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第三話 この電車に乗るために

『ただいま安全確認のため、灰空市内全線で運転を見合わせています』


 駅のスピーカーから、淡々とした声が流れた。


 感情のない、事務的な音声。

 それが逆に、状況の異常さを際立たせる。


 駅前ロータリーは、すでに日常じゃなかった。


 中央に——それがいる。


 灰の塊。

 獣の形をしているのに、輪郭が定まらない。

 四足のはずなのに、影が足の数を誤魔化している。


 動くたびに、影が遅れてついてくる。

 いや、違う。


 影の方が先に動いている。


 地面の白線が消え、

 縁石が沈み、

 影が線路の方へ伸びていくのが見えた。


「……昨日のとは、規模が違いますね」


 篠宮ユイの声は、落ち着こうとして少し失敗している。

 無理もない。比べる対象が間違っている。


 少し離れた位置で、朝比奈係長が肩をすくめた。


「昨日のが犬なら、今日は……牛っすかね」

「そんな可愛いもんじゃないです」

「っすよね」


 軽口なのに、目は笑っていない。


 再び、アナウンス。


『復旧の目処は立っておりません』


 その瞬間。


 ハルトの顔から、はっきりと感情が消えた。


「……最悪」


 篠宮が振り返る。


「え?」

「帰れない」

「……」

「寝られない」


 篠宮は言葉を失った。

 この状況で、それを理由に出せる人間を初めて見る。


 でも、ハルトは本気だった。


 巨大な灰獣が動く。

 影が波打ち、ロータリー全体を覆い始める。


「ハルトさん、近づいたら——!」



 ハルトは躊躇いもせず一歩、前に出た。


 助走はない。

 気合もない。


 ただ、帰るために邪魔なものを片付ける。

 その延長線上の動きだった。


 影が伸びる。

 ハルトはそれを避けず、影の“外縁”を踏むように動く。


 沈む場所と、沈まない場所。

 一瞬の判断。


 拳が届く。


 ——鈍い音。


 灰獣の体が凹む。

 だが、すぐに灰が集まり、元に戻ろうとする。


「再生っすね」朝比奈が呟く。「いやらしいっす」


 ハルトは同じ場所を、同じ角度で叩く。

 一撃で壊すつもりはない。


 “崩れ始め”を作る。


 灰獣が身体を捻り、影の脚を振るう。

 ハルトは躱す——はずだった。


 影が、もう一つの体としてうねる。


 背後から、遅れて伸びた影が、ハルトの脇腹を抉った。


「……っ!」


 息が抜ける。

 次の瞬間、正面からの一撃。


 ハルトの身体が宙を舞い、アスファルトに叩きつけられた。


「ハルトさん!!」


 篠宮の叫びが、遠い。


 動かない。


 一秒。

 二秒。


 篠宮の足が、勝手に前へ出かけた。

 でも影が、その進路を塞ぐ。


 ——助けたい、でも


 行けば、死ぬ。



 その中地面に伏しているハルトの意識が、裏返った。





 空が、燃えている。


 雲ではない。

 天そのものが裂け、赤黒い火が垂れていた。


 大地は沈み、都市は骨組みだけを残して崩れている。


 その上に——

 神々が立っていた。


 翼を持つもの。

 幾重もの角を戴くもの。

 光そのもののような眼を持つもの。


 名を持ち、

 祈られ、

 恐れられ、

 世界の理に組み込まれていた存在。


 歩けば地形が書き換わり、

 声を発せば国が沈む。


 数は意味を失っている。


 だが、その中心。


 一人の男が立っていた。


 武器はない。

 鎧もない。


 それでも、男の足元だけが崩れていない。


 最初の神が、裁きの名のもとに降りかかる。


 ——白い火が走る。


 雷でも、灼熱でもない。

 神性そのものが、削ぎ落とされる。


 翼が灰になり、

 角が砕け、

 祝福が剥がれ落ちる。


 男は止まらない。


 降り注ぐ神威を、素手で叩き潰す。

 衝撃で大地が裂け、天が歪む。


 祈りは届かない。

 裁きは返される。


 最後に残った神が、膝を折る。


 男はそれを見下ろし——

 ためらいなく、世界を終わらせた。





 咳き込んで、現実に戻る。


 アスファルト。

 焦げた空気。

 サイレンの音。


 ハルトは、ゆっくりと起き上がった。


 脇腹が痛い。

 普通に、かなり。


 それでも、口元がわずかに歪む。


「……ああ」


 思い出した、というより。

 思い出させられた。


 巨大な灰獣が、影をうねらせている。


 今の自分に、神を終わらせる力はない。

 世界を焼く火もない。


 それでも。


「……帰れないのは、嫌だ」


 それだけで、十分だった。


 ハルトは立つ。

 今度は、迷いなく。


 攻め方が変わったのは、一目で分かった。


 灰獣が影を振るう。


 今度は、ハルトは躱さない。


 影の“先端”が来る瞬間、ハルトは地面を踏み抜くように踏み込む。

 影の濃い部分ではなく、薄い縁——揺らぎの境界。


 影が、わずかに遅れる。


 その“遅れ”の中で、ハルトの拳が灰獣の胸の同じ場所へ刺さった。


 ——一撃。

 ——二撃。

 ——三撃。


 同じ点に、同じ角度で。


 灰獣の体が、初めて歪む。

 再生が追いつかない。


 朝比奈が呟く。


「……削り方が、職人っすね」


 篠宮は息もできないまま見ていた。


 ハルトは“力”で押していない。

 相手の仕組みを見て、時間差を作って、崩れ始めだけを育てている。


 灰獣が吠え、影が広がる。

 ロータリーの白線が消え、アスファルトが沈む。


 篠宮が叫ぶ。


「広がってます!このままだと駅の中まで——!」

「広がらない」

「え?」

「広げたら、こいつの足場が減る」


 ハルトは淡々と言う。


「自分の影が自分を殺す。こういうのは、焦ると勝手に自滅する」


 灰獣が影を伸ばしきった瞬間。


 ハルトは、その中心へ踏み込んだ。


 普通なら沈む。

 普通なら飲まれる。


 でもハルトは“普通”の踏み方をしなかった。


 体重を預けない。

 影の表面を“叩く”ように踏み、次の足でまた叩く。

 まるで、水面を走るみたいに。


 影が追いつけない。


 篠宮が呆然と呟く。


「……人間、そんな動き……」


 朝比奈が答える。


「普通じゃないっすよ。うちの街、そういうの多いっすけど」


 ハルトは灰獣の胸元——削り続けた一点へ拳を捩じ込んだ。


 そこだけ、再生が薄い。

 灰の密度が変わっている。


 ——核。


 ポケットから、ライターを取り出す。


 小さな金属片。

 世界は終わらない。

 でも、これで“締める”ことはできる。


「……さっさと終われ」


 カチ。


 白い火が、瞬いた。


 派手に燃えない。

 爆ぜもしない。



 灰獣は、正しい順番で崩れた。


 影がほどけ、

 身体が落ち、

 最後に頭部が灰になる。


 静寂。


 少し遅れて、駅のアナウンス。


『運転再開まで、しばらくお待ちください』


 ハルトは時計を見た。


「……間に合う」


その言葉を聞いた篠宮が思わず言った。


「その……電車、乗るんですか」

「ああ、帰って寝る」


「……そうですか」


 朝比奈が、肩をすくめる。


「動機、最後まで強いっすね」

「当然だろ」


 篠宮は、ハルトの裂けた服と血を見た。

 怖い。

 でも、それ以上に分からない。


 この男は、何者なんだ。

 昨夜もそうだった。今日もそうだ。



 ただ今は、頼もしい。


 篠宮は、ようやく息を吐いた。





 その夜。


 灰空市の地下深く。


 誰にも知られない場所で、

 灰が静かに沈殿していく。


 風化せず、消えず、

 ゆっくりと——形を整えながら。


 まるで、次に現れるもののために。


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