不幸体質の私と婚約なんて正気の沙汰じゃないから冷静になりましょ?〜婚約破棄された男爵は灰かぶりの転生少女と出会い運命の恋を知る〜
———ディアマンテ王国。
思い返せば、私は子供の頃から大事な物を失くしてしまう子だった。
バシャアン!!
ミアが家の近所にある、王都の中を流れる川に洗濯をしに行った時のことだった。
突然誰かに背中を押されて、ものの見事に転落した。
ちょうどしゃがもうとしたタイミングで、頭から、あられもないポーズで落ちてしまった気がする。
幸い、川の深さはミアの太もも辺りまでで溺れることはなさそうだ。
「あらごめんなさい? ゴミが付いてたから取ってあげようとしたのだけど、力が入りすぎちゃった」
声がした方を見ると、川岸で義姉であるイザベラが高笑いしていた。
「あぁ、ゴミは貴方自身だったわね! ま、そこにいれば少しは綺麗になるんじゃなくて?」
そばにいた義姉の友人達も一緒になって笑う。
(………無い)
胸に手を当てて、ミアはゾッとした。
亡くなった母の遺品のネックレスが無くなっている。
ミアは慌てて水底を探し始める。
するとその時、ミアの近くにあった木の橋が音を立てて崩れた。
「んなぁ!?」みたいな変な悲鳴が聞こえた気がしたが、ミアはそれどころではなかった。
昔からミアは運が無い。
どうしてこのタイミングで、どうしてここで、どうして自分に、という事件が多すぎて慣れてしまっている。
崩れた橋のそばでざぶざぶとネックレスを探し続けるミアに、「目の前で落ちてるのに無視か!」と男性の怒ったような声が届いた。
見ると、ミアと同じように全身びしょ濡れの状態で川の中をこちらに向かって歩いてくる男がいた。
(橋と一緒に落ちたのか)
この人も運が無いな、と思ったミアは、親切心から声をかけた。
「多分、こっちに寄らない方が良いですよ」
「あ?」
途端、男の姿が水中にざぶんと消える。
(ほら)
誰か助けてくれる人はと周りを見てみるも、さっきまでそばで高笑いしていた義姉達はもう居ない。
ミアは考えて、近くに浮いていた橋の残骸の木材を男性が消えた場所に向かって思い切り投げた。
それに掴まってくれれば良いと思っていたのに。
ゴン!!
(やっぱりか……)
男が水面から顔を出したタイミングでミアが投げた木材が着水した。つまり男の顔面にクリティカルヒットしたのだ。
男は再び川に沈む。
(どうしてこんな時だけコントロール良くなるんだろ)
普段は何かを物に当てようとしてもまるで当たらないのに。
(当てようとした訳ではないんです。どうか安らかに)
命の無常さ、運命の理不尽さに思いを馳せ、ミアは祈りを捧げるポーズをした。
ザバァ!と水音をさせて男が現れる。彼は物凄い形相とスピードでミアに近づいてきた。
「おいこら」
「ご無事でしたか、良かったです」
「無事じゃねえんだよ殺す気か」
「川は危ないんですよ、急に深くなるんです。こういう橋の下は特に水流が複雑なので」
ミアは早口で言うと男から離れようとしたが、男が鼻血を出していることに気付いて考えを改めた。
(多分、私が投げた木材のせいだ)
「あの、よろしければ私の家について来てください。簡単に手当します」
ミアの申し出に男は警戒した顔をしたが、しぶしぶと言った様子で頷いた。
川から程近くにある自分の家に案内する。
その間、ミアは周囲をキョロキョロと何度も確認していた。
「お前さっきから何してるんだ」
「気にしないでください安全確認です。はっ」
ミアは手に持っていた洗濯桶を素早く自分の頭に被った。まだ洗えていない洗濯物がバサバサと地面に落ちる。
べちょ。
「…………」
「ふう、何事もありませんでしたね!」
「何事も無かったことにするな! 俺の頭に水っぽいモノが降ってきたぞ!」
「それはァ」
ミアの目が泳ぐ。
「何だ」
「鳥の落とし物と言われるブツです。庶民の間では、運が付く、なんて言われたりもしますよ、帰りに宝くじを買ってみたらどうでしょう?」
言いながら、ミアは先ほど落としてしまった洗濯物を洗濯桶に入れ直す。
「ふざけてるのか?」
「すみませんふざけてます。それもついでにうちで拭いていってください」
プルプル、と怒りで震え始めたらしい男に、ミアは「あ、ここです」と屋敷の勝手口を示した。
☆☆☆
茶色い煉瓦造りの小さな屋敷の軒先に、白い柑橘の花が揺れている。
ミアの家、メルクリオ家は商家だ。
ミアの母が亡くなった後、ミアの父が後妻を迎え、今は父と継母と継母の連れ子の義姉、そしてミアの4人で暮らしている。
父の商いが上手くいかず使用人に賃金が払えなくなり、ミアが家事をするようになって早半年。
「ここは……廃墟か……?」
ミアはお世辞にも家事が得意だとは言えなかった。
メルクリオ家の屋敷の勝手口を抜け、台所にたどり着いた時に、ミアの後ろにいた男が呟いたのだった。
床に物が溢れ埃がつもり、そこかしこで積み重ねられた物が雪崩れている。
キッチンには白い汚れが溜まっていて、コンロにはベトベトした汚れがついていた。
ミアは思わず不機嫌に言い返す。
「失礼ですね。この家には使用人がいないので、ここが現在進行形で私の仕事場です。何ですかそのこの世の終わりのような顔は」
「いやヤバい奴についてきちゃったなって」
ふう、とミアはため息をつく。
「そうですよ。私はヤバい奴なんです」
投げやりに言うと、ミアは綺麗な水を用意して、窓際に干していた白い布を取り水に浸して絞る。
「この布なら綺麗です。掃除や炊事は苦手ですけど、洗濯はマシな方なので安心してください」
ミアは鼻血で汚れた顔を拭こうとして男の頬に触れた。
その時だった。
(———え)
ドクン、と心臓が大きく鳴った。
目の前に、知らないはずの光景が次々に浮かんでは消えていく。知らないはずの人達の顔が浮かぶ。知らない声、音、映像、文字———
ミアは全てを思い出した。
ここは前世で遊んだ『ディアマンテ王宮恋物語』という乙女ゲームの世界だ。この都の街並みを、遠目から見る王宮の形を、ミアはゲームで遊んで知っていた。
「大丈夫か?」
ミアは目の前でこちらを不審そうに見ている男を改めて見つめて、思わず呟いた。
「……火の男爵グイド・クレメンティ」
彼はディアマンテ王宮恋物語の攻略キャラクターの1人。そして———
「俺のこと知ってたのか」
グイド・クレメンティはミアの前世の推しのキャラクターだった。
「まぁ……四大貴族様ですから」
咄嗟にミアは冷静なフリを装った。
ディアマンテ王国が誇る、火、水、地、風の四大精霊に愛される四大貴族。
彼らは精霊の恵みで、それぞれ違う属性の魔法を使うことができる特別な人間だ。
鼻血を拭いている間、グイドはされるがままで大人しかった。
(こうしてみると、やっぱりかっこいい。いや可愛い)
正直でまっすぐで、何かと世話焼きなグイド・クレメンティ。
「何考えてる?」
不機嫌そうな顔で睨まれて、ミアは正直に口走ってしまった。
「子供みたいで可愛いな、と」
「かっ……」
ボン!と音がするようにグイドの顔が赤くなる。
クス、とミアは微笑んだ。
「他にお怪我は?」
「……擦り傷くらいだ」
「それは良かった。あの崩れた橋、結構古くなってたんです。地元民はあまり使わないようにしてたんですけど。男爵様はご存知なかったんですね」
「今日は踏んだり蹴ったりだ。国王陛下の命令で婚約破棄はされる、黄昏てたら川には落ちる、変な女には殺されかける」
「婚約破棄ですか……そして黄昏てたんですか。ダメですよぼんやりしちゃ」
「最後だけ聞かなかったことにすんな」
ミアは、グイドが婚約破棄されるエピソードなんてあったかな?と、考えてしまった。
推しのグイドの情報を見落としたなんてことはないと思うのだが……
(ゲームの物語とは少し違う?)
「お前は一体何やってたんだ、川の中で!」
ミアは言葉に詰まった後、小さな声で答えた。
「亡くなった母の……ネックレスを探していました。川に落ちた時に失くしてしまって」
ひゅっ、という息を吸い込む音にグイドの顔を見ると、彼は愕然とした表情をしていた。
「……見つかったのか?」
「いえまだ。あ、でも気にしないでください! この後また一人で探しますんで」
ミアが言い終わらないうちに、グイドは立ち上がって勝手口に向かい始めた。
「グイド様!?」
「探すぞ、そのネックレス」
「ちょ、ちょちょちょ、待ってください!」
ミアの静止も聞かず、グイドはずんずんと川に向かっていく。
(こんな人だ)
困っている人がいたら放っておけない火の男爵。
「一人より二人の方が早く見つかるに決まってるだろ」
「あの、話を聞いてください! 多分もう見つからないんです」
グイドは立ち止まり、眉間に皺を寄せてミアを振り返った。
「どういう意味だ? 探しに行くって自分で言ってたのに」
「私ほんと運が悪くて。こういう時、どんなに探しても出て来ないんです。だから頭では諦めなきゃいけないと分かってて。でも、お母さんが遺してくれた物だから、気持ちは諦めきれなくて」
グイドはため息をつく。
「大事な物なんだろ」
「大事です」
「じゃあ探す。見つかるまで探す。見つからなければ水の伯爵に頼み込んでもいい」
水の伯爵。水の大精霊に愛される男性だ。確かに水全般が専門分野の水の伯爵なら何とかできそうである。
「分かりました、その人に頼みに行きましょ! わざわざ火魔法しか使えないグイド様が水の中に入らなくて良いじゃないですか、火の一族にとって水なんて分かりやすく不得意分野じゃないですか!」
「火魔法『しか』とは何だ失礼ぬぁ!?」
恐らく「失礼な」と言いかけたグイドが道の途中で突然何かを踏んでひっくり返る。
「ほらァ……」
「ほらァって何だ誰だこんなとこに石鹸落とした奴は!」
「私です」
「お前じゃねえか!!」
「いや今回は私ですけど、私がとんでもなく運が悪いのは本当なんですよ! 私の近くにいる人にも不幸が起きます、だから!」
「なら不幸を呼ぶな!」
「呼んでるつもりはありません!」
(誰が好きで呼ぶかそんなもの)
ミアは心の中で言い返す。
「とにかく私に関わると危ないんです。次こそ溺れて死ぬかもしれませんよ!?」
グイドは立ち上がり、川に向かって再び歩き出す。
「俺はな、そういう迷信みたいな奴が昔から、大嫌いなん」
グイドはそこでミアに服を掴まれ後ろに強く引っ張られた。
ガチャァン。
グイドの鼻先をかすめ、近くの家の塀にぶつかって粉々に割れたのは、何かの食器のようだった。
「あんた、また浮気かい!? いったい何度目だい!?」
「すまねえ! もうニ度としねえから許してくれえ!」
夫婦喧嘩の声が聞こえる。
どうやら喧嘩の最中に投げた食器が窓から家の外にとびだしてしまったようだ。
「迷信、信じたくなりました?」
「お前どうやって生活してんだよ……」
「慣れです慣れ。『あ、そろそろアンラッキーが来る』って分かるようになります。避けられない時は運命だと受け入れます」
グイドは妖怪でも見るような目でミアを見た。
(嫌われた)
生まれ持っての不幸体質だから、もう色々諦めはついているが、推しに嫌われるというのは結構悲しい物である。
ミアは川のすぐ手前で立ち止まった。
「ここまででお別れしましょう。私は川にネックレスを探しにいきます。グイド様はお屋敷にお帰りになってください」
「断る」
「何で」
「男に二言は無いからだ!」
そう言うと、たどり着いた川岸でグイドはシャツやベストを脱ぎ、上半身裸になった。
丁寧に服を畳んで川岸に置くと、軽く体を動かして川に入る。
「この辺りだったよなー?」
そうしてグイドは川底に手を伸ばして探し始めた。
「グイド様!」
「どんなネックレスだ?」
グイドの声に、仕方なくミアも川に入って言葉を返す。
(こう言う時に引かないキャラだからなぁ……)
「一粒ダイヤです。ダイヤは小さめですけど」
「了解」
こうしてミアとグイドは川でネックレス探しを始めたのだが。
やはり、上流で壊れた丸太船の丸太が猛スピードで流れて来たり、少し遠くで石切遊びをしていた親子の石が妙な角度で曲がってグイドに当たったり、川に棲む毒蛇に襲われかけたりと不運は相変わらず続いた。
———夕刻。
「グイド様、もう大丈夫です。日も暮れて川底が見えないし、水温もだいぶ下がって……これ以上は危険です」
「俺を誰だと思ってる」
グイドは手を空にかざした。
「グイド様?」
「火の一族は攻撃魔法だけが取り柄じゃねえんだよ」
ポウ、と、手のひら大の球体の炎が、ミア達の周り、川面の上に何十個も浮かぶ。
川底までオレンジ色に明るく照らし出される幻想的な光景に、ミアは目を見開いた。
「綺麗。暖かい……」
水温もぬるま湯程度に感じる。
「今日中に見つけるぞ」
「は、はい!」
すっかりグイドのペースに巻き込まれているミアだった。
☆☆☆
思い返せばミアは昔から運が無かった。
それでも母は生前、私に寄り添い、励まし続けた。
———「運命は死の際まで行けば平等よ」
と。
———「つらいことやついてないと思うことが続いても、不貞腐れたり、挫けたりしないのよ。人より苦労した分、貴方にはきっと」
優しかった母が亡くなった。意地悪な継母と義理の姉が来た。父は仕事で失敗した。
(平等なんて嘘だ)
ミアは思う。
人生は不平等だ。勝つ人間は最初から勝ち続け、負ける人間は負け続ける。
ミアは不幸と不運にとことん愛された自分の人生を諦めきっていた。
「おーい!」
宵闇に明々と沢山の炎が揺れる中、グイドの声がする。
「お前のネックレス、これか?」
グイドの手に細い鎖が握られていた。
鎖の先にはキラキラ輝く一粒ダイヤ。
———「人より苦労した分、貴方にはきっと」
「…………それです……!」
グイドが「ほら」とミアの手にネックレスを渡してくれる。
「もう失くすなよ」
グイドの声が優しい。
———「人より沢山幸せが来るわ。きっと貴方は沢山の幸せに気付けるはず」
ネックレスから母の声が聞こえるようだった。
「あり……がとう、ございます。ありがとうございます!!」
ミアは感極まってグイドに抱きついた。
見つからないと思ってた。自分が大切にしている物は、自分を大事にしてくれた存在は全部、運命に奪われ続けるのだと思っていた。
失くし続ける自分が情けなくて、許せなくて、嫌いだった。
(失くしたものが見つかるのは……誰かに見つけてもらえて、渡してもらえるのは、こんなに嬉しいことなの?)
「……泣くな。お前が泣いてると調子が狂う」
と言いながら、グイドはミアの背中を撫でてくれていた。
☆☆☆
「それでどうして、グイド様がまた我が家に?」
ネックレス事件から数日後、グイドがミアの家を訪ねて来た。
その手にどっさりと掃除道具を抱えて。
「手当してくれた礼だ」
「いや礼ならネックレスを見つけてくださったんですから、十分すぎるくらいですよ。っていうか私が木を投げたのがグイド様の鼻血の原因なんですから、手当は当たり前で」
「だぁぁあもうお前はごちゃごちゃと! こんな汚れた家に住んでたらいつかお前病気で死ぬぞ? そしたら俺はそれを知ってて放置したみたいで寝覚めが悪いだろ! 色々教えてやるから覚えろ! いいな!?」
「はぁ」
(よく分かんないなぁ)
ミアの頭の上に大量の『?』マークが浮かぶ。
「まず、台所の水回りの掃除から! 水垢にはレモン汁だ! そして油汚れには、この粉を使う!」
「何ですかこの粉」
「特殊な鉱石を砕いた物だ。洗濯や料理にも使える万能な粉を何で知らない」
(ああ重曹か)
前世の知識で理解する。前世のミアも家事が得意な方ではなく使いこなせなかったが、存在と名前は知ってる。
「次はこの部屋に溢れたモノを捨てる。良いか? 掃除と片付けのメインは『ゴミ捨て』だ! 不要なものを一刻も早く家から出すんだ」
グイドによる掃除講座が続いていた時だった。
「ミア! ちょっとミア! どこにいるの!」
イザベラがヒステリックに呼ぶ声がした。
「……誰だ?」とグイド。
「義理の姉です。行かないとうるさいんで、行って来ますね」
ミアがイザベラの元に駆けつけると、イザベラは酷く怒っていた。
「貴方! 私の髪のセットもせずに一体何をしてるの?」
「はぁ。掃除をしてました」
「掃除!? さっさと終わらせなさいよ相変わらず愚図でノロマなんだか…………ら……」
青ざめたイザベラが見つめる先はミアの後ろだ。
ミアが振り返ると、グイドがミアの後ろから呆れ返った顔でイザベラを見ていた。
「グ、ググ、グイド様!? 火の男爵様ともあろうお方が、どうして我が家に!?」
イザベラは必死で可憐な令嬢の顔を取り繕おうとするが、グイドは既にイザベラの素の顔を見てしまったようだった。
「化け物達の棲む家もここまで来ると壮観だな」
(しっかり複数形になってる)
化け物1匹目が自分だという自覚はある。
「グイド様は私に掃除の指南をしに来てくださったそうです」
「掃除!? 指南!?」
ミアの声にイザベラは混乱している。
(訳わかんないよね。でも……)
ミアは忘れていることを思い出してグイドに向き直った。
「グイド様。寝覚めが悪いとか仰ってましたけど、要は心配してくださったんですよね?」
ミアの傍らに、天井から吊るされていたシャンデリアが落ちてくる。
「こんな私を心配してくださるなんて……とても嬉しかったです」
イザベラはシャンデリアが床で粉々になったことに慄き、悲鳴をあげて玄関から飛び出していく。
バタン!と玄関扉が勢いよく閉じられた衝撃でか、ミアの横の高い棚の上から花瓶が落ちてくる。
ミアは大きく一歩横に移動して、花瓶を避けた。
パリーン!
「お母さんが死んじゃってから、もう私の味方なんていないと思ってました」
シャンデリアに続いて天井から分厚い木の板がどんどこ降ってくるが、窓に向かって滑るように歩いていくミアには当たらない。
「人生、捨てたもんじゃないなって思います」
ミアは窓を開けた。その弾みで窓が枠ごと外に落ちていく。
ガシャーン。
さっきまで窓があった場所は、遮るものなく外の景色が目に飛び込む四角い穴になっていた。
「私を気にかけてくださって、ありがとうございます。グイド様」
「お前この状況でよく話し続けられるな」
グイドは目の前で立て続けに起こる不運にドン引きしているようだった。
「いちいち気にしてたら何も話せませんよ。気にしないのが一番大事なんです」
「待てそれ以上どこにも動くな! 頼むお願いだからお前は動かないでくれ!」
ミアが動くたびに何かしら悪いことが起きる。
ミアは両手を広げ、その場でクルリとターンした。
「私が動こうと動くまいと、不幸は訪れますよ」
「開き直るな防ぐ努力をしろ!」
バキバキッ!
ミアの足元の床が大きな音を響かせた。
(しまった)
次の瞬間、床下にぽっかりと空いた大きな穴の中にミアの身体は投げ出された。
(調子に乗ったかー。私もついに終わりかなァ)
ミアは死の予感に目を閉じた。
「…………おい。おい、ミア!!」
その声に目を開くと、ぷらり、と自分の足が虚空で揺れるのが見えた。
上を見ると、グイドが床に空いた穴の淵から、落ちたミアの腕を掴んでいた。
そして、ぐいっと引っ張り上げられる。
(凄い、力持ちー……)
引き上げられた勢いのまま、床の上に二人で倒れ込む。
「グイド様……私の名前ご存知だったんですね!」
「ここでの感動ポイントそこじゃないだろ!」
グイドは頭を掻いた。
「もう掃除や片付けで何とかなるレベルじゃないな……ミア!!」
「はい」
「俺の屋敷に来い」
「はい!?」
「この屋敷は呪われている」
「落ち着いてください! 呪われてるのは私です! 私がグイド様の屋敷に行けば、グイド様が不幸になります!」ミアが叫ぶと。
「お前こそ落ち着いて考えろ」
グイドはあくまで冷静に、ミアに諭すように告げた。
「おかしいと思わなかったのか? ここは化け物達の棲家だ。お前は確かにドジだし運も悪い。でもそれだけじゃない。お前を不幸にしたい連中がいるんだよ。呪いの元凶はそいつらだ」
「まさか」
「栄えある火の男爵グイド・クレメンティ閣下」
ねっとりとした新たな声がその場に生まれる。見ると、継母が階段を降りてきていた。熟れた果実のように妖艶な継母は、グイドに魅惑的な笑みを見せた。
「我が家にいらっしゃるなら事前にお手紙の一つでもくださればよろしかったのに」
「非礼は詫びる。そして重ねての非礼であるのは承知の上だが、このミアという娘、我がクレメンティ家が貰い受ける」
グイドは継母にそう答えた。
ひくり。と、継母の美しい微笑みが歪んだ。
「そんな勝手、いかな男爵閣下でも許せませんわ。主人も心配いたします。その娘の管理は私が任されておりますの」
「では後日、御父上に婚約のお許しを請おう」
「婚約!?」ミアはギョッとした。
(話がどんどん変な方向に!)
「クレメンティ家からの正式な申し入れだ。文句あるまい」
「恐れながら」
継母は、再び美しい笑みを見せた。
「娘の名前を間違ってらっしゃるようですわ。この家に、クレメンティ家に相応しい品や教養を備えた娘は一人しかおりません。名前はイザベラですわ」
グイドは不快そうにため息をつく。
「しつこい。私はミアを妻に欲しい」
(つっ……)
ミアには恐れ多くて心の中でも言葉にできない。
「ミア。荷物をまとめてこい」
「ダメです、完全に置いてけぼりです私。展開が早すぎてついていけません」
グイドはミアをまっすぐ見つめた。
「いいから、早く大事な物だけまとめて持って来い」
「は……はい……」
☆☆☆
グイドはミアを見送ると、ミアの継母を見据えた。
グイドの周りに火の玉が幾つも出現する。
「さっきのようにミアに手出ししてみろ。お前を燃やす」
「何のことかしら?」
継母は不思議そうな顔をする。
グイドは継母を睨んで声を張り上げた。
「シャンデリアと天井の木材は、上の階からミアを狙って落とした。花瓶も上の階から何か仕掛けを使ったんだろう。窓枠は少し触れただけで外れるように細工していた。使用人がいないこの家で、窓に触るのはミアだけだ。窓の仕掛けに驚いて立ち止まったミアが落ちるよう、床材にあらかじめ切り込みを入れ、その下には深い落とし穴を掘っておいた。これまでも似たようなことをしてきたんだろう」
継母の顔から表情が消える。
「何故ここまでする」
グイドが問いかけると継母はさして興味の無い様子で呟いた。
「ただの暇つぶしよ」
「暇つぶしだと?」
「ええ。人生には娯楽が必要でしょう? ミアは私達の退屈な時間を紛らわすためのおもちゃ。飽きてきたからそろそろ廃棄して、新しいおもちゃを手に入れようと思ってたの」
「本物の化け物だな」
グイドは汚らわしいものでも見るような顔で、怒りを露わに吐き捨てた。
「だが要らないと言うのであれば、彼女はありがたく連れて行かせてもらう」
そこにミアが大きなバッグを下げて歩いて来た。
グイドはそのバッグを持ってやり、継母を一瞥した。
「今後二度とミアに関わるな。俺にとっては、この家一つ潰すことなど造作もないと覚えておけ」
そう言うと、グイドは先ほどイザベラが飛び出して行った玄関から外へ出る。
少し後ろを歩くミアが、背後を振り返る気配がした。
☆☆☆
ミアはメルクリオの家を出る時、最後に後ろを振り返った。
(見なきゃ良かった)
階段の途中に佇んでいた継母は、ミアが見た事もないほど恐ろしげで、屈辱に燃えた悔しげな表情をしていた。
グイドは一体何を言ったのだろう。
家々が並ぶ中、自分の前を歩くグイドは苛立っているように見える。
「グイド様」
「何だ」
「婚約話は、あの場を乗り切るための口実ですよね?」
グイドは立ち止まった。けれど振り返らない。
ミアも自然と立ち止まる。
「俺は本気だ。けど、お前が嫌なら好きな時に婚約破棄すれば良い」
「……グイド様。ひょっとして私もう死んでます?」
「は!?」
グイドがぶん!と音がしそうなくらいの勢いで振り返った。
「いや私の人生にしてはあまりに恵まれすぎてて。死後の夢なら納得できるんです」
ミアは自分の両手のひらに視線を落とした。
「分かった! 私の妄想ですね? だって私に都合が良すぎますもん。おかしいと思ったんですよ、だってグイド様ですよ? よりによって好きでたまらなかった人が現れて助けてくれて婚約を申し込んでくれるなんて完璧な乙女の妄想じゃないですか! はー、そうか、人生の終わりに、神様か誰かが私に夢のご褒美をくれたんですね」
言いながらミアの瞳からポロポロと涙がこぼれる。
(夢は醒める。夢は終わる。夢は現実じゃない)
グイドは堪えきれず頭を抱えた。
「待て待て待て待て! 俺の方が処理できん! お前が、俺を好き?」
「はい、好きです。グイド様は優しくて正義感があって、その上いつも全力で、素敵で可愛い人なんです」
今の状況が夢だと信じて平然と『推し』について語るミアに、グイドの顔は赤くなったり青くなったりと忙しい。
「……お前の感覚、分かんねー……」
グイドはヘナヘナと力が抜けたようにその場にしゃがみこんでしまった。
☆☆☆
———10年後。
グイドと一緒に暮らし始めてからミアの不幸や不運は激減した。
グイドは意外と用心深く、ミアのおっちょこちょいから来る失敗を予見して忠告してくれる。
しかし平穏な生活を送る中でも、ミアには引っかかり続けていることがあった。
「グイド様が一体何を考えて私に婚約を申し込んだのか、いまだに分かりません。同情ですよね?」
ミアはクレメンティ家の庭園で、グイドに小声で問いかけた。
「お前さ。いまだにそう思うの?」
グイドは少し呆れたように言葉を返す。
「不幸と不運が積もり過ぎて疑い深くなっちゃったんです、ご理解ください。さすがにもう夢だとは思いませんけど」
いくらミアが現実を信じられなくても、10年も醒めない夢があるとは思えない。
グイドはミアに近づき、その胸元のネックレスに触れた。
「このネックレスを川で見つけて渡した時。こいつを幸せにしたいって思った」
「やっぱり憐れみですね。捨てられた犬がいると毎回拾ってきちゃうタイプですね」
「昔それでよく母親に怒られてな、って違うわ!」
グイドは顔を赤らめた。
「あの時、可愛かったんだよ、お前が!」
春の柔らかな日差しの中、遠くから三人の子供達がはしゃぎながら二人に駆け寄ってきた。
「とうさま! だっこー! ぐるぐるー!」
「あ! エミリオばっかりずるい! わたしもー!」
「おれもー!」
「よーし三人まとめて抱えてやるぞー!」
グイドが三人の子供達を抱えてグルグルと回る。
子供達は「きゃー!」と嬉しそうに叫ぶ。
グイドは子供達を地面に下ろすと、次にミアを抱え上げた。
「えっ!?」
ミアの耳元でグイドは甘く囁いた。
「お前もいい加減諦めて幸せになれ」
グイドはそのままぐるぐると回る。
「かあさまもぐるぐるー!」
子供達の笑う声。
やがてゆっくり地面に下ろされたミアに、子供達が競うように抱きついてくる。
子供達をぎゅうっと抱きしめ返して、ミアは思った。
(ずっとこの時間が続いてほしい)
家族から温もりを沢山与えられる生活が、自分なんかには勿体無いと時々思う。いつか罰が当たるのではと不安になる。
でもグイドはどうやら、そんなミアの不安を見抜いていたようだ。
諦めて。覚悟を決めて。
(お母さん)
ミアは光が満ちる空を見上げた。
(私はいま、最高に幸せです)
最後までお読みいただき、ありがとうございました!
水の伯爵の一作で終わるはずだったのが、この火の男爵の物語で四作目。火水地風の四大貴族を全部書ききりました…!(グイドの婚約破棄については、「羊公爵」のお話に詳しく書いてあります)
読者の皆様から一つ一つの作品に温かな反応を頂けて、続きを書こうと思えました。この場を借りて御礼を申し上げます。
ところでこの四大貴族の四人のうちなら、貴方はどのキャラを攻略しますか? 私は地のルーカです。
引き続き、少しでも心に触れる何かがありましたら、評価やリアクション、ブックマークで教えていただけますと、大変嬉しく思います!
よろしくお願いします。




