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第9話 噂の編入生



 春の風が、淡い桜色の花びらを運んでくる。

 光の粒が学院の尖塔を包み込み、白い壁面を黄金色に染めた。

 鐘楼の影が長く伸び、まだ朝の冷たさを残す石畳の上に、光と影が揺れている。


 門をくぐる瞬間、レティシアは胸の奥で小さく息を吸い込んだ。

 石造りのアーチの向こうには、世界が広がっていた。

 磨き上げられた噴水、整えられた花壇、そして淡い藤色の制服を着た生徒たちの群れ。

 春の空気に混じって、甘い花と紙の香りがした。


 ――ここから、また新しい日々がはじまる。


 胸の鼓動がひとつ、ふたつと早くなる。

 緊張か、それとも期待か。

 両手を組んで制服の襟元を直しながら、レティシアは小さく自分に言い聞かせる。

 大丈夫。今日もちゃんと笑えてる。世間知らずではない。

 当たり前のことが、当たり前にできている――はずだ。


 高等部からの編入は珍しい。

 門の向こうで足を止めているうちに、ちらちらと視線を感じた。

 窓辺に集まる女生徒たちが、口元を寄せ合って何かを囁いている。

 「あの子……誰?」「新入生?」「見ない顔ね」

 好奇と警戒とが入り混じった、光のようにきらめく視線。

 そのすべてを、レティシアは静かに受け止めた。


 廊下を歩く先で、小柄な女性が待っていた。

 髪は陽に透けるような蜂蜜色、眼鏡の奥の瞳は優しい琥珀色をしている。

「あなたが新しい生徒さんね。リタ・グレーヴです。よろしくね」

 柔らかく笑う口元に、どこか親しみを感じた――が、視線が一瞬、鎖骨のあたりで止まる。

 (……大きい)

 咄嗟に顔を逸らした。

 (グランツ兄さまは、こういう方がお好みなのかしら)

 脳裏に浮かんだ思考に、レティシアは慌てて頬を染めた。

 リタ先生は何も気づかないまま、明るい足取りで廊下を進む。


「緊張してるでしょう? でも大丈夫よ。みんな優しい子ばかりだから」

「……はい」

 笑顔を返しながら、レティシアは胸の奥に湧く不安を押し込めた。

 優しい子ばかり――その言葉が少しだけ、春風より冷たく響いた。


 教室の扉が開いた瞬間、ざわり、と空気が揺れた。

 陽射しが差し込み、窓際の机に花のような反射光が踊る。

 教壇の横に立つリタ先生の声が、柔らかく響いた。

「新しい仲間を紹介しますね」

 促されて、レティシアは一歩を踏み出す。


 視線が集まる。

 ざらついた緊張と、どこか甘やかな好奇の匂い。

 胸の奥が痛いほどに高鳴る。

 深呼吸をひとつ。

 マーサが何度も教えてくれた通りに、背筋を伸ばして言葉を紡ぐ。


「初めまして。この度ミーヴァ学院高等部に編入いたしました、レティシア・ワイズです。みなさんと学ぶのは三年間のみかと存じますが、精一杯精進して参りますので、どうぞよろしくお願いいたします」


 裾を軽く摘み、優雅にカーテシーをして頭を下げた。

 仕草の一瞬、光がレティシアの白銀の髪を照らし、淡く輝かせた。

 ――その美しさに、教室がざわめいた。


「ワイズ?」「まさか、あの治癒士の?」「本物……?」

 囁きが広がる。

 レティシアは微笑みを崩さず、静かに立っていた。

 “ワイズ”――それは生まれの名ではない。

 けれど、胸の奥に確かな温もりを宿す名。

 グランツのものでもある、光のような新しい姓。

 それを呼ばれるたびに、背筋がすっと伸びる気がした。


 リタ先生が「静かに!」と優しく叱るように声を上げ、柔らかく笑う。

「今日はレティシアさんと交流を深める時間にしましょう」

 その言葉をきっかけに、教室がぱっと明るく弾けた。


 「お好きな花はなんですの?」「お兄さんってどんな人なんだ?」「なぜ高等部から編入を?」

 質問が飛び交い、レティシアは少しずつ笑顔を取り戻す。

 花の香りのように、笑い声が咲き乱れる。

 春の陽射しが髪の隙間を透かし、光の粒が踊った。


 ――そのとき。


 ざわめきが不意に割れた。

 波が引くように、生徒たちが道を開ける。

 奥から、黒髪をゆるく巻いた少女がゆっくりと歩いてくる。


 艶やかな黒。

 それはまるで、学院の春の光を吸い取るようだった。

 歩くたびに揺れるスカートの裾が、貴族らしい余裕を語っている。


 彼女の周囲だけ、空気がわずかに張り詰めた。

 レティシアはその圧に気づき、姿勢を正す。


「……あら、田舎者と思いましたが、礼儀は弁えていらっしゃるのですね」

 声音は柔らかいが、刃のような冷たさを孕んでいる。

 しかし、高位貴族に喋りかけられた。これはレティシアも何か返さなければならない。

 レティシアは即座に立ち上がり、礼を取った。

「我が家には優秀な家庭教師がいるので」

 微笑むと、少女は唇の端を上げた。


「ふふ、そうですの。ぜひ、わたくしにも紹介してくださる?

 ――マリアージュ・ブナッティーですわ。よろしくお願いします、レティシアさん」


 黒曜石のような瞳が、光を映さぬままレティシアを映した。

 ブナッティー侯爵家。学院でも名高い家柄。

 彼女の立つ場所は、ただの教室ではなく序列そのものだった。


 レティシアは頭を下げながら、胸の奥で小さく呟く。

 ――関わらないようにしよう。


 だが、その決意はすぐに打ち砕かれる。


「ぜひ、わたくしのお友達になってくださいませ」

「……え?」

 教室が再び息を呑む。

 友達――その言葉が、氷のように冷たく響いた。

 断ることなどできない。侯爵家の娘がそう望むなら、誰も逆らえない。


 レティシアは微笑みを崩さず、そっと頷いた。


 その瞬間、春の陽射しのぬくもりが遠のいたように感じた。

 花の香りの奥に、鉄のような冷たい匂いが混じっていた。

 髪に飾られているバレッタが、かすかに光を返す。

 グランツ兄さまが贈ってくれた小さな希望の証。


 その日から――地獄が始まった。


「お昼のお紅茶を入れてくださいまし」

「まぁ、重いですわね。カバン、持ってくださらない?」

「あらあら、ごめんなさい。あなたの教本……手が滑って破れてしまいましたの」


 それは明らかな“遊び”だった。

 レティシアが抵抗すれば、ワイズ家の名に泥がつく。

 そして何より――グランツに迷惑をかけたくなかった。


 だから、笑って耐えた。

 少しだけ、指先を震わせながら。

 少しだけ、唇の端を上げて。


 ――大丈夫。泣かない。

 グランツがくれた髪飾りは、今日もちゃんと光っている。


 それだけを頼りに、レティシアは春の光の中を歩いた。





いつも応援コメント、評価、リアクションありがとうございます!


ぜひ面白ければ★★★★★、退屈だったら★☆☆☆☆をお願いします。


ここまで読んでくださったみなさんに感謝!!




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