「……ありがとうございます。心配してくれているんですよね。でも、大丈夫です。僕はあの子に勝とうとか、あの子を倒そうとか……そんなことは微塵も考えていないんですから」

「……なんだと?」

 怪訝な顔をして、師匠が二の句を告げようとした時――

「ハァ……っ! ハァ……っ! ゆうとせんぱぁ~い……」

 頬を紅潮させ、我慢の限界だと身体を震わせる刀子ちゃんが、格技場に入ってきた。

「……はじめに言っておきますが。なにがあっても、手は出さないでください」

「わかっている。弟子の死合に、師匠は出ない」

 むん、と目を瞑ってふんぞり返った師匠が――手刀を天井に掲げた。

「いざ、尋常に……はじめっ!!」

 ――瞬間、刀子ちゃんの姿が消えた。

「ちょ、うえぇ!? なにそのマンガ的な展開!」

 慌てて竹刀を身体の前に構えると――下からナイフを振り上げた刀子ちゃんを、どうにか鍔で食い止める!

「あん。気持ちいーです、ゆうとせんぱぁ~い……」

「果物ナイフ振り回しながら変な声出さないでくれる!?」

 いまいちシリアス感が出ないからさ!

 こっちは常に、殺されるかもしれない恐怖と戦ってるのにっ!

「うふふ……」

「ええ!? ちょ、また!?」

 また刀子ちゃんの姿を見失った!

 なんで!? こんなに近くにいて、刀子ちゃんだけを見てるのに!!

「やん。私だけを見てるだなんて……えっち」

「そぉいっ!」

 右から声が聞こえたので、思いっきり左に飛び下がって体の前に竹刀を構える。

 ――カチン。

 竹刀の先端と、ナイフが交差する音が響いた。

「ねぇ! 消えるの反則じゃね!? ここはマンガの世界じゃないんだからさぁ!! 事前の設定みたいに消えられると、夢人さん、めちゃくちゃ困るんですがっ!!」

「困ってる夢人先輩も……ス・テ・キ」

うん。女の子に褒められて、ここまで嬉しくなかったのは初めてだ。

 こんなノリですが、僕は常に生命の危機に瀕しているわけです。……マジで。

「うふふ……夢人先輩って結構背が高いですよねぇ~。ほんと私のタイプです♪」

「…………」

 ……そうか。

 マンガみたいな展開だと思ったら、マジでマンガみたいなトリックを使っていたのか。

 全てを悟った僕は……万感の思いを込めて息を吸った。

「身長差を利用して死角に潜り込むなんて、そんなプロみたいな技アリなのぉおおお!?」

「あ。気づきましたね。さすが夢人先輩。好き~」

「僕はそうでもないよ、っとぉ!」

 突き出されたナイフを体捌きで避ける。

 ……ほんと、マジでプロ並みの動きだと思うんだよ、コレ。

「うむむ? おっかしいですね~? 私の予想だと、とっくに夢人先輩をおいしく頂いてる頃合なんですが……」

「殺人的な意味でねぇ!」

 叫びつつ、ナイフをはじく。

「うゅゅ~~~!」

 どうやら、何度頑張っても当たらないので、いい加減焦れてきたらしい。

 いや、当たったらその時点で『僕の人生終了のお知らせ』なんだけどさ。

「どうして! どうして当たらないの!?」

「ふっ……その件に関しては、私から説明してやろう!」

 ずっと戦況を見守っていた師匠が、ここで初めて口を開いた。

「この一週間! 我が弟子はほぼ全ての時間を使って竹刀を振り続け、さらにラスト数日は私にぶん殴られ続けたのだっ! そう! まるで真性のマゾヒストのようになぁっ!!」

「台無しだよーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!」

 思わず、死闘そっちのけで床に突っ伏す僕。

「そんな……先輩が、M……?」

 いや、そこはそんなに重要じゃないから。どっちかというとS寄りだから。

 だから刀子ちゃん……なんでそんな嬉しそうな顔で、目をキラッキラさせていっらしゃるんでせうか……?

「お陰で我が弟子の身体は生傷だらけだ!! 隙がなくなるまで同じ箇所を何度も叩いてやったから、注意が散漫な箇所は特にひどい有様に違いない! しかーし! だからこそ、こいつはお前のナイフをかい潜れる!!」

 タフネスしか取り柄のない僕が、なぜここ数日はガッツリとバテていたのか。

 それは、体力的な問題以上に、単純にケガが増えていたからに他ならない。

「たかが数日と馬鹿にするなよ? その数日、数十時間、こいつは注意してない箇所を何度も叩かれ続けたのだ。頭が覚えていなくても、文字通り、体が覚えている。たとえ太刀筋が見えなかろうが、刃が身に迫った瞬間、第六感クラスで身体が反応するだろう。

だから! たとえお前が本当に姿を消す……マンガのような技を持っていても、全くもって無意味ということさ!!」

 師匠が『どうだ、参ったか!』というような態度で自信満々に声を上げた。

 ……いや、確かに協力してもらったけど、それに耐えたのは僕だし、そのアイデアを出したのも僕なんですが……。

「……すん。……ぐすん」

「へ? ……って、うわぁ!?」

 刀子ちゃんが泣いているのかと思って呆気に取られたら、その隙を突いて攻撃されてしまった!

 なんて恐ろしい子っ!!

「……ひっく。うぇぇ~」

 と思いきや、泣いているのはマジらしいですよ? 奥さん。

「……ふぅ。ふぇ!」

「おわっ!」

 それでもちゃんと攻撃してくる刀子ちゃんに乾杯。

「ひっく……。ぅ……。…………が、ガ・マ・ン……!!」

 おお。

 なんか変な呪文(?)を呟いたと思ったら、ぷるぷる震える体を引き止めて、攻撃をやめてくれた。

 だけど――

「残念だけど、刀子ちゃん。それは無駄だよ」

「……うぇ?」

「当然でしょ? 僕から刀子ちゃんに切りかかるなんてあるハズがない。僕が女の子を竹刀で襲うような、野蛮な男に見えるかい?」

「う、うぅぅぅ~~~……!」

 刀子ちゃんが涙目でナイフを振り回し、攻撃してくるが、僕は当然いなす。躱す。避ける。

 ……マンガでよく、『敵が攻撃する瞬間を狙ってこちらも攻撃する』みたいな展開があるけど、あれ、実は本当に有効らしい。

 師匠に聞いた話だけど、やっぱり攻撃する瞬間っていうのは、攻撃に全力を注ぐため、どうしても守りの意識が散漫になってしまうのだそうだ。剣道にはそれをつく技もあるらしい。

 だから刀子ちゃんは、僕からの攻撃を待って、その瞬間を狙うつもりだったんだろうけど……アテがはずれたようだ。

 もちろん、僕にはできない。たとえ刀子ちゃんが攻撃の瞬間に完全な無防備の状態になったとしても、僕にはその刀子ちゃんを打破し得る攻撃力はない。

 だけど――防御力なら。

攻撃を一切諦め、ただただ身を守ることだけを考えれば、どうにかこうにかやり通せる。

……いや。やり通せるように、この一週間でなった。

だからもう、刀子ちゃんにとって、勝負は完全に決してしまったのだ。

「ふぐっ……ぐすっ……。…………気持ち、悪い……ですよね」

 状況を理解し、正気を取り戻したのか、刀子ちゃんが少しだけ落ち着いた。

「……誰かを、殺したいなんて。……ぐすっ。わかって……いるんです。自分でも。私は変、で……精神、異常者で……。こんな普通の人がいる所じゃなくて……警察とかに、捕まっているべきだって……わかって、いるんです」

 ……それは。

刀子ちゃんと出会ってから初めて聞く、彼女の本音だった。

「だから……ぐす……もう、諦めたんです。夢人先輩に抱いた気持ちが、過去の誰よりも強いこともあって……。夢人先輩に、気持ちぶつけて……ここからいなくなろうって、決めたんです。夢人先輩は、強いから……きっと、なんとかしてくれるだろうって、一番に……思って。

もしダメで、このナイフを刺してしまっても……もう、いいや、って……欲望に、任せて。反対に、夢人先輩に殺されても……それでも、いいやって、思って」

 刀子ちゃんは、泣いていた。泣きながら、本心を吐露していた。

 だから僕は……迷わず、言ってあげる。

「ありがとう、刀子ちゃん」

「…………ふぇ……?」

「僕を頼ってくれて、ありがとう。僕を信じてくれて、ありがとう。僕に本心をさらけ出してくれて、ありがとう。……痛かったよね。きっと、僕がここ数日で負ったケガの何倍も……何十倍も、痛かったよね。それなのに、十数年間も一生懸命、ガマンしてきたんだよね。偉いよ、刀子ちゃん」

「……ひぐっ」

「……本音をさらけ出すことも、すごく勇気が必要だったと思うし……それもすごく痛くて、辛かったよね。わかるよ。……いや、ごめん。本当はわかっていないかもしれないけど。想像しただけだけど……ちょっぴりは、わかるよ。……ありがとう。頑張ってくれて、ありがとう。刀子ちゃんの全てに、ありがとう」

「わたひは……ひゅうとしぇんぱいが……しゅきです……」

 涙で顔をぐしゃぐしゃにしながら……決死の言葉と一緒に、ゆっくりと果物ナイフが前へと出された。

 これまでのような鋭さは全く無い……か弱い女の子が精一杯恋心を口にするのに似た、愛しさすら覚える攻撃だった。

 それを僕は……竹刀ではなく、素手の左手で受け止める。

……血が流れ出したけど、全然、構わなかった。

「ありがとう。……そして、ごめん。刀子ちゃんの気持ちには、応えられない」

 僕がそう告げると、刀子ちゃんが崩れ落ちて全力で泣き始めた。

 これまでずっと一人で抱えてきた苦しみを、解き放つように。



 ――後日談。

 あれから、刀子ちゃんが放課後のチャイムと同時に、僕の教室へ飛び込んでくることはなくなった。

 僕はというと、周囲の人から刀子ちゃんの問題を『なんとかした』ことを称賛されたのだが……それを得るのは僕ではないと思う。

 今回の件で僕が得たものは、多くの生傷と少しの剣道経験。

 やったこともそれに順ずる、とても小さなことだ。

 だから、誰が頑張ったのかと言えば……それは間違いなく、刀子ちゃん本人だろう。

「結局さぁ……お前はどうやって、刀子ちゃんの殺人衝動をなんとかしたわけ?」

 屋上で昼食のパンを食べながら、こな雪が本当に不思議そうな顔をした。

「いやー……あれだけ大見得を切っておいてこんなこと言うのもアレだけど……僕、今回は特に何もしてないんだよねー……」

「いやいや。あんた、あの辻切り少女を助けるために死ぬ気で戦ったでしょうが……」

 同じく隣でパンをかじっていた灯がツッコむ。

「そうだけど……僕が剣道をしたからといって、別に刀子ちゃんの殺人衝動を消せたわけじゃないしなー」

「ええっ!? ということは、赤井さんはまだ、殺人衝動を抱えているということですか!?」

「――!?」

 日向ちゃんが驚いた声を上げる。

 と同時、こな雪がパンを床に落とした。

 3秒ルール(落とした食べ物を3秒以内に拾えばまだ食べられる)に基づき、僕が最速で拾い上げると――平静を装いつつも顔が強張っているこな雪の姿があった。

「……そうだよ。でも、大丈夫さ。これまでだってちゃんとガマンしてきたんだし、これからもちゃんと、自分の衝動とうまく付き合っていくよ」

「ゆーと先輩はそう言いますが……赤井さんはゆーと先輩と追いかけっこしている時、剣道部主将さんに斬りかかったことがあったのでは……」

 確かに、さすがの僕も、あの時だけは本気で焦った。

 ……でも。

「……実はさ。よくよく思い出してみると、あの時刀子ちゃん……果物ナイフの〝峰〟の方を振るっていたんだ。それも、相手は傍目にも分かる剣道部熟練者で竹刀装備。そういう状況を考慮しての行動だったんだと思うよ」

 そもそも、獲物が果物ナイフっていう時点で、刀子ちゃんの気持ちが推し量れる。

 身の回りには包丁とかサバイバルナイフとか……もっと切りやすいものがあるのに、その中での果物ナイフ。

 きっと、本人も一生懸命苦しんで、頑張って、悩んで……行動していたんだと思う。

「だからって、殺人衝動を抱えている人間を放置していいのかよ……。っていうか、お前はそんな結末で満足なのか?」

 ちょっとだけ目を泳がせながら(可愛過ぎ!)、こな雪が聞いてくるが……僕の答えは決まっていた。

「大丈夫だよ。きっと、刀子ちゃん自身がなんとかしてくれる。

……ほんとは、協力して完全に解決したい気持ちもあったけどね。それでも、これは刀子ちゃん自身にしか解決できない……向き合えない問題だと思うから。だから、僕は刀子ちゃんを信じる!」

 お昼の爽快な空を見上げながら、僕は拳を握り締める。

「あー。そういえばあの子、剣道部に入ったらしいわよ」

 そんな僕を横目に見つつ、灯がちょっとニヤリとした。

「そっか。やっぱり、自分で頑張る覚悟を――」


「なんでも、夢人の防御を 貫 け る よ う に 力をつけたいんだって」


「台無しだよぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!」

 なんで!?

 ここはこう……『私はこれからも頑張っていく!』的な爽やかなエンディングを迎えるべき場面じゃないの!?

「あ。いたいた! ゆううううとせんぱああああああい!!」

「なんか幻聴も聞こえる!」

 そんなハッキリと聞こえる幻聴なんて存在するわけもなく、僕達の前に刀子ちゃんがやって来た。

「こ、この間は……どうも、ありがとうございました……」

 もじもじしながら頬を紅潮させてお礼を言ってくる刀子ちゃん。

 こんな子が、普通の女の子なわけがない。

「そ、それでっ! どうしてもお話したいことがあるので、こっちへ来ていただけませんか!?」

「な、なんで!? どうしてこんなに広く、周りにたくさん人がいる屋上じゃあダメなのかな!? かな!?」

「だ、だって……恥ずかしいですぅ~……」

「僕は恐いですぅぅぅ!!」

「行ってあげなさいよ、夢人」

 震えている僕の背中を、灯が気軽にポン、と押した。

「わぁ! ありがとうございます! さ、夢人先輩! 逝きましょう!!」

「待って! 発音おかしい! ちょ、まっ! 灯! 僕達の友情は永遠というか、灯だって僕が刀子ちゃんといるのは反対していたじゃないかよぉぉぉぉぉおおおおおお!!!」

 引きづられて逝くぅぅぅぅうううう!!

「いいんですか!? お姉ちゃん!?」

「……大丈夫よ。夢人が頑張ったんだから」

 なにやら焦っている日向ちゃんと冷静な灯が会話していたが、余裕の無い僕は全然内容を聞くことができませんでした……。



 そして、今回のオチ。

「……この前は、本当にありがとうございました!」

「あ、あれ? 意外と普通の対応……。いや、僕は特になにもしてないからさ。だけど、ほんのちょっぴりでも刀子ちゃんが助かったなら、これ以上ない幸せだよ」

「はい! もう、夢人先輩の手を切り裂いた感触が忘れられなくて、忘れられなくて……夢にまで見るほどです!(照れ)」

「どうしてこうなった!」

「私……こう見えて、かなりの潔癖症なんです。ちゃんとしないと許せないんです! だから、ちゃんと夢人先輩への衝動に決着をつけてから次に進みます!!」

「その伏線はそういう風に生かすの!? いい言葉っぽいけど、それってつまり、誰よりも最初に僕を殺すってことだよねぇ!」

「……嫌、ですか?」

「……。……。…………嫌、だけど。でも、これからもずっと頑張る刀子ちゃんを、応援したいとは思っていたから。だから、ストレス解消には付き合ってあげるよ」

「ありがとうございますっ!! ひゃっほー! 次は夢人先輩の首をゲットだぜぇー!!」

「キャラ崩れ過ぎじゃね!? 言っておくけど、殺されるつもりはないからね!?」

「ええー」

「なにその不満気な態度!」

「いえ、寛大なる夢人先輩なら、当然首くらい軽く差し出してくれるものだと……」

「首を差し出したら、僕の全てを刀子ちゃんに捧げることになっちゃいますけどねぇ!」

「やん。夢人先輩の……えっち」

「もうこのやりとり疲れたーーー!!」

「む。じゃあ、愛想尽かされるのもアレなので、私も夢人先輩のお願い聞いてあげますよ?」

「 マ ジ で っ !? 」

「ええ。なんでもどーぞ。えっちぃことでも大丈夫です」

「うん。えっちぃことは大丈夫です(いらない的な意味で)。じゃあ……友達に……なりたいんだ……」

「友達? 私とですか?」

「うん、そう!」

「いいですよ」

「マジで!? やった! 二人目の友達ゲット――」

「ただし、 殺 害 対 象 と書いて友達と読みますが」

「……ですよねー」


 ああ……出会いが欲しい。(友達的な意味で)




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