第10話 後輩からの助言と情報収集
レティシアが学院に通い始めて、もう五日。
夕暮れの光が屋敷の窓から差し込む食卓で、グランツはいつものように尋ねる。
「学院はどうだ? 友達はできたか?」
しかし返ってくるのは、決まって同じ言葉だった。
「ワイズ家の名に恥じぬよう、つつがなく過ごしております」
その声は整っている。笑顔も、声音も、まるで誰かに教え込まれたように完璧だ。
だが――整いすぎている。その精緻な微笑みの裏に、何か隠されたものがあるのを、グランツは本能で感じ取った。
マーサは、紅茶を差しながら柔らかく笑う。
「お嬢様も反抗期ですわ。微笑ましいですねぇ」
確かにマーサの言う通りかもしれない。けれど、グランツの胸の奥はざわつく。
夕暮れの橙色の光が差し込む食卓で、レティシアの白銀の髪が微かに揺れるたび、まるで薄氷の上に立つような不安が心を貫いた。
あの子は――本当に学院でうまくやれているのだろうか。
夜になり、研究室に腰かける。外では木々の影が月明かりに揺れている。
静まり返った室内で、グランツは机の上に肘をつき、深く息を吐く。
心配で胸が締めつけられ、まるで重い鉛を抱えているかのようだ。
何度も問いかけたくなる衝動を押さえ、昔の伝を辿って学院時代の後輩――リタに連絡を取った。
リタは治癒科の出身で、今は高等部の教員として生徒たちを見守っている。
少しお茶目で頼りなさもあるが、仕事ぶりは確かで、正義感と実務能力は折り紙付きだ。
窓の外では、春の夜風がカーテンを揺らす。
星明かりに照らされた屋敷の庭が、静かに影を伸ばしている。
その穏やかな風景の中で、グランツの胸のざわめきは止まらない。
――あの子が、ほんとうに無事でいられる環境にいるのか。
――誰かに傷つけられていないのだろうか。
「いやー、久しぶりですね先輩っ! っていうか、もう、私の身長の話はナシですよ!? 体格は遺伝ですから!」
「そんなことより、レティシアの件だ」
「え、スルーですか!? ちょっとは女の子のデリケートな気持ちを――!」
昔から、この調子だ。
グランツは軽くため息をつき、手元の紅茶カップをそっと持ち上げる。暖かい蒸気が、夜の静かな部屋にゆらめく。
「本題に入れ。学院で、レティシアに何かあったか?」
リタは少し口元を引き締め、書類の束を取り出した。紙の感触が手に伝わるたび、グランツの胸のざわつきも増す。
「端的に言うと……あの子、侯爵家のご令嬢に目をつけられています」
「侯爵家? お前のクラスに、ブナッティー家の娘がいたはずだが」
「そのブナッティー家のご令嬢です」
「……なぜ?」
リタはじっとグランツを見つめる。
「理由は、その、先輩のせいなんですよ……!」
グランツは一瞬、言葉の意味が理解できず、眉を寄せた。
「俺の……?」
「国で一番の治癒士ワイズ卿の妹、というだけで注目の的なんです! さらに、最近は“未婚の優良物件”だって噂ですよ? 治癒士の最高位称号“聖人”を持ち、王から爵位の打診もあるとか」
「……初耳だ」
「ですよね! 屋敷から出ないから情報遅れてますよ、この引きこもり天才!」
二人は、紅茶の香りが漂う静かな室内で、言葉を交わしながら息を整える。
「……つまり、レティシアが注目されすぎたってことか」
「それが一番大きいです。ただ、取り巻きもいて、ちょっとした嫌がらせに発展しかけています」
「放っておくわけにはいかんな……」
グランツは窓際に歩み寄る。昼のあたたかな風が静かにカーテンを揺らし、書類の束を淡く照らす。
心の中で、薄紅の光のように、心配が静かに広がっていく。
――レティシアが、あの冷たい世界に飲み込まれはしないか。
「心配いらん。原因が分かれば、後は手を打てる」
リタは小さく眉を寄せ、疑念の色を浮かべる。
「どうとでも、って……また何かやらかす気じゃないでしょうね」
「“やらかす”とは心外だ。ブナッティー家には、軽く手紙を送るだけだ――『お嬢さんの指導を怠ると、将来的に毛髪の治癒ができなくなりますよ』と」
リタは思わず笑いをこらえきれず、紅茶を少し吹き出した。
グランツは小首を傾げ、窓の外に目をやる。
庭の樹々は夜風に揺れ、陽の光りが柔らかく地面を染めていた。静かな光景の中で、胸の奥の不安がより鮮明に浮かび上がる。
――この子を守らねば。
――何があっても、誰が何をしても、俺が守る。
グランツは目を細め、月明かりの中で指先を机に置きながら、静かに決意を固めた。
夜空に散りばめられた星々の光が、まるでレティシアの無垢な瞳のように瞬いている。
「……あの子を、必ず守る」
その声は静かだったが、胸に深く、確かな決意として刻まれていた。
リタを見送ると、ちょうど玄関の扉が開く音がした。
「……おかえり、レティシア!」
振り返ると、春の風を纏って、レティシアが立っていた。
マーサと買い物帰りなのだろう。
両手いっぱいに紙袋を抱えながら、彼女は微笑む。
その笑顔は、ほんの少しだけ――疲れて見えた。
グランツの胸に、再び小さな棘が刺さる。
何気ない仕草、何気ない返答。
その“何気なさ”の裏で、彼女がどんな感情を押し殺しているのか。
――知らぬことが、こんなにも怖いとは。
グランツは微笑みながら、彼女の手から荷物を受け取った。
「昼飯にしよう。今日は、レティシアの好きなものばかり用意してある」
「……はい、兄さま」
その返事は、まるで硝子のように儚く透き通っていた。
彼女の笑顔の奥に沈む影に、グランツは気づかぬふりをした。
――だが、もう二度と誰にも傷つけさせはしない。
心の奥で、そう固く誓いながら。
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