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閑話 王子が見た人ではないモノ



 レティシア・ワイズ。聖人グランツの義妹として学院高等部に編入してきた令嬢。

 一ヶ月前の学科試験で堂々の一位。マリアージュとも親しく、教師たちの信頼も厚い――らしい。


 噂だけを聞いていた頃は、ただの秀才だと思っていた。

 けれど、彼女を初めて見た者は必ず言う。

 「あれは、人ではない」と。


 最初は笑い飛ばしていた。

 人ではないとは、どれほどのことか。

 貴族の子女など皆、似たような美辞麗句で飾られているものだ。

 だが、ダンスの授業で初めてその姿を見た瞬間――息が詰まった。


 白銀の髪が光を受けて、揺れるたびに淡く輝く。

 雪が融ける寸前のような、儚くも冷たいきらめき。

 瞳は氷の湖面のように透きとおり、しかし底が見えない。

 まるで、そこに映る者の心を試すようだった。


 ――なんて、美しい。


 そう思ったのはほんの一瞬だった。

 次の瞬間、彼女の中に人の温度がまるで感じられないことに気づいた。

 完璧な所作。緻密に計算された微笑み。

 それなのに、そこに感情の色がない。


 なるほど、人ではない。

 陶磁器のビスクドールのようだ――そう形容される理由が、はっきりわかった。

 だが、それが怖いと思うよりも先に、どうしようもなく惹かれていた。


 ダンスの最中、彼女がふとこちらを見て、微笑んだ気がした。

 心臓が跳ねた。だがすぐに悟る。

 あの笑みは、自分に向けられたものではない。

 視線の奥は、遠い。

 まるで誰か別の人――届かぬ誰かを見つめている。


 その距離感が、かえって心を掻き乱した。

 どうしても、もう一度あの笑みを自分に向けさせたくなった。


 マリアージュに釘を刺された。

 「殿下、レティシア様に近づくのはおやめください」

 忠告の言葉の裏に、淡い焦りが見えた。

 それが、むしろジルベールの興味を煽った。




 互いに婚約者もいない。ただ話すだけだ。

 危険なことではない。――そう言い訳をしながら、気づけば彼女のそばにいる時間が増えていた。


 だが、話してみると拍子抜けするほど静かな人だった。

 何を聞いても、穏やかな微笑みで短く答えるだけ。

 怒らず、笑わず、波風を立てず。

 まるで、人の感情というものを、丁寧に観察しているかのようだった。


 それでも、彼女の沈黙には妙な引力があった。

 声を聞きたい、もっと表情を見たい。

 そう思えば思うほど、彼女は蝶のように距離を取る。

 追えば逃げ、逃げれば振り返る。

 そのたびに、胸の奥がじりじりと熱くなった。


 ――だから、気づかなかったのだ。


 彼女が他の令嬢たちに陰口を叩かれ、教室の隅で一人立ち尽くしていても、

 それを誇り高さのせいだと信じて疑わなかった。

 助けを求めぬのは、彼女が気高いからだと。

 愚かにも、そう思い込んでいた。


 ただ、心のどこかではわかっていた。

 彼女は孤高なのではない。

 誰も寄せつけないほどに、何か――危ういものを、抱えている。




 そして今日。

 治癒士を労う宴に、聖人グランツとレティシアが並んで現れた。


 会場の光がふたりを包む。

 まるで絵画のようだった。

 群青のドレスに銀の髪。

 月明かりをそのまま身にまとったような、静かな輝き。

 その隣に立つグランツの黒衣が、まるで夜そのもののように彼女を引き立てていた。


 ――綺麗だ。


 思考より先に、胸の奥でその言葉が零れた。

 けれど次の瞬間、世界が音を立てて崩れた。


 国王の紹介に続いて、グランツが恭しく頭を下げる。

 そして、レティシアが一歩進み出た。

 ゆっくりと裾を広げ、完璧な角度で礼をする。

 その所作ひとつひとつに、神聖な静けさがあった。


 そして――顔を上げた。


 その瞳が、ジルベールを射抜いた。

 瞬間、空気が凍りついたようだった。


 見た。確かに、見た。

 氷のように冷たく、炎のように熱い。

 相反するものが同居する、狂気の光。


 胸の鼓動が早まる。

 喉が焼けつく。

 息ができない。


 その瞳はいつもより熱烈に、訴えるようにジルベールへ拳を上げていた。


 ――なぜ、わたしのグランツを取ろうとするの。

 ――レティシアというお人形では満足できないの?

 ――ねぇ、自分勝手な王子様。


 声など出していないのに、確かにそう聞こえた。

 耳ではなく、脳の奥に直接響く。

 ぞっとした。

 恐怖か、興奮か。どちらなのか、自分でも分からなかった。


 清廉潔白? 雪の精霊? 笑わせる。

 あれは信仰だ。狂信者の目だ。


 グランツという名の神を崇め、その神を奪おうとする者を――許さない。

 その明確な意志が、瞳の奥で燃えていた。


 世界のすべてを敵に回しても構わない。

 彼のためなら、自分の命さえ惜しまない。

 そう語る眼差し。


 ――美しい。だが、恐ろしい。


 背筋をつたう悪寒が止まらない。

 汗が手のひらを濡らす。

 指先が震える。


 どうして気づかなかったのか。

 学院で見たあの微笑みの裏に、こんな狂気が潜んでいたのに。

 あの沈黙は、静謐ではなく凍結だったのだ。

 彼女はずっと、心の底でグランツという太陽を見上げながら、他のすべてを拒んでいたのだ。


 国王の声が遠くで響いた。

 「ジルベール、レティシア嬢に会場を案内してやりなさい」


 その瞬間、喉が鳴った。

 自分の音だと気づいたのは、ずっと後。

 喉の奥が乾いて、痛いほどだった。

 目を逸らすことも、息を吸うこともできない。

 まるで捕食者と目を合わせた獲物のように、動けなかった。




 やがてグランツが退席し、会場がざわめきに包まれる。

 なのに、ジルベールの世界はまだあの瞳の中にあった。

 焼きついたように、まぶたの裏に残って離れない。


 ――狂気という言葉では足りない。


 バルコニーに出て、冷たい風を吸い込む。

 夜気が胸を刺すように冷たいのに、体の奥では血が煮えていた。

 焦燥。恐怖。羨望。

 あらゆる感情が入り混じって、自分の中の何かが壊れていく気がした。


 「……はは。あれは、確かに人ではないな」


 笑いながら、手のひらを見つめた。

 乾いているのか、濡れているのかもわからない。

 冷たい風が吹き抜けても、胸の奥の熱は、少しも鎮まらなかった。





いつも応援コメント、評価、リアクションありがとうございます!


ぜひ面白ければ★★★★★、退屈だったら★☆☆☆☆をお願いします。


ここまで読んでくださったみなさんに感謝!!




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