涙のない身体
研究所の内部は、静かだった。
人の気配はない。
だが、どこか“生活の名残”だけが残っている。
磨かれた床。
整えられた机。
丸い清掃用のロボットが、音もなく床を巡回していた。
リリアはゆっくりと首を巡らせながら歩く。
その背を、運び屋とセレストが追った。
やがて、ひとつの扉の前で立ち止まる。
——「リリア」
そう書かれていた。
リリアは、静かに扉を開ける。
中は、淡いピンクを基調とした部屋だった。
どこか幼く、温かい。
リリアは一歩、踏み込む。
しばらく何も言わず、部屋の中を見回した。
「二人とも、入っていいよ」
呼ばれて、二人も中へ入る。
その時だった。
「……あ」
リリアの足が止まる。
ベッドの隅。
そこに、小さなぬいぐるみが置かれていた。
「……これ取っといてくれたんだ」
そっと手に取る。
「これ、私のお気に入りなの!」
だいぶ傷んでるが、
何度も補修された後が見える。
「忙しいお父さんとお母さんに初めて買ってもらったんだ!」
「へぇ、良いね」
運び屋が頷く。
リリアは少しだけ胸に抱き寄せてから、
元の場所へ戻した。
そしてまた歩き出す。
次に来たのはキッチンだった。
色とりどりの食器がガラスの向こうに見える。
「お父さんがねアイデアには食事と」
「彩りが大事なんだって!」
ある棚にレシピが貼ってある。
『㊙︎特製プリン』と書いてある。
「これ!」
リリアが少しだけ声を上げる。
「お母さんがよく作ってくれたの!」
一瞬、間が空く。
「……あまり上手じゃなかったけどね」
小さく笑う。
二人は静かに話を聞いている。
またリリアは歩き出す。
やがて辿り着いたのは、家族の団欒の場だった。
リリアは中央の机の前で立ち止まり、
写真立てを手に取った。
そして振り返り二人に見せる
「これ私達、家族だよ」
そこには無邪気に笑う可憐な少女と
先程、外で見た男を若くした男性と
聡明そうな女性が少女を挟んで
満面の笑顔で写っている写真だった。
「あーあ、やっぱり居ないのかなー」
「二人ともなんとなく気づいてるんじゃない?」
少しの沈黙。
「ベルナー家の不治の病の娘の正体」
視線を落とす。
「……私の事だって」
空気が止まる。
誰もすぐには言葉を返さなかった。
「日向君が私を起こしてくれたよね」
リリアは続ける。
「あれが人格保存できる装置だったんだ」
セレストの息がわずかに詰まる。
「そうだよね、今の時代でもそんな事できないと思う」
「でも……なんで今なんだろう」
「なんでもっと早く起こしてくれなかったんだろう」
声が揺れる。
「もっと一緒にいたかったよー」
「お父さん……お母さん……」
わずかに震える。
「この身体じゃ、涙も出ないよー…」
その瞬間
セレストがリリアを強く抱きしめる。
「…ルクナ君」
リリアが戸惑う。
「機械の身体なんか抱きしめても意味なんかー」
「関係ない!関係ないよ」
セレストが言い切る。
「今ここでリリアが泣いてるのに
人とか機械とか、関係ないよ!」
声が震えていた。
「リリアが落ち着くまで
“僕”はずっとこうしてる!」
しばらく、沈黙が続いた。
やがて。
「……ありがとね」
リリアが小さく言う。
「“セレスト”君…」
ーーどれほどの時間が経ったのか分からない。
やがて、二人は静かに落ち着きを取り戻した。
「…ありがとうセレスト君、
もう大丈夫だから…」
リリアが静かに言う。
「…こっちこそ、ごめんなさい…」
セレストは身体を離す。
そこで二人はある事に気づく
運び屋がいない事に
そこへちょうど通路から運び屋が姿を現す。
「あら、お二人さん落ち着きました?」
運び屋が顔を出した。
「日向さん、はどこに行ってたんですか?」
セレストが少し頬を膨らませる。
「ちょっとね」
軽く流す。
「…日向君、目赤くない」
リリアがじっと見る。
「日向君、もしかして泣いてたのー」
リリアはからかう口調で言う。
「はい、泣いてました」
即答だった。
リリアは面白くない様子だ。
「そんな事よりもです」
運び屋が続ける。
「まだ回ってない場所があります」
空気が少しだけ変わる。
「何故リリアちゃんのご両親が“今”にしたのか」
「その理由があるかも知れません」
と二人を元来た道に示す。
この家の最奥に一際重厚な扉があった。
リリアがその扉の前に立つ。
すると入り口と同様
電子音が鳴り、扉が静かに開いた。
「…じゃ行こ、二人とも」
振り返る。
先程までより、リリアの声は少し軽い。
三人は、奥へと足を踏み入れた。




