風のない日
風のない日はそんなに好きではない。全てが鎮まってしまったようで、自分一人がどうしようもなく動いているように感じられてしまうからだ。ちょっと庭に出てみて、その日も暑いだけのそんな日だと分かった。
「今日もそんな感じなんですか?相変わらず」
ネットを介して緩く繋がっている世界に夢中な私に聞こえてきたいつもの声。夏場だけ近所の祖母の住む家にやって来る親戚の女の子。中学生だそうである。
「にゃ~」
どこからともなくやって来た家で飼っている明るい茶の猫がその子に寄ってゆく。こっちには懐かないくせに甘えられる相手には徹底的に甘える。家族にも気に入られた彼女が自宅にも出入りするようになったのはこの猫の影響も大きい。彼女の足元にスリスリと小さな頭を擦りつけている。
「よしよし、良い子良い子。このお兄ちゃんは相手してくれないもんね~」
そういって頭から背中まで撫でているが、相手をしようとしたって逃げるのだから仕方ない。それはともかく一つ思い出すことがあった。
「あれ、今日はどっか行くんじゃなかったっけ?」
昨日ここら辺に住んでいる同年代の子達と遊びに行くような話をしていた筈である。相変わらず猫をさすったまま顔だけこちらに向けて、
「予定変更。明後日にしました」
「何で?」
つい素で質問してしまったが、別に理由を聞かなくてもいいように思えた。
「明後日花火あるでしょ?」
「ああ、そういえばそうだ」
イベントの少ないこの町だが、夏の終わり頃にある商店街の主催する花火大会はかなり大掛かりで、近隣の町からも人が集まってきて、その日だけやたら局所的に人でごった返すのが恒例だ。
「行くんだ」
「そりゃ行くよ。花火を見るためにここに来てると言ってもいいくらいだからね」
「まあ花火が終わったら、夏も終わりみたいなもんだしね」
普通の事をいったつもりだったが、聞いた相手は何か不満そうな顔をしている。
「どうした?なんか変な事言った?」
「…言ってないけど、配慮が足りないよ…」
「どういう事?」
「確かに夏は終わっちゃうけど、そういうのは終わったときにしか言っちゃダメなの」
「何で?」
「何でって…。はぁ…これだから大人は…寂しくないの?」
「寂しいっていうか、大人は夏も秋もあんまり変わらないからね」
「でも、わたしは夏が終わったらこの子とも会えなくなっちゃう…」
「そっか、猫飼えないんだっけ?」
「猫は飼えない事はないかもだけど、『この子』に会えなくなっちゃう」
確かにその猫は彼女によく懐いている。年中この家にいる本来のご主人を放っておいて、ベタベタ引っ付いている様子を見ると単純に一緒にいた月日の長さではないのかも知れないと思ってしまう。とは言え、彼女はきっと猫だけの事を言っているのではない。多分だが、この町で生活する日々が終ってしまう事に対して何かしら思っているのだろう。去年帰る時に見せた少し残念そうな表情。その時は何も出来なかったが、そういえば去年は<もっと何かをしてやればよかったな>と想った事を思い出した。
「じゃあ、猫と一緒に思い出作りでもしてみようかね?」
「え?なんかするの?」
「今日暇なんだろ。ちょっと大変だけど猫を連れて花火大会の場所に行ってみるのはどうだ?」
「でも花火は明後日だよ」
「だから良いんじゃないか。これから何かが始まる前に、その様子をちょっと見にゆくのも」
あんまりはっきりとした目的はないが、最近暑さに負けて外に出ない自分としても、外に出ていろいろ見るきっかけになるだろう。
「まあ、行ってもいいかな。本当はちょっと宿題残ってるんだけど」
「明日少しくらいなら見てやっても良いぞ。ただし、もうずっと前に勉強した事だから答えは保証しない」
「ん。ならいいかな。じゃあ行こう!!」
「ちょっと待って、準備しないと」
隣の部屋に行ってあまり使われていない物が入っているダンボール箱から、猫用のリードを取り出す。
「それ使えるの?」
「使えないね。でも一応試してみよう」
結論から言うと、このリードを猫の身体に通しても猫は従わなかった。分ってはいる。分ってはいるがゲージに入れたら風情もあったものじゃない。妥協案で、彼女に猫を抱えてもらったまま一応リードを掴んで移動しようという事になった。
「なんかこの子が可哀想なんだけど…」
「まあ安全対策が第一だろう。逃げられたら大変だし」
いよいよ外に出てみる事になった。昔猫を抱えてどこまで行けるかという事を試したことがあったが、厭がってすぐ戻ってしまっていた。ただ、懐いている彼女だからもしかしたら行けるかと思ったのである。意外な事にさして猫は抵抗もせずに抱かれたまま大人しくしている。
「やっぱり大丈夫ですね。だって昔ちょっと連れ出したことありましたもん」
「え?そうだったの?」
花火会場までの距離はここから500メートルくらい。実はかなり近いのである。河原でやる花火で、実際見に行くまでもなく家から見る事が出来るのでわざわざ外で見ようとは思わなかった。当日はうるさいのだが、まあ悪くはない。
「大丈夫みたいですね」
既に会場となる場所までやって来ていた。少しばかり看板があったり、赤い三角コーンなどが置いてあったりで準備が始まっているようだが、まだ機材はそのまま置かれたままで花火も置いていなかった。まだ午前中なので、これから作業が本格的になってくるのだろう。
「やっぱりまだみたい」
川の方からは涼しげな音が聞こえてくる。昔自分も中学生くらいの時には友達を呼んでここら辺でよく遊んでいたのを思い出す。しばし回想に浸ろうとしたら、
「じゃあ写真撮ってくださいよ」
と言われた。写真を撮ったりすることくらいしかないので言われたとおりにする。その後、ブラブラ歩いているが特にする事がないという事に気付く。
「なんか、何にもないですね」
「そりゃあ、まあ、そうだよね」
「なんか無いんですか?」
少しだけ悩んでいるうちに座るのに丁度良い場所を見つけたのでそこに座る。
「思い出話くらいかな。まあ中学校の頃の思い出とかね。興味あれば話すけど」
「興味はあります。ちょっとだけ」
あれは高校二年の夏だったように思う。その日も今日みたいな晴れてるけど風がない日で、俺は何となく部活に行きたくなかった。部活と言っても文化系の部活で、まあ恥ずかしい話だけど軽音部で、下手ながらもかなり真剣にやっている部員の情熱にちょっとついてゆけなくなって行けなくなったというか、まあ君も将来悩むだろうけど進路の事もあって、何となくもう音楽に気持ちが向かなくなってきたんだ。
でも、そんな俺に対して責める人も居なかった。
それを責める人が居なかったという事は良いように思えるけど、寂しい事でもあって、まあ言ってしまえばその日部員に連絡を入れて「今日ちょっと行けないかも」って言ったらさ、
「あ、いいよ。気にしないで」
って返ってきたんだ。その時に、まあ何ていうか音楽の方に行こうという気持ちがもうなくなっちゃった。俺はその部の中で居ても居なくても同じなんだなっていう風に思えてしまったんだ。もともとプロを目指すようなそんな本気じゃなかったし、ただ歌が好きだっただけでは、やっぱり足りないんだなって。
それ以降、何となくこういう風のない日は、何かが『止んじゃった』って気がしてあんまり好きじゃないんだよ。
その話を黙って聞いていた彼女はそれをどう思ったろう。気付いた時には隣に座っていて、猫を撫でていた。そして彼女は沈黙を破って喋り出す。
「わたしには話せることはありません」
「そう」
「でも…『止んではいない』って思う…たとえ『止んだ』としても」
「止んだとしても?」
「自分で起こせばいいんじゃないですか?風」
「どういう事?」
「ちょっとこの子持ってください…。よし…。知ってますか?」
「え?な・・・」
彼女は突然思いっきり走り出した。それこそ『全力疾走』といえるくらいに。さすが中学で陸上をやっているという女の子である。広々とした土地を一周して戻ってきた彼女は物凄く健康的に見えた。
「はぁ・・・はぁ…わかりました・・・か?」
「分ったって何が?」
「わたし風になったんですよ。一瞬だけど。風を起こしてました」
「あ…まあ、そう言われてみればそうだね」
「多分・・・ですけど・・・世界は待ってたんじゃないですかね。お兄さんが風になって走り出すのを。だから止んだように見えているど、走っている間は風がずっとあるんですよ」
「・・・」
不覚にも感動していた。
「さすが陸上部…」
「じゃあお兄さんも走って!!!ほら立って、猫よこして」
「え?走るの?え、え?」
感動したのは確かだが、風になったとはとても言えないような情けないスピードで走り出す。でも僅かにだが、空気が当たって風のように感じなくもない。だが走り終えると物凄く疲れた。
「はぁ・・・・・はぁ・・・・・はぁ・・・・しんどい」
「お兄さん、お兄さん」
「え・・・何?」
「お兄さんが走ってる姿の動画です」
画面に映し出されている自分の走る姿は、何とも言えず歳を感じさせた。
「なんか、、、格好悪いな…」
「いいえ、そんなことありません」
「そう?」
「一生懸命走る姿は美しいものです」
「と言ったって、例外はあるだろう。こんなフォームじゃ…」
「まあ確かに…ふふふ…」
その時、微かにスーッという音がしたような気がした。
「あ、風だ」
「風ですね」
「にゃ~ん」
今年もまたここで賑やかな一発が打ちあがる様子を想像して、年甲斐もなくワクワクしてきたのは秘密にしておこうと思う。




