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第12話 ブナッティー家とワイズ家



レティシアは、学院で楽しく過ごせているらしい。

夕食の席で聞くのは、今日読んだ本のことばかりだが、それでも構わない。レティシアが目を輝かせ、ほんの少し笑みを浮かべるだけで、グランツの胸の奥がじんわり温かくなるのだ。


今日も、レティシアは楽しそうに話す。小首を傾げ、ふんわりと声を震わせながら言った。

「学院で、その……家の人の仕事について調べなければならなくて……もしお邪魔でなければ、マーサに伺います」


その仕草に、グランツは思わず笑みを返す。

――頼ってくれている。

びくびくと怯え、目を伏せていた以前のレティシアはもういない。すっかり堂々とした眼差しで、自分に話しかけてくれる。

嬉しさと、少しの寂しさが同時に胸に広がった。あの頃は、ただ守ることしかできなかった自分が、今はこうして一緒に学びを分かち合える。ほんの小さな日常だが、それが何よりも尊い。


食卓の向こうで、レティシアの手元には学院で借りた分厚い書籍が積まれている。ページをめくるたび、目が輝き、時折眉をひそめるその仕草に、グランツは自然と手を伸ばしたくなる。だが、そっと見守るしかない。

「分からないことがあれば、いつでも聞いていいんだ」と、思わず呟く。

レティシアはその言葉に軽く頷き、ほんのわずか微笑んだ。

――ああ、これが幸せというものか、と、グランツは心の中で静かに噛みしめる。


しかし、頭の片隅では常に心配が浮かぶ。

――この学年には、侯爵家以上の名門や王族の子弟がいる。


グランツは、ふと遠くを見るような目をした。

マリアージュ・ブナッティーのことを思い出す。かつて、ブナッティー家の当主や先代当主が脱毛症(ハゲ)治療の相談に駆け込んできた時、完治するまで住み込みで働いたことがあった。空いた時間には、屋敷の書斎で一緒に本を読み、遊んでやったこともある。

そのときのマリアージュは、ただのわがままな子どもだった――近所のお兄さんとしての自分に依存し、べったりとくっついていた記憶がある。


けれど今、レティシアに向けるマリアージュの視線には、微妙に鋭さがある。しかしそれでいて他を寄せ付けないようにしている仕草が謎であると、リタが語っていた。

――なぜ、レティシアに目をつけるのか。

グランツの心は少し複雑だった。普通の者であれば、理由は理解できる。レティシアの才能と美しさは、他の誰よりも目立つ。学問も魔法も、そして品行も――すべて整っている。

しかし、あの小さな体に秘めた力と知性は、マリアージュのように幼少から学習してきたも者にとっては、少し優秀でしかないはずだ。


たとえそうだとしても、心の奥は少し困惑していた。

――いや、ブナッティー家はワイズ家に友好的ではある。

大丈夫と頭でわかっていても、なぜか胸がざわつく。

目の前の紅茶の湯気がゆらゆら揺れるたび、グランツはその胸のざわめきと向き合った。夕陽が差し込む窓の外では、風に揺れる枝葉が金色に輝き、鳥の声が遠くから届く。平穏な日常のように見えるその景色と、胸の内でうずく小さな不安との対比が、妙に生々しく、切なかった。


――だけど、俺はに守れるはずだ。

レティシアの笑顔を、無垢な好奇心を、そして自由を――すべてを。




小さな手がテーブルの縁に触れるたび、グランツは胸の奥でそっと決意を刻み込む。

夕陽に照らされたレティシアの横顔は、柔らかくて温かく、銀色の髪が光を受けて淡く輝いていた。まるで光そのものが、彼女を祝福しているかのようだ。


頭の片隅に、王子のことがよぎる。数度、国王の取り計らいで面会した、金髪碧眼の少年――まるで絵本から抜け出してきたような、完璧な王子様。聡明で優雅、そして何より優秀な次期国王だと評される。だが、心の奥ではグランツは分かっている。


――王子も、所詮は人間だ。

婚約者もいない王子が、もしレティシアに出会えば、恋をしてしまうかもしれない。そんな想像に、胸の奥が小さくざわつく。


レティシア――その名を思うだけで、心が軽く震える。

美しい顔立ち、整った知性、上品な立ち居振る舞い。グランツが教え、マーサが磨き上げたその姿は、まるで宝石のように光り輝き、触れられないほど尊い存在に思えた。彼女の瞳の奥にある純粋な好奇心や、ちょっとした仕草の可憐さ――それらすべてが、グランツの胸を満たしていく。


目を伏せ、窓から差し込む柔らかな夕陽に目をやる。淡い橙色の光が、食卓に並ぶ紅茶の湯気やレティシアの髪に反射して、銀色の糸のように踊る。

――ああ、白いドレスを着せたら、似合うだろうな。

王子の前で微笑むレティシアを思い描く。小さなティアラを頭に乗せ、銀色の髪を柔らかく揺らして、世界がその笑顔だけで満たされるような光景。想像するだけで、胸の奥がじんわりと熱くなる。


しかし、意識はひとつの小さな宝物に戻る。自分が贈った白銀のバレッタ。小さな宝石が散りばめられた、それはレティシアの髪に映えるお気に入りの一品。

――未来の誰かがこのバレッタを見て微笑む日が来るのだろうか。それとも忘れ去られてしまうのだろうか。

その想像に、胸の奥が少しだけ締め付けられ、甘く切ない寂しさが忍び寄る。だが、その感情はそっと心の奥にしまい込む。今はまだ、未来のことよりも、彼女の今を守ることが大事だ。


窓の外、夕陽がゆっくりと沈み、空は淡い茜色に染まる。光は次第に柔らかくなり、静かな室内に温かみを落とした。グランツは紅茶のカップを手に取り、ゆっくりと息を吐く。

視線を再びレティシアに戻すと、彼女の小さな仕草、柔らかい声、ひとつひとつが胸に響く。困難や不安はあれど、その笑顔だけで世界は救われるように感じられた。


「……レティシア」


静かな声が、室内の空気に溶けていく。

グランツはカップをそっと置き、目を細める。夕陽に染まるレティシアの横顔を見つめるその瞳は、誰よりも深く、そして華やかに、妹を想う優しさで満ちていた。

世界のどんな光景よりも、彼女の笑顔こそが、グランツにとっての一番の宝物だった。





いつも応援コメント、評価、リアクションありがとうございます!


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