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第19話 赤ワインを傾けて

 




 自室で赤ワインを傾けながら、グラスの中で揺れる液体をぼんやりと見つめる。今日、つい白ワインをレティシアに飲ませすぎた――あの小さな体に、あれだけ注いでしまったのはやりすぎだったかもしれない。しかし、あの喜びようを思い返すと、胸の奥が温かくなる。目を輝かせて笑い、声を弾ませる姿――あれほど無邪気に喜ぶ彼女を見ると、心が満たされる。


 ――でもな。あれじゃあ、まるで「飲め飲め」と煽る面倒なおやじと同じではないか、と自嘲もする。

 だがすぐに思い直す。あの笑顔のためなら、自分の恥など取るに足らない。いや、そもそも恥など存在しないのだ。彼女の幸福、それだけが今夜の中心、いや今日一日の中心であった。


 赤ワインの渋みが喉を通り抜ける。白ワインは甘すぎて、普段はまず口にしない。だが今日は違う。レティシアのために同じ味を分かち合いたかった――それだけの理由で、特別に口にしただけだ。最後の一口を飲み干し、グラスを机に置くと、次にすべきことを頭の中で整理する。風呂に入って汗を流し、眠る――それだけの予定だった。


 しかし、その瞬間だった。バン、と自室の扉が勢いよく開く音に、思わず身を固める。振り返ると、そこにはふわりとした笑みを浮かべたレティシアが立っていた。お酒で少し赤く染まった頬、ふんわりと揺れる髪、そして目には無邪気な光。


「ふふ……あ、グランツ兄さま、ここにいたんですね……」

 小さな声だが、普段の凛とした声よりも柔らかく、言葉の端が少しふにゃっと崩れている。足元もふらりと揺れ、視界が微かに揺れているのが分かる。――ああ、酔っているのだな。18歳として大人なのに、お酒で少しだけ少女のような柔らかさが滲んでいる。


「……レティシア、どうしたんだ、寝たんじゃ――」

「お手洗い行ってきて……戻ったら、兄さまがここにいて……ふふ……びっくりしちゃったんです」

 声がふわりと震え、笑いに混じる少しの照れが、余計に愛おしい。


 彼女はそのままくるくると踊るように歩き、やがてふわりとベッドに倒れ込む。私も自然に体を傾けて受け止める。重なる柔らかさは温かく、決して危険ではない。月の光が窓から差し込み、白銀のように彼女の輪郭を浮かび上がらせる。酔いでほんのり赤い頬が、青白い月光に映えて、幻想的な光景を作り出す――まるで天使が微笑むようだ。


 私は理性を働かせ、視線をそらす。大人として守るべき距離は守る。いくら信頼しきった相手でも、過ちだけは避けたい。立ち上がろうとするが、その瞬間、後ろから柔らかい手が背中に回される。軽い体重と熱が背中に伝わり、彼女の小さな吐息が背筋をかすかに震わせる。


「あっ……兄さま……ひとりにしないでください……」


 その声に、自然と背筋が伸びる。守らなければならない――そう、改めて思う。私はゆっくりと向き合い、目を細めながら魔術をかける。眠りを促す柔らかな力――睡眠魔術だ。危険がないように、しかし確実に。


「おやすみ、レティシア」

「ぐ……らんつ、にいさ……」


 小さな声がかすかに返る。微かに震える肩を見つめ、私はそのまま自室のベッドを彼女に譲ることにした。大人としての誇りと、兄としての愛情の両方を込めて。


 風呂に入り、汗を流し、体を清めると、私は客間で眠った。翌朝、レティシアは何事もなかったかのように、いつもの明るい笑顔を見せる。昨夜の出来事を覚えていない様子に、安堵と少しの嬉しさを感じる。


 あの温かさ、柔らかさ、そして小さな笑顔――すべてが胸に残り、私を満たす。守るべき存在が隣にいること、安心して眠れること。すべてが、今日の喜びの中心だったのだ。




 朝の光が、薄いカーテン越しにゆるやかに室内に差し込む。まだ外は静かで、鳥の囀りも遠くにかすかに聞こえるだけだ。ゆっくりと目を開けると、ベッドの向こうに、昨夜のまま眠るレティシアの姿があった。ふわりと広がった髪の艶が朝陽を受けて淡く輝き、少し赤みを帯びた頬は、まるで柔らかい果実のようだ。息をするたびに胸がわずかに上下する。そのリズムを見ているだけで、胸の奥がじんわりと温かくなる。


 昨夜のことを覚えていない様子のレティシア。目を覚まして、私と目が合った瞬間に見せた一瞬の戸惑いと、無垢な笑顔。――ああ、よかった。彼女が何も覚えていないなら、昨夜の酔いのふわふわとした無防備さも、ただの夢のように彼女の中で消えてくれる。安堵と、少しの切なさが胸を満たす。


 静かな朝の空気に混じる、昨夜の余韻。赤ワインの渋みが舌先にまだ残るような気がして、白ワインの甘みが喉にほのかに絡む。酔った体の温もり、そして柔らかく抱きしめられた感触。微かに香る髪の匂い――それらすべてが、今も胸の奥で静かに反響している。重くもなく、甘くもなく、ただじんわりと心を満たす温かさ。守るべき存在が、ここに確かにいるという実感。


 ベッドに座ったまま、私はそっと手を伸ばす。指先がレティシアの肩に触れると、少し身をよじるように動いたが、すぐにまた眠りに落ちる。無防備なその姿を見ていると、何もかも守ってやりたいという思いが胸を押し上げる。あの笑顔が失われることは、何よりも避けなければならないと、心の奥で強く誓う。


 窓の外には柔らかい朝霧が漂い、光と影が交錯する。空気には冷たさと透明感が混じり、ほんのわずかに湿った匂いが部屋に流れ込む。その香りさえも、昨夜の温もりと混ざり合い、私の感覚を穏やかに包む。こんなにも日常の一瞬が、愛おしく、かけがえのないものに思えるのは、隣にレティシアがいるからだ。


 ゆっくりと息を吐き、胸の中で呟く――ああ、これでよかった。彼女の幸福は、何よりも大切だ。どんな些細なことも、彼女の安心と笑顔のために――それだけで、私の心は満たされる。


 小さな胸の鼓動が、微かに震え、光に照らされてかすかに波打つ。その一拍一拍を、私はひとつひとつ心に刻む。守るべき存在が隣にいる。それだけで、世界のすべてが静かに輝き、今日も生きる価値を、確かに感じさせてくれるのだ。


 ベッドの端に腰かけたまま、私はそっと手を胸の前で組む。昨夜の温もり、朝の光、そしてレティシアの笑顔――そのすべてが、静かに私の胸を満たす。何もなくとも、ただここに彼女がいる。それだけで、私は守り続ける理由を噛み締める。今日もまた、何事もなく、彼女の笑顔を見守ることができる――それだけで、十分だと、心から思うのだった。



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