第10話 英雄の墓参り、そして死神は空を見る
静寂に包まれた森の奥深く。青白い月光が、真新しい大理石の墓石を照らし出している。
『王国騎士団長 アルベルト・ヴァン・レオンハルト、ここに眠る』
自分の名前がデカデカと彫られた墓標の前に立つというのは、なんとも言えない奇妙な気分だった。
「団長……。ごめんなさい。私、あなたの代わりにはなれませんでした」
カトリーヌが墓石の前に膝をつき、ポロポロと涙をこぼしていた。
先ほどまでの暴走するヤンデレの面影はない。そこにいるのは、上司を失い、拠り所を無くして迷子になった一人の女性の姿だった。
「私、ずっと団長の背中を追っていました。いつか、あなたに並び立つ騎士になりたくて。……でも、あなたが死んで、私の中の何かも一緒に死んでしまった」
(……カトリーヌ)
俺は少し離れた場所で、彼女の細い背中を見つめていた。
胸の奥がチクリと痛む。俺がニート生活を満喫するために死を偽装したことで、彼女にこれほどの悲しみを背負わせてしまったのだ。
俺の異常に圧縮された魔力を解明し、三十路の元の姿に戻る方法を探すべきなのだろうか? もう一度、俺が彼女の前に立って――。
『――なんだ今の爆発は!? 空から落ちてきたぞ!』
俺の感傷を切り裂くように、森の静寂を破る無数の怒声と、煌々たる松明の炎が周囲を包み込んだ。
見れば、静かだったはずの墓地の周囲には、完全武装した数百名にも及ぶ重装部隊が展開していた。第一王子・エドワードの私兵たちだ。
「隊長! 落ちてきた光の球からガキが! こいつ、殿下が仰っていた『毒喰いの化け物』です!」
「なに!? ……くくっ、好都合だ! 我々は殿下の命により、まずは目障りな英雄の墓石を粉砕し、その足で騎士団寮に夜襲をかけて『あのガキを暗殺』する手はずだったが……まさか、自ら我々の前に飛んでくるとはな! 探す手間が省けたぞ!」
(なるほど……!)
俺は全てを悟った。晩餐会で俺に恐怖を植え付けられたエドワードは、俺を確実に暗殺するために軍隊を動かしていたのだ。そして、どうせならと腹いせに俺の墓まで破壊しようと、この深夜の墓地に部隊を集結させていたのである。
そこに、王都から一直線に飛んできた俺たちの『光の球』が、特大の打ち上げ花火のように目印となって、自ら暗殺部隊のど真ん中に墜落してしまったというわけか。最悪の自業自得と不運のミックスである。
「やれ! 墓もガキも骨すら残すな! 一発で仕留めろ!」
数百の軍勢が、一斉に殺意を放って突撃してくる。
だが、カトリーヌはゆっくりと立ち上がると、涙を手の甲で乱暴に拭い去った。
そして、背中に背負っていた身の丈ほどもある大剣を抜いた。
「……いいえ。一つだけ、団長が私に遺してくれたものがあったわ」
カトリーヌが俺の前に立ち、その華奢な背中で、数百の軍勢から俺を、そして背後の『墓石』を完全に庇うように構えた。
彼女の瞳から、迷いや虚ろな光は完全に消え去っていた。代わりに宿っていたのは、一切の揺るぎがない、澄み切った『覚悟の炎』だ。
「貴様らのような薄汚い連中に、団長の眠る場所は荒らさせない! そして……私はもう、過去の幻影には泣かない。この腕は、今ここにいるこの子を守り抜くために振るう!!」
ゴウッ!!
カトリーヌの全身から、凄まじい闘気のオーラが噴き出した。
かつて最強と言われた俺の右腕。王国最高の物理アタッカーが、迷いを吹っ切って完全覚醒した瞬間だった。
「うおおおおおっ!!」
カトリーヌが大剣を横薙ぎに一閃する。それだけで強烈な衝撃波が発生し、先頭を走っていた十数名の重装兵が紙屑のように吹き飛ばされた。
だが、相手は数百。いくら彼女が強くとも、この開けた地形で全方位からの波状攻撃を受ければ、いずれ体力が尽きる。
現に、後方の弓兵たちが一斉にカトリーヌの死角――すなわち、俺に向かって無数の矢を放ち始めた。
「アル君! 危ないッ!」
カトリーヌが振り返ろうとするが、間に合わない。
――いや。間に合わせる必要などないのだ。
(カトリーヌ。お前が俺の過去を乗り越えて、未来を向いてくれたのは嬉しいよ。……だから)
俺は短く息を吐き、天使のような愛らしい笑顔を浮かべた。
(俺の墓を荒らし、俺の平穏なニート生活を脅かすゴミ共は、俺自身が『お掃除』してやる)
俺は指先を軽く鳴らした。
パチン、と。
ただそれだけ。それだけで、俺の体内に封じられた全盛期の十倍以上という『死神級』の超圧縮魔力が、地脈を通じて広範囲の物理法則を強引に書き換えた。
「――なっ!? 矢が、空中で止まっ……!?」
俺に降り注ぐはずだった数百本の矢が、まるで目に見えない壁にぶつかったかのように空中で静止した。
そして次の瞬間。
ヒュゴォォォォォォォォォッ!!
局地的な超暴風が発生し、静止していた矢が、寸分違わぬ軌道で『放った弓兵たちの兜の隙間』に向かってUターンしたのだ。
「ぎゃあああっ!?」
「目が、目がぁぁ!」
「なんだこの風は!? 立っていられな――うわあああっ!?」
事故は止まらない。
突風に煽られた馬たちがパニックを起こして暴れ回り、騎兵たちを次々と振り落とす。振り落とされた重装兵たちは、仲間の上に折り重なって見事なドミノ倒しを引き起こしていく。
さらに、俺が足元の地面を軽く踏み鳴らすと、敵陣のど真ん中の地盤だけが「運悪く」局地的な陥没を起こし、指揮官を含めた数十名が一瞬にしてすり鉢状の穴の底へ滑り落ちていった。
「ひぃぃっ! ば、化け物だ! 噂は本当だったんだ! あのガキに近づくと死ぬぞぉぉ!」
わずか数分。
俺は文字通り「一歩も動かず」、カトリーヌも「最初の一振りのみ」で、エドワードの誇る数百の私兵部隊は、折り重なって気絶・昏倒し、完全に壊滅していた。
静寂が戻った墓地。
俺はわざとらしくコテンと首を傾げた。
「あれれー? おじさんたち、みんな転んじゃったのー? 気をつけて歩かないとダメだよー?」
俺の無垢な声が響く。
カトリーヌは呆然と大剣を下ろし、周囲の惨状と、無傷で微笑む俺を交互に見つめた。
そして、彼女の瞳に、再び特大の信仰心が灯った。
「アル君……。あなた、指を鳴らしただけで軍隊を壊滅させたのね? やっぱりあなたは、私を導くために降臨した神様(聖獣)だったのね!」
「……え?」
「もう迷わないわ! アル君は私が一生、細胞の一粒まで愛して守り抜いてあげる!!」
ガシィィィィンッ!
俺はカトリーヌの豊かな胸の谷間に、ダイソンも青ざめるほどの吸引力で抱きしめられた。
痛い。苦しい。そして、ヤンデレが昇華された結果、逆に『神への狂信』へとランクアップしてしまった気がする。
(まあ、いっか。……俺のニート生活は守られたんだから)
俺はカトリーヌの温もりの中で、そっと夜空を見上げた。
――数日後。
「……ということで。私兵を勝手に動かした罪と、焼け跡から見つかった『裏帳簿』の数々を突きつけてやったよ」
騎士団寮の談話室。
目の下に消えない隈を作ったルーカスが、紅茶をすすりながら報告をしてきた。
「おお! じゃあエドワードはついに廃嫡か!?」
「いや、廃嫡にはしない。兄上を完全に潰せば、エドワード派の貴族たちが暴走して国内が荒れるからな。だから俺が『陛下にとりなしてやった』という形にして、兄上に一生返せない恩と借りを背負わせた。これで兄上は俺の飼い犬だ。お前やカトリーヌに二度と無茶はしないよう、キツく釘を刺しておいたよ」
ルーカスは冷酷な笑みを浮かべた。
なるほど、単に潰すのではなく、政治的カードとして飼い殺すか。さすが俺の親友、恐ろしいタヌキっぷりだ。
「サンキューな、ルーカス。これでついに、俺の平和なニート生活が約束されたってわけだ!」
「……お前なぁ。その『平穏な生活』のために、俺がどれだけ苦労したと思ってるんだ」
ルーカスは忌々しそうに俺を睨んだ。
「お前の財産相続の件だがな。この間、お前が『イヤイヤ期』を発動して、俺が徹夜で作った”遠縁の養子縁組”の書類を全部ビリビリに破き捨てただろ?」
「あ、うん…あれはすまん。体が幼児化していると心も引きずられてしまうようだ……」
「あのせいで、お前を『遠縁の孤児』として法的に財産を継がせるルートは完全に消滅したんだよ!」
「えっ!? じゃあ俺の財産はどうなるんだ?……」
「だから! 俺が苦労して、また新しい書類と証拠を揃えたんだよ。誰にも文句の言えない、な。……おい、カトリーヌ。ちょっとこっちへ来い」
厨房から、最高級のフルーツタルトを持ったカトリーヌが笑顔で現れた。
「アル君、おやつよー! お茶も淹れたわ。……あら、殿下。特例とは何のお話ですか?」
「ああ、実はなカトリーヌ。アルベルトの財産相続のために、俺は王宮で公式にこの子の素性を発表したんだ」
ルーカスは極めて真剣な顔を作り、重々しく告げた。
「この子は、遠縁なんかじゃない。亡きアルベルトが密かに交際していた女性との間に生まれた……正真正銘の『実の息子(隠し子)』なんだ」
ガシャンッ!!
カトリーヌの手から銀のトレーが滑り落ち、床にフルーツタルトが散乱した。
彼女の目が、限界まで見開かれている。
「だ、団長の……実の、子……? ということは、団長には、私以外の……愛した女性が、いた……?」
「あっ」
俺は青ざめた。
過去の幻影を乗り越え、目の前の俺(アル君)だけを愛すると決めた直後に、その「過去の幻影(団長)」から特大の爆弾を投下されたのだ。
「あああああ、あああああああああああああっ!!」
カトリーヌが頭を抱え、この世の終わりのような絶叫を上げた。
寮の窓ガラスが彼女の魔力暴走でビリビリと震え、ひび割れていく。
「……でも、いいわ。ええ、そうよね」
カトリーヌは震える手で顔を覆いながら、不自然なほど優しい笑みを浮かべた。だが、ギリギリと歯軋りする音が聞こえ、目は完全に据わっている。
「こんなに可愛いアル君を産んでくれた大切なお母様だもの。私、心から感謝しなくちゃいけないわよね……?」
「ちょ、カトリーヌ落ち着け! 目がガチだぞ! それはルーカスの嘘で……!」
「ねぇ、アルく〜ん? お母様は今、どこにいらっしゃるのかしら?
お姉ちゃん、直接お会いして、たーっぷり『お礼』を言いたいの。……こんなに小さなアル君を手放すなんて、きっとお母様もなにか苦しまれてるのよね?
だから……私が見つけて、その苦しみから永遠に『解放』してあげる」
カトリーヌは聖母のように微笑みながら、俺をきつく、きつく抱きしめた。
「そうしたら、お母様はずーっと静かな場所で休めるし、私はアル君の『たった一人の本当のママ』になれる。誰も不幸にならない、最高のハッピーエンドよね……? ふふ、ふふふふっ……!」
(言葉はすっごく優しそうに見えるのに、背後から吹き荒れる殺気がヤバすぎる! )
「ひぃぃぃっ! ルーカスなんとかしろ!」
「……俺はもう疲れた。帰って寝る」
暴走するヤンデレ大剣使い。
逃げ出す策士の第二王子。
そして、自業自得の嘘八百で修羅場の中心に取り残された、六歳児(中身三十歳)。
第一王子派は沈黙し、俺の平和な日常は約束されたはずだった。
だが、この日を境に『アルの謎の母親探し』に血眼になる狂信者カトリーヌから逃げ回るという、新たな地獄の幕が開いてしまったのである。
――死神少年のニート生活への道は、まだまだ遠い。
(おしまい)




