第24話 帝国にて
ニーア帝国。
──帝都の中心に堂々とそびえる皇城。
広大な石畳には乾いた風が流れ、旗は戦の気配を含んだ重い音を立ててはためいている。
その威容を前にした瞬間、胸の奥がざらりと逆撫でされるような感覚がした。
俺は、今まさに皇帝との謁見の最中にあった。
玉座に座る男は、ここ数年、諸国を落ちつかせぬほど戦を続けていると噂される皇帝だ。
黒髪にはわずかに白髪が差し、四十代半ばといった風貌。
無造作に投げられる言葉は重く、その一つ一つが戦場の匂いを纏っている。
俺──ナノグディア王国から来た聖人、グランツに向かって、
皇帝は淡々と今回の戦の目的、そして俺が出る作戦内容を語っていた。
本来、子爵位持ちである俺に対し、この態度は慇懃無礼と言っていい。
だが、妙に格好がついてしまうのは、彼の上背のせいだろうか。
腕を組んで見下ろす姿は、確かに“皇帝”という役職にふさわしく映った。
──いや、着いて早々これかよ。
もっと歓迎されると思ってたんだが。
あと、腹も減ってんだ。食事にありつけると思ってたのにな。
心の中でぼやきつつ、俺は視線を皇帝に戻す。
どうやらこの男、俺を徹底的に使い倒すつもりらしい。
終われば他国に帰る身の俺に、国家機密級の情報まで平然と漏らす。
ジルベールとは別種の意味で、底が読めない人物だ。
「……以上だ、ナノグディア王国の聖人グランツ。
なにもなければこのまま移動となる。異議はあるか」
「ひとつだけ。
ここで私は剣も振るう……という認識でいいのですね?」
「ああ。相違ない」
即答だった。
──なるほどな。
皇帝は俺の出自をどこかで掴んでいる。
治癒士魔法が使える兵として呼んだのだと悟った。
レティシアと王都で過ごした穏やかな日々で、俺は少し鈍っていたのかもしれない。
だが、戦とは本来こういうものだ。
生と死の境目に立つ世界で、誰もが牙を剥いている。
そして俺は、従える側ではなく、従えられる側の人間として育った。
“聖人”という名は、自分を隠すためにかぶる仮面にすぎない。
その事実を、嫌というほど思い出させられた。
皇城を辞したのち、前線一歩手前の基地に到着する。
空気は鉄の匂いを帯び、張り詰めた緊張が皮膚を刺した。
俺は徹底的に調べ上げられた。
スパイではないか、能力は足りているか、身元は確かか──。
当然だ。他国の治癒士が、黒い治癒士服に身を包み、魔力回復ポーションばかりを持ち歩き、
腰に飾りのような細いレイピアを下げているのだ。怪しまれて当然。
もっとも、こういう扱いには慣れている。
治癒士のふりをして戦場へ入るのは、いつものことだから。
「……あのなぁ、ここに皇帝陛下からの
“一個中隊を指揮する権利をグランツ・ワイズに与える”って書いてあるけどよ……
命は無駄にすんなよ。絶対だぞ!?」
「……ああ、わかってる」
審査官の大柄な男は、どこか親身な目で俺を見つめていた。
わかったのは、帝国の兵は情に厚いということだ。
大事な家族を皆が抱え、守るためにここへ来ている。
審査待ちの間、そんな話をいくつも聞かされた。
そして、皇帝がただの治癒士に中隊を預けるという異例の措置。
その事実に、背中へ冷たい汗が伝う。
──なんでだ。
俺の実力を、どれだけ高く見積もっているんだ……?
「じゃあなあんちゃん。元気でやれよ」
「……ああ。おっさんもな」
基地を出ると、風が砂埃を巻き上げ、乾いた大地の匂いが鼻を刺した。
ここから先は殺し合いの世界。
油断すれば死ぬ。
指揮を誤れば死ぬ。
作戦からずれても死ぬ。
治癒士か兵士が欠けても、結局は死ぬ。
負け=死が当たり前の場所に、俺はこれから身を投じる。
まず、前線治癒所に向かった。
薄暗いテントには、うめき声と薬草の苦い匂いが漂っている。
幸い、骨折以上の重傷はいない。
俺は全体へ持続型エリアヒールを展開した。
淡い光が波紋のように広がり、兵たちの表情がわずかに和らぐ。
「今日からお世話になります、グランツです。お願いします」
そう告げて治癒所を出ると、背後からどよめきが上がった。
気にしない。慣れている。
次は作戦所へ向かった。
中は地図と札で埋め尽くされ、複数の軍師が忙しく動いている。
俺は皇帝からの推薦書を差し出し、任される兵について尋ねた。
「騎馬四十、歩兵九十だ。推薦書の通り、主に裏からの工作を担当してもらう」
そこにいた中でも最も立場が上らしい男が、短く告げる。
次の瞬間、推薦書が炎に包まれ、灰となって舞った。
隠し玉である俺の存在が漏れぬよう、証拠を消したのだ。
灰が静かに空気に揺れ、俺の肩に一片だけ落ちた。
「はい、よろしくお願いします」
頭を下げ、作戦所を出る。
おそらく明日から作戦が始まる。
今のうちに少しでも眠っておこうと、治癒所の隅にこっそり紛れ、横たわった。
耳に届くのは、かすかな寝息と風の音。
緊張の底にあるのは、不思議なほど静かな覚悟。
──さて。
世界が牙を剥く戦場が、明日から始まる。
俺はゆっくりと目を閉じ、眠りに落ちた。




