第9話 カトリーヌの暴走、愛の監獄は24時間営業中
第一王子・エドワードが主催する恐怖の晩餐会から、俺たちは無事に騎士団寮へと帰還した。
俺が致死量の十倍の猛毒入りケーキを「極上スパイス」として美味しく平らげたことで、エドワードは完全に戦意を喪失し、悲鳴を上げて逃げ出していた。
これでしばらくは、第一王子派からの小賢しい暗殺計画や嫌がらせも鳴りを潜めるだろう。俺の念願である平穏なニート生活がついに始まる。
――そう、俺は完全に油断していたのだ。
「……許せない」
深夜の騎士団寮、カトリーヌの自室。
豊満な胸に俺を抱きしめたまま、彼女は氷のように冷たい声で呟いた。
部屋の明かりは消え、窓から差し込む青白い月光だけが、彼女のハイライトの消えた虚ろな瞳を照らし出している。
「あの晩餐会……エドワード殿下をはじめ、貴族たちの薄汚い視線が、ずっと私のアル君にまとわりついていたわ。あんな毒虫どもの巣窟に、私の純真無垢な天使を連れて行くなんて……やっぱり、この世界は危険すぎるのよ」
(いや、その毒虫の親玉、俺がケーキ食っただけで寿命縮めて逃げ出したけどな)
俺は内心でツッコミを入れつつ、狸寝入りを決め込んでいた。
だが、カトリーヌの暴走は、俺の想像を遥かに超える次元へと突入していた。
彼女はそっと俺をベッドに寝かせると、重厚な樫の木の扉に向かい、分厚い鉄の鎖と何重もの南京錠をガチャガチャと掛け始めたのだ。
(おいおい、物理的なバリケードかよ。副団長室を要塞にでもする気か?)
「……物理的な鍵だけじゃ、まだ不安ね。魔法使いの暗殺者が来たらどうするの。教会の泥棒猫(聖女)だって壁を抜けてくるかもしれない」
カトリーヌはブツブツと呟きながら、自室の厳重な隠し金庫を開けた。
そこから取り出したのは、不気味な黄金の輝きを放つ、ソフトボール大の宝玉だった。
(なっ……!? おい嘘だろ!? あれは、昔俺たちが違法魔導士のギルドから押収して、危険すぎるから王宮の地下深くに封印したはずの古代魔道具『絶対守護の宝玉』じゃないか!)
「ふふっ……ふふふふっ! 権限を使って、極秘に持ち出しておいて正解だったわ。これさえあれば、誰も入ってこれない。そして『誰も出られない』……!」
カトリーヌが宝玉を床に置き、祈るように手をかざして己の魔力を力任せに叩き込んだ。
ギギュィィィィィィンッ!!
宝玉が駆動音を上げ、部屋全体を半透明の黄金のドームが覆い尽くした。
窓枠は塞がれ、扉の隙間すら光の壁で完全に密閉されている。
「ああ、素晴らしいわ。これでこの部屋は、アル君と私だけの永遠の楽園(監獄)。一生、ここから出ないで、二人だけで幸せに暮らしましょうね……?」
(冗談じゃない!!)
俺は心の中で絶叫した。
三十路の元・最強騎士団長が、なんで元部下の部屋で一生軟禁されなきゃならないんだ! 俺の夢は自由で自堕落なニート生活だ! こんな「24時間営業の愛の監獄」に閉じ込められてたまるか!
「アル君、起きてるんでしょう? さあ、お姉ちゃんと永遠の愛を誓って――」
カトリーヌが顔を近づけてきたその瞬間。
俺は「むにゃむにゃ……おといれー」と寝ぼけたふりをしてベッドから転がり落ち、トテトテと部屋の中央にある『宝玉』へ向かって歩き出した。
「あらあら、おトイレね。でも大丈夫よ、お姉ちゃんが可愛いおまるを用意して――」
「やだー! おそとのトイレがいいのー!」
俺は泣き叫ぶふりをして、床の宝玉にペタッと小さな手を押し付けた。
やることは一つ。この魔道具の回路に、俺の「死神級」の超圧縮魔力をピンポイントで流し込み、基盤をショートさせて結界を強制停止させる!
(よし、ここだ! 魔力回路の結節点に、極小の魔力弾を……撃ち込む!)
俺は指先から、目に見えないほど圧縮された魔力を宝玉のコアに流し込んだ。
――パリンッ! と、内部の回路が砕ける確かな手応え。
よし、これで結界は消滅するはずだ。
だが。
『――ピピッ。警告。結界コアへの致命的な魔力干渉(破壊工作)を検知。防衛システム崩壊。これより、ユーザーが事前登録した【緊急脱出座標】へ強制転移を開始します』
(……は?)
宝玉が停止するどころか、無機質な機械音声が響き渡り、魔道具のベクトルが「外部からの遮断」ではなく、「空間そのものの超絶射出」へと切り替わったのだ!
「ちょっ、おねえちゃん、これヤバ――」
「えっ? きゃあああああああっ!?」
――ドゴォォォォォォォォォンッ!!!
騎士団寮の最上階が、内側から大爆発を起こした。
暴走した宝玉が部屋の床と天井の空間ごと切り取り、俺たちを乗せた赤黒い光の球体となって、まるで大砲の弾のように夜空に向かってカッ飛んでいったのだ!
「うわああああああああっ!!」
「アル君んんんんんっ!! 離さないわ! 絶対に離さない!!」
猛烈なG(重力加速度)の中、俺とカトリーヌは光の球体に包まれたまま、王都の夜空を一直線に飛翔していた。眼下には、深夜の王城や貴族街の灯りがジオラマのように小さく見えている。
(どうしてこうなった!? 俺はただトイレに行くふりをして結界を壊したかっただけなのに!)
強風とパニックで目を回している俺に対し、カトリーヌは俺をがっちりと抱きしめたまま、満天の星空の下でうっとりと微笑んだ。
「ふふっ、心配ないわアル君! 万が一、あの結界が誰かに破られた時のために、この魔道具の『緊急脱出先』をあらかじめ設定しておいたの!」
「な、なんだって……!?」
「これから私たちは、誰にも邪魔されない神聖な場所に向かうのよ。そう……愛するアルベルト団長が眠る、あのお墓へ!」
(お前、魔道具の緊急避難先に俺の墓を事前登録してたのかよ!? ヤンデレの危機管理能力高すぎだろ!!)
つまり、俺が結界を物理的に壊そうとした行為が『敵の襲撃』と判定され、カトリーヌが設定していたヤンデレ脱出装置を作動させてしまったのだ。完全なる俺の自業自得である。
俺の悲鳴も虚しく、光の球体は王都の防壁を遥かに越え、郊外の暗闇の中へと放物線を描いて落下していった。
シュルルルルル……ドスゥゥゥゥンッ!!
凄まじい衝撃と共に、光の球体は地面に激突し、数回激しくバウンドしてようやく停止した。
役目を終えた古代の宝玉がパキーンと音を立てて砕け散り、俺たちはふかふかの草むらの上に放り出された。
俺の異常な魔力障壁と、カトリーヌの常人離れした肉体強化のおかげで、奇跡的に二人とも無傷だ。
「……っ、痛たた。ここは……」
俺は目を回しながら身を起こし、周囲を見渡した。
そこは、王都の外れ。静寂に包まれた森の奥深く。
青白い月明かりに照らされていたのは、無数の白い墓標。
そして、その中央に一際大きく建てられた、真新しい大理石の墓石だった。
そこに刻まれていた名前を見て、俺は息を呑んだ。
『王国騎士団長 アルベルト・ヴァン・レオンハルト、ここに眠る』
(……マジかよ。よりによって、自分で魔道具を壊したせいで、俺自身の墓場にホーム・インするとは)
「……英雄の墓所……」
カトリーヌも起き上がり、その墓石を見つめて呆然と呟いた。
先ほどまでの狂気じみたヤンデレの顔が嘘のように消え、彼女の瞳に、かつての副団長としての、そして一人の女性としての悲痛な色が浮かび上がる。
冷たい夜風が吹き抜けた。




