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第3話 毒の入っていない食事



 レティシアを着飾らせるのが、楽しくて仕方がない。

 朝の光がレースのカーテンを透かし、白い部屋にやわらかく差し込む。

 その光の中で、彼女は鏡の前に立ち、まだ幼さの残る頬を染めていた。

 髪にリボンを結んでやるたび、彼女の姿はまるで上質な磁器人形のように変わっていく。

 淡い色の布地が肌に触れるたび、命の色がひとつずつ戻ってくる気がした。


 運動がてらに街へ出ると、石畳の通りが陽光を跳ね返し、通りすがる人々の視線が自然と集まった。

 男たちは目を奪われ、女たちは息を呑む。みんな、綺麗な人形のようだと思っているのだろう。

 けれど、当のレティシアは、その視線の重みに小さく肩をすくめた。

 喧噪の中に紛れることができず、息を詰めるようにして私の背へと身を寄せる。

 震える指先が、外套の裾をそっとつまむ。


 その小さな仕草に、胸の奥が締めつけられた。

 恐怖と羞恥の入り混じる表情は、どんな宝石よりも脆く美しい。

 私は無言で手を差し出し、その手を包み込む。

 細く冷たい指先が、ようやく私の掌の中で力を抜いた。


 「……大丈夫だよ、レティシア。みんな、レティシアが可愛いから、思わず目で追ってしまうんだ」


 その言葉に、彼女は小さく頷いた。

 こぼれそうな涙を堪えながら、灰色の瞳を瞬かせる。

 街の喧騒が遠くへ流れ、二人の周りだけが柔らかな静寂に包まれた。


 守りたい――ただ、それだけだ。

 誰のものでもなく、誰にも奪われぬように。

 彼女が怯えなくて済む世界を、少しずつでも取り戻してやりたい。

 彼女の笑顔の在処を、もう一度見つけてやりたかった。


 それでも、あの日の試着室で見た背中の骨の細さを思い出すと、切実な思いが込み上げる。

 ドレスの生地越しに感じた、かすかな肩甲骨の線。背中に光が差すたび、それがまるで硝子の欠片のように透けて見えた。

 うなじから首筋へかけての白さは、冷たい石のように青く、少し触れただけで砕けてしまいそうだった。

 彼女は笑って見せたが、その笑みの下で唇がかすかに震えていた。――笑うという行為そのものが、痛みを伴うように。





 もっと食べさせなければ、と思った。

 けれど、食事の時間になると、レティシアはいつも、ほんの少しだけ怯えた顔をする。

 皿の上の料理を前に、彼女の瞳はどこか遠くを見つめてしまう。

 スープの湯気の向こうに、別の食卓を見ているのだろう。

 あの本家の、果てしなく長く続く、冷たい大理石の床。

 そこに、床という場所に不釣り合いな光沢のある銀器が整然と並び、天井の燭台が煌々と照らすなか、今か今かとレティシアの食事を見守るたくさんの大人たち。

 そんな場所で、彼女は食べることを強要されていた。


 ――微量の毒を混ぜた料理を、口にさせられていたのだ。

 死にはしない程度に、苦しむ分量を計算されて。

小さな手が固形物を掴み、血色のない舌が床にしみたスープを啜る。

 喉が焼け、胃が捩れ、息が詰まるたび、彼女がもがく様を、高位貴族や金持ちの商人たちが笑いながら見物していたという。

 彼らはそれを「愛玩令嬢の舞」と呼び、金を払って眺めた。

 そんな地獄を家と呼んでいたのだと知ったとき、グランツは吐き気がした。


 その毒を仕込んでいた当主と夫人が、客に見せつけるように、笑いながらスプーンを持つ姿を想像するだけで、胸の奥が灼けるように痛む。

 あの人間たちは、痛みを娯楽に変え、苦悶を金に換えていた。

 レティシアが食事の皿を見つめながら震える理由を思えば、責めることなどできるはずもない。

 むしろ、どうして生き延びてくれたのか、それが奇跡のように思える。





 外のレストランで食事を取ったのは、ドレスを買いに行った日の、たった一度きりだ。

 あの日、レティシアはテーブルの上の皿を見つめたまま、まるで時間が止まってしまったように動かなかった。

 白い皿の上には、何の変哲もないスープ。けれど、その金色の液体を前にして、彼女の唇が震えた。

 スプーンを持ち上げようとした手が途中で止まり、微かに音を立てて震えた。

 目を伏せ、涙をこらえるようにして、小さく「……ごめんなさい」と言った。


 その声の脆さに、胸の奥が軋んだ。

 食べるというたったそれだけの行為が、彼女にとって苦痛だったのだ。

 私はその皿の上のスープを見ていられなくなり、ナイフとフォークを静かに置いて言った。


 「帰ろう」


 その日から、外で食事をすることは二度となかった。


 だから私は、家の台所に立つ。

 今日の昼は、コーンポタージュと、バターを控えめにしたスコーンだ。

 焦がしたバターの匂いと、甘いとうもろこしの香りが静かに部屋を満たしていく。

 鍋をかき混ぜながら、私は無意識に手を止めた。

 最初のころ、焦がしてばかりだった。塩を入れすぎ、スープが塩辛くなって、彼女が申し訳なさそうに首を振る。

 それでも「美味しい」と言ってくれたあの微笑を、私は何度も思い出した。

 あの笑顔を、二度と失いたくない。


 だから、俺は学んだ。

 朝早く市場に出て、鮮度のいい野菜を選び、香草の分量を変え、少しずつレティシアの体に馴染む味を探した。

 それは料理ではなく、祈りだった。

 彼女が“生きる”ことを思い出してくれるように、グランツは毎日、火を灯した。


 ポタージュを皿に注ぐ。

 湯気が立ちのぼり、冬の陽光に透けて淡い金色を描く。

 その光の中で、私は彼女の名を呼んだ。

 廊下を渡る小さな足音。ゆっくりと扉が開き、レティシアが現れた。

 痩せた頬に、ほんのわずか血の色が戻っている。


 食卓に座った彼女は、スプーンを持つ手を小さく震わせていた。

 そして、一度深く息を吸い、覚悟を決めるように口へ運ぶ。

 ――その一瞬、時が止まった気がした。

 喉が動き、頬の筋肉がわずかに緩む。

 「……おいしい」

 小さな声だった。それでも、その響きが私の胸を貫いた。


 ああ、彼女は生きている。

 あの毒に満ちた屋敷を抜けて、それでも生きようとしている。


 私は息を呑んで、彼女の微笑みを見つめた。

 守りたい――その思いが、熱をもって胸の内で燃え上がる。

 その火は、かつて彼女を焼いた毒の苦しみよりもずっと温かく、静かで、消えることのない炎だった。



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