第3話 無垢な天使(中身は元上司)と、宙を舞う汚職騎士
「アルくん、お着替えできたかしら? まあ……! なんて似合うの! 天使! 私の天使よ!」
翌朝。騎士団寮の談話室で、俺はカトリーヌに抱きしめられながら頬ずりされていた。
俺が着ているのは、ルーカスが手配してくれた従騎士見習い(ページ)の制服だ。六歳児の体型に合わせて急遽仕立て直されたそれは、確かに可愛らしい仕上がりになっている。
「えへへ……(中身三十歳のおっさんに向かって天使とは、お前も相当末期だな)」
俺は子供らしい愛想笑いを浮かべながら、内心でため息をついた。
ルーカスとは士官学校時代からの腐れ縁だが、あの頃から俺が暴走し、あいつが裏工作で揉み消すという役割分担ができていた。まさか三十歳を過ぎても、同じようになるとは思わなかったが。
「さあ、今日は訓練場を案内するわね。誰か変な虫がつかないように、お姉ちゃんがずっと手を繋いであげるから」
カトリーヌは完全に俺を『亡き団長の形見のペット』か何かのように溺愛している。
俺は大人しく小さな手を引かれ、中庭の訓練場へと向かった。
土と汗、そして鉄の匂い。騎士団長として毎日立っていた場所だ。
こみあげるような気持ちは、下品な笑い声によってすぐさま打ち砕かれた。
「ゲハハハ! 随分と楽しそうだな、カトリーヌ『副』団長。いや、もうすぐ平騎士に降格予定だったか?」
歩み寄ってきたのは、脂ぎった顔に立派な鎧を着込んだ男。
第一王子派閥に属する汚職騎士、バルトロだ。
実力もないくせに家柄だけでふんぞり返り、俺が団長だった頃も幾度となく不正を働いては厳重注意を受けていたクズである。
「バルトロ……。私に何か用ですか? 今は新入りの案内中なのですが」
「新入り? ああ、例の『アルベルトの遠縁』ってヤツか。死んだ途端に、こんなガキが団長の代わりに入団とは、あの堅物団長も草葉の陰で泣いてるぜ」
バルトロが俺を指差してせせら笑う。
カトリーヌの顔からスッと表情が消え、剣の柄に手が掛かった。
「……団長と、この子を侮辱することは許しません。撤回なさい」
「おっと、抜く気か? やめとけやめとけ。俺はエドワード殿下の推薦で、次期『騎士団長』の椅子に座る男だぜ? 俺に刃向かえば反逆罪だ。お前は、後ろ盾のないお飾りに過ぎないんだよ」
バルトロの言葉に、周囲の騎士たちが悔しそうに顔を伏せる。
俺が死んだことで、エドワード派が一気に騎士団の乗っ取りを進めているのだ。
カトリーヌの肩が小刻みに震えている。だが、ここで彼女が剣を抜けば、本当に反逆罪で処罰されかねない。
(……やれやれ。俺が死んだ途端にデカい顔しやがって。本当に小者だな)
俺は周囲の状況を瞬時に観察した。
バルトロの立ち位置。風向き。訓練用の木剣が立てかけられた武器ラック。そして、その横にある古びた素振り用の『回転式木人』。
(うん。条件は完璧だ)
俺はカトリーヌの前にトテトテと進み出た。
そして、目にいっぱいの涙を溜めて、バルトロを睨みつける。
「おねえちゃんを、いじめるなー!」
「ああん? なんだこのクソガキは。引っ込んでろ!」
バルトロが俺を蹴り飛ばそうと足を上げた、その瞬間。
俺はわざとらしく「わあっ!」と叫んで前のめりに転んだ。
と同時に、指先に極小の圧縮魔力を込め、地面に落ちていた親指大の小石を弾き飛ばす。
ピュッ!
弾丸のように飛んだ小石は、バルトロの後ろにある『回転式木人』の留め具に正確に命中!
留め具が外れ、遠心力で激しく回転した木人の腕(木剣)が、隣の武器ラックの支柱を粉砕した。
ガシャアアアアンッ!!
「ぬおっ!?」
驚いて後ろを振り向いたバルトロの足元に、ラックから崩れ落ちた大量の槍の柄が、ガラガラと転がってくる。
もちろん、バルトロが足を乗せる位置を計算してのことだ。
「うお、わ、わわわっ!?」
槍の柄を踏んづけたバルトロは、絵に描いたように見事にすっ転んだ。
だが、ただ転ぶだけではない。
バランスを崩して宙を舞った彼の身体は、そのまま放物線を描き――。
バシャアアアアアンッ!!
軍馬に水を飲ませるための、泥水と馬の唾液がたっぷり詰まった巨大な水桶に、頭から見事に突っ込んだ。これは想定外だ。
「ぷはっ! げほっ、ごほっ! ど、泥が! 目に……ッ!!」
水桶から顔を出したバルトロは、全身泥だらけで、頭には水草が乗っている。
先ほどまでの威張った態度は見る影もなく、巨大なカエルのような無様な姿だった。
周囲の騎士たちから、堪えきれない爆笑が噴き出す。
「て、てめぇら! 何を笑ってやがる!!」
激怒したバルトロが立ち上がろうとしたが、泥で滑って再び水桶の中に顔からダイブした。
「ぷくぶくぶく……っ」
俺は転んだままの姿勢で、わざとらしく首を傾げる。
「あれれー? おじさん、お水遊びしたかったのー? お馬さんのお水だよー?」
「……っ、ふふ、あはははは!」
カトリーヌが、堪えきれないといった様子で吹き出した。
久しぶりに見る、彼女の心からの笑顔だった。
彼女は慌てて駆け寄ると、転んだ俺を抱き起こし、泥を払ってくれる。
「大丈夫? ケガはなかった?」
「うん! おじさんが勝手に転んだの!」
「ふふ、そうね。バルトロ卿ったら、ドジなんだから」
カトリーヌは俺をきつく抱きしめ、耳元で優しく囁いた。
「ありがとう、アルくん。私を守ろうとしてくれたのね。……なんて勇敢な子。やっぱりあなたは、団長が遺してくれた天使だわ」
(いや、三十路のオッサンによる緻密な嫌がらせなんだがな)
水桶の中でもがく汚職騎士を横目に、俺はカトリーヌの柔らかな胸の中でこっそりとVサインを作った。
第一王子派閥の嫌がらせなど、俺の「事故偽装」にかかれば赤子の手をひねるようなものだ。
だが、俺の平穏なニート生活への道は、いろいろと前途多難のようだ。




