第7話 聖女の来訪、そしてバレそうになる正体
騎士団寮の談話室は、甘い香りと異様な熱気に包まれていた。
「あーん、アル君。今日は王室御用達の最高級プリンよ。お口を開けて?」
「……あーん」
「んふふっ、お口の周りにカラメルがついてるわ。可愛い。私の天使……」
カトリーヌが俺の頬についたカラメルをナプキンでふき取る。
三十路の元・上司に対する尊厳破壊もここまで来ると一周回って諦めの境地だ。俺は六歳児という「最強の盾」を使いこなし、ただひたすらに甘やかされるがままになっていた。
(美味い。さすが王室御用達のプリンだ。……昨日、王城の執務室を半壊させたカトリーヌは反逆罪モノだが、不憫すぎる親友ルーカスが血の涙を流しながら『古い魔導具の暴走事故』として揉み消してくれた。おかげで、こうして呑気におやつタイムを満喫できている。すまん親友、今頃血を吐きながら俺の書類の山と、部屋の修繕手配と格闘しているんだろうな。俺の分まで国のために働いてくれ)
心の中で王城に向かって十字を切って感謝していると、不意に、騎士団寮の外から荘厳な鐘の音が鳴り響いた。
同時に、寮の廊下がざわつき始める。
「おい、教会の馬車だぞ! なぜこんな所に……」
「まさか、あの『聖女』様が直々にいらっしゃったのか!?」
扉が静かに開き、眩いばかりの純白の法衣に身を包んだ一人の女性が現れた。
透き通るような銀糸の髪、慈愛に満ちたアメジストの瞳。
神聖王国の信仰の頂点に立つ存在――聖女ソフィアである。
「カトリーヌ副団長……。突然の訪問をお許しください」
ソフィアの声音は深く沈み、その美しい瞳には涙が浮かんでいた。
俺は内心で(げっ)と冷や汗を流した。
ソフィア。彼女は三年前、魔王軍の幹部である上位魔族に襲われていたところを、俺が単騎で駆けつけて救い出したという過去がある。
それ以来、彼女は俺に対して異常なほどの信仰心(というか、もはや重度の恋心)を抱いており、事あるごとに王宮で俺を待ち伏せしては手作りのお守りを押し付けてくる厄介な……いや、熱心なファンだった。
「ソフィア様。わざわざ足を運んでいただき、恐縮です」
「いいえ……。アルベルト団長の訃報を聞き、居ても立っても居られず……。あの方は、私の、私の光でしたのに……ッ!」
ソフィアがハンカチで顔を覆い、すすり泣く。
その光景に、俺の胸もチクリと痛んだ。まさか俺が死んだ(偽装だが)ことで、ここまで悲しんでくれる人間がカトリーヌ以外にもいたとは。少し申し訳ない気もする。
「……そちらの、愛らしいお子様は?」
ふと、涙を拭ったソフィアの視線が、カトリーヌの膝の上に座っている俺に向けられた。
「この子はアル君です。亡き団長の遠縁の孤児で……今は私が、この子の『すべて』をお世話しておりますの」
カトリーヌが俺を抱きしめる力を強め、どこか牽制するような、マウントを取るような笑みを浮かべた。女同士の謎の火花が散っている気がする。
だが、問題はそこではない。
俺の顔を見たソフィアの表情が、ハッと硬直したのだ。
「アルベルト様と、同じ名前……。それに、この面影……まさか」
ソフィアの瞳の奥で、アメジストの色彩が黄金色に発光し始めた。
――マズい!!
俺は全身の毛穴が全開になるほどの危機感を覚えた。
聖女ソフィアの固有能力『真理の瞳』。
それは対象の「魂の形」を視覚化して完全に読み取るという、チート級の神聖魔法だ。
俺の正体がバレれば、エドワードに消されるだけじゃない。このカトリーヌとソフィアという二大ヤンデレに一生監禁される未来が確定する!
(魔力で魂を偽装するか? いや、脳筋の俺が下手に器用な魔力操作なんてすれば、逆に怪しまれる。ここは……視線を物理的に遮るしかない!)
一秒にも満たない刹那の思考。
俺は三十年の騎士人生で培った判断で、「超絶的な身体能力(物理)」と「六歳児の愛らしさ(あざとさ)」をフル稼働させた。
ソフィアの瞳が完全に発光するコンマ一秒前。俺はカトリーヌの膝を蹴って弾丸のように飛び出し、ソフィアの顔面へ向かって音速でダイブした。
「きれーなおねえちゃん、泣かないで! えいっ!」
俺は愛らしい声を上げながら、ソフィアの顔面にパーフェクトなタイミングで超絶ソフトに抱きついた。
正確には、彼女の両目に俺のぷにぷにのほっぺたと両手を密着させ、その視界を物理的にブラックアウトさせたのだ。
ただの無邪気な六歳児のハグに見えるが、実際には回避不能の『超物理目隠しアタック』である。
「むぎゅぅぅぅっ!?」
ソフィアは声にならない悲鳴を上げ、その強烈な衝撃で強制的に鑑定スキルを中断させられた。
そのまま二人は床へともつれ込む。その拍子に、俺の足先が談話室の分厚いカーテンの留め具に引っかかり、それを勢いよく引きちぎってしまった。
バサァッ!
開け放たれた窓から、西日が暴力的なまでの輝きを放って室内に差し込む。
同時に、ソフィアの懐から一冊の分厚い教典が滑り落ち、床に落ちた衝撃でパラパラとページが開いた。
(よし、鑑定は防いだ! あとは泣いている女を慰める無垢な子供を演じ切るだけだ!)
俺はソフィアの顔からどき、パッと両手を広げてステンドグラス越しの太陽を指差した。
「ほら! お日様もキラキラだよ! おねえちゃん、笑って!」
何気ない、ただの六歳児の無邪気な一言。
だが、目を開けたソフィアの目に飛び込んできた光景は、俺の想定をはるかに超えた「奇跡の構図」を完成させていた。
背後から強烈な西日を浴びた俺の姿は、逆光によって神々しい光の輪を背負っているように見えたのだ。さらに、床に落ちて偶然開かれた教典のページには、金色の文字でこう記されていた。
『――嘆きの乙女の涙を拭うため、小さき光の聖獣は空より舞い降りる。その身に太陽の輪を背負い、「光を見よ」と語りかけるであろう』
「……あ、ああ……あぁぁ……ッ!!」
ソフィアは床に座り込んだまま、開かれた教典と、後光が差す俺を交互に見比べ、激しく震え出した。
その目からは、大粒の涙が滝のように溢れ出していた。
「み、見えました……。カトリーヌ様、この子は、ただの子供ではありません……!」
「え? どういうことですか? 今、単にカーテンが外れただけに見えましたが……」
「いいえ! 教典の第十七章、第三節! 『嘆きの乙女の涙を拭う光の獣』の予言と、今この瞬間の奇跡が完全に一致しました! 悲しむ私を慰めるため、自ら飛び込んできた慈愛の温もり……そしてこの神々しい後光……!」
(いや、それ俺の体温(物理)と、ただの西日だから! 教典の記述は完全なる事故だ!)
「人間の持つ打算が一切存在しない、この純粋な衝撃……! この子は古文書にも記述のある、神の使い『聖獣』様に違いありません!」
ソフィアは俺のほっぺたの感触と偶然の奇跡を「神の啓示」だと完全に勘違いし、俺の足元に恭しく口付けをした。
「おお、偉大なる『聖獣』様……! まさか、人の子の姿をとってこの地上に降臨なされるとは……!」
(…………は?)
「せ、聖獣……ですって!?」
カトリーヌが驚愕に目を見開く。
「はい! 私の鑑定の目を塞いだのも、私などの穢れた魂で”聖獣様を評価”しようとする不届きをたしなめてのこと! きっと、アルベルト様の高潔な死を悼み、女神様がアルベルト様の魂の代わりに、この聖獣様を遣わしてくださったのです! ああ、なんという奇跡……!」
ソフィアは祈りのポーズで俺を拝み始めた。
俺の頭は完全にフリーズしていた。
ただ物理的に目を塞いで誤魔化そうとしただけなのに、カーテンの事故と教典の予言が奇跡的な一致を起こし、まさかの「人間ですらない神聖な生き物(聖獣)」と判定されてしまったのだ。
「そんな……アル君が、女神様の遣わした聖獣様……?」
カトリーヌの様子がおかしい。
彼女はブルブルと震えながら、俺の頬をそっと両手で包み込んだ。
そして、瞳の奥に、かつてないほど巨大な『ヤンデレの炎』を燃え上がらせた。
「やっぱり……! 私の目に狂いはなかったわ! アル君はただの天使じゃなくて、本物の神格だったのね! ああ、愛しい私の聖獣様……!」
「ちょ、おねえちゃ、くるし……ッ!」
カトリーヌに抱き潰されそうになっていると、ソフィアが勢いよく立ち上がった。
「カトリーヌ様。聖獣様がこの俗世の、しかも汗臭い騎士団寮にいるなどあってはならないことです! 直ちに教会の大聖堂へお迎えし、国を挙げて保護と崇拝を――」
「お断りします!」
カトリーヌが、ソフィアに向かって大剣を抜かんばかりの殺気を放った。
「この子は団長が『私に』遺してくれた希望です! 教会のジジイどもに触れさせてたまるもんですか! 聖獣様は、私が一生この部屋で守り抜きます!」
「何という不敬な! ならば私がこの寮に住み込み、聖獣様の専属巫女としてお仕えします!」
「はあ!? 私という絶対の保護者がいるのに、泥棒猫は帰ってちょうだい!」
「アルベルト様を愛していたのは私です!」
「団長を一番理解していたのは私よ!」
俺(アル君・六歳・聖獣)を真ん中に挟んで、王国最強の武力(副団長)と王国最高の権威(聖女)が激突し、現場は壮絶な修羅場と化した。
火花を散らす二人の美女。飛び交う物騒な魔力と殺気。
(……ねえ、ルーカス。俺、このままじゃ本当に人間をやめることになりそうなんだけど)
俺は冷たくなったプリンを口に運びながら、遠い目をして窓の外の青空を見上げた。
結局、この命がけの痴話喧嘩は、「聖獣様を相応しくお迎えするためには、まず大聖堂を国庫の予算で全面改装しなければ!」とソフィアが謎の使命感に燃えて一時撤退するまで、数時間ぶっ通しで続いたのだった。
正体は無事に隠し通せた。
だが、俺の「ニートとして平穏に生きる」というささやかな夢は、聖女の参戦によって、いよいよ修復不可能なレベルで崩壊への道を突き進んでいくのであった。




