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閑話 レティシア14歳の誕生日

 


「レティシア、誕生日おめでとう!」

 ――パンッ。


 弾けたクラッカーの音が、朝の静寂を彩った。

 無数の紙吹雪が光を掴みながら、金と桃色に舞い上がる。

 窓から射す朝日がそれを受けて、食堂の空気そのものが煌めいていた。

 まるで、世界がレティシアを祝っているかのようだった。


 レティシアはベッドの上で、まだ夢の続きにいるように目を瞬かせた。

 白銀の髪が肩から滑り落ち、光を受けて淡い青を帯びる。

 寝起きの頬はほんのりと紅を差したようで、まだ眠たげなその瞳がグランツを見つめた。


「おはようございます……? えっと……どういう……」

 寝息の余韻が混じる声。掠れたその音が、妙に幼く感じられた。


 マーサが、香り高い紅茶をそっと差し出した。

 湯気の向こうで、彼女の皺の間に宿る笑みは、まるで春の陽だまりのように穏やかだった。

「お誕生日、おめでとうございます。レティシアお嬢様」


 その瞬間――レティシアの睫毛が、かすかに揺れた。

「……お誕生日、って……なんですか?」


 音が止まる。

 紙吹雪が床に落ちる微かな音まで、やけに鮮明に聞こえた。

 マーサの手が、カップを持ったままほんの少し震える。

 グランツは、喉の奥がきゅっと締まるのを感じた。


 ――誕生日を、知らない?


 半年間、彼女は本を貪るように読み、勉学も礼儀も完璧に身につけた。

 それなのに、「生まれた日」を知らない。

 ああ、そうか――この子は、祝われたことが一度もないのだ。


「誕生日はね、生まれてきてくれてありがとう、って日なんだよ」

 グランツはゆっくりと微笑みながら言った。

「レティシアの出生届を見てね、今日がその日だってわかったんだ」


 言いながら、胸の奥が熱くなった。

 この小さな命が、どれほど冷たい場所を歩いてきたのか。

 今日という日が、ようやく彼女の“始まり”になるのなら――それだけでいいと思った。


 レティシアは瞬きを二度して、それから慌てて笑顔を作った。

「あ、ああ……誕生日、ですね。今日でしたか。すっかり忘れていました。

 すみません、ありがとうございます」


 その笑顔は、少しだけ硬かった。

 けれど、それが他人を傷つけないための嘘だと、グランツには分かった。

 ああ、本当に優しい子だ――誰よりも。


 けれど今日は、悲しい記憶を閉じる日だ。

 灰色だった日々に、初めて色がつく日なのだから。


「さぁ、レティシア。お手をどうぞ」

 グランツは手を差し伸べる。


 レティシアは一瞬戸惑ってから、ゆっくりとその手を取った。

「まぁ、グランツ様……ありがとう存じます」

 とわざとらしくエスコートを受ける。


 その所作は、まるで白百合が朝露をまとって咲くようだった。

 マーサの厳しくも温かい指導と、彼女自身の誠実さ――

 それらが積み重なって、今この美しい少女を形づくっている。


 食堂に向かう途中、窓の外の光が床に模様を描いた。

 淡い金色が、まるで彼女の歩く道を祝福しているようだった。

 グランツは、知らず微笑んでいた。


 ――この子の人生が、もう二度と灰色に戻りませんように。





 廊下を抜け、朝の光に包まれた食堂へと向かった。

 扉を開けた瞬間、ふわりと甘く香ばしい匂いが広がる。

 バターと砂糖が焦げる香りに、柑橘の爽やかさが混ざっていた。


 テーブルの上には、春の色を閉じ込めたようなご馳走が並んでいた。

 雪のように白いクリームを幾重にも重ねたケーキは、頂上に真紅の苺を飾り、

 陽光を受けてまるで宝石のように輝く。

 その隣には、琥珀色の鶏の照り焼きが艶やかに光り、

 レティシアの大好物である柑橘のサラダが、金と緑と橙のコントラストを描いていた。


 色、香り、光――すべてが祝福のように満ちている。

 その光景を目にした瞬間、レティシアの瞳がぱっと開かれた。

「……きれい……」

 小さくこぼれた声は、震えながらも確かに生の喜びを宿していた。


 グランツは、その横顔を見つめる。

 朝の光を受けて、白銀の髪が熱を帯びる。

 頬にはうっすらと紅が差し、まるで春の初めの花のようだった。

 ――この子が、こんな表情を見せる日が来るなんて。


 胸の奥がじんと熱くなった。

 これまでどれほど冷たい夜を過ごしてきたのか。

 愛を知らずに、命令と恐怖の中で生きてきた少女が、

 今、初めて幸福という光の中に立っている。


 こんな幸せが……あっていいのだろうか。

 思わず、心の奥で呟いてしまった。


 マーサがそっと近づき、涙を浮かべたレティシアの肩を撫でた。

「まぁまぁ、お嬢様はいつまでも泣き虫さんですこと」

 いつもなら淑女は涙を見せてはなりませんと言うはずなのに、

 今日のその声はどこまでもやさしく、微笑みに満ちていた。


 グランツは、静かにレティシアの頭に手を置いた。

 指先から伝わる温もりが、まるで祝福そのもののように感じられた。

 ――おめでとう。

 ――生まれてきてくれて、本当にありがとう。


「レティシア、これを」

 グランツは小さな箱を差し出した。

 白いリボンをほどき、蓋を開けた瞬間、

 中から柔らかな光が零れ出たように見えた。


 白銀の髪に映える同色のバレッタ。

 朝露を閉じ込めたような小ぶりの宝石が散りばめられ、

 角度によって淡い青と紫に光を返す。


 レティシアは息を呑み、震える指先でそれを掬い上げた。

「……きれい……」

 その言葉のあと、彼女の睫毛の先に小さな雫が宿り、

 光を弾いて一粒の宝石のように頬を伝った。


「ありがとう、グランツ兄さま」

 そう言って、レティシアは小さく抱きしめた。

 その身体は小鳥のように軽く、けれど確かな温もりを帯びていた。


「わたし……この国で一番、幸せものですね」


 その言葉が胸に沁みた。

 こんなにも短い一言が、こんなに重く、こんなに尊いとは。

 グランツはそっと彼女を抱き返し、目を閉じた。


 窓の外では春風が吹き、花びらがひとひら舞い込む。

 薄紅の花弁が光を受け、床に柔らかな影を落とした。

 その色は、確かに幸福の色だった。





いつも応援コメント、評価、リアクションありがとうございます!


ぜひ面白ければ★★★★★、退屈だったら★☆☆☆☆をお願いします。


ここまで読んでくださったみなさんに感謝!!




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