第8話 ID交換
階段をのぼって二階に来た。ここは来客時に使う場所らしく、大きな部屋が三つぐらいある。
一つ目はパーティー会場らしく大きく長いテーブルがあって、十人以上が同時に座って食事ができそうだ。壁には有名な絵画、天井はクロスじゃなくてフローリングのような木が並んでいてダウンライトがある。調光は変えられるらしく、落ち着きたい時は少し暗めにするらしい。お誕生日パーティーを開くときに使うんだと言われた時は、これが格差かなんて思ってしまった。
隣にある部屋はプレイルームと呼ばれていて、卓球台、ダーツ、ビリヤード、クレーンゲームなどが遊べるらしい。汗をかいたとき、すぐ飲み物が飲めるようにと、ガラス張りの冷蔵庫みたいな物もあって驚いた。
「遊んでみます?」
「先に家の方を見たいから後にしよう」
気を遣って舞衣さんが言ってくれたけど、父さんは断った。
荷物の搬入も終わってないしね。遊ぶ前にやることは沢山あるから当然だ。舞衣さんも同じように思っているのだろう。気にした様子もなく案内を続けてくれる。
「最後の部屋はカラオケルームです」
大部屋を二つ足したぐらいの広さがあった。壁の周りにはソファがあって中心にはテーブル。全体的に薄暗く、大きなモニターがはっきり見えるようになっていた。部屋の隅にはカラオケに使う機械のほか、マスカラやタンバリン、そしてコスプレ用の衣装も数着あった。
看護師、スーツ、警察官といったお仕事系がメインで、アニメや漫画系はない。
カラオケでコスプレって……何をするつもりなんだろう?
理解が追いつかない。
「お二人とも歌うのは好きですか?」
「好きというか得意だな。俺は君のママを歌で落としたんだぞ」
それ、娘の前で言っちゃうのかよ。親の恋愛なんて聞きたくないだろうに。
俺は自分のことをノンデリカシーだと思っていたけど、本物は格が違うな。他にも余計なことを言いそうだったので、脇腹を殴って止める。
「おまっ」
「うるさい。黙ってて」
睨みつけたら父さんは黙った。
本気で怒っているって気づいたみたい。
今日は一つやりたいことがあるんだから、舞衣さんの機嫌を損ねることは避けてくれ。
「俺はそこそこかな。歌うことは嫌いじゃないよ」
配信でも歌枠を作るぐらいには好きだけど、人前だとちょっと恥ずかしい。カラオケなんて父さんと数回行ったぐらいだし、慣れてないんだよね。
「だったら歓迎パーティーはカラオケにしても良さそうですね」
小さくスキップするようにして出口まで行くと、くるりと舞うように回って俺たちを見る。
「一緒に歌ってくれますか?」
真っ直ぐで力強い目は俺を捉えている。
舞衣さんが俺を誘うなんて思っても見なかったので驚いたが、冷静に考えれば家族間でギスギスしたくないと思うのが普通だ。向こうもある程度は仲良くなりたいと考えての提案だろう。
人前で歌うのは恥ずかしいけど、歩み寄ってくれたのであれば応えたい。
仲良くなりたいのは俺だって同じだからね。
「あまり上手く無いけどそれで良ければ」
「ぐふふふっ」
なんか舞衣さんらしくない笑い声が聞こえたような気がしたけど、一瞬だったので気のせいのようにも思える。今は真顔になっているので幻聴だったのかもしれない。
「それじゃ上にいきますね」
カラオケルームを出て階段を登って3階についた。
長い廊下があって左右にドアがある。ホテルのような見た目だ。
「一番奥が夫婦の部屋らしいです。ママが待っているみたいなので、辰巳さんはそちらに」
「それじゃまた後でな」
なんで美紀恵さん部屋で待っているのだろう。一緒に案内してくれてもよかったのに。
些細な違和感を覚えたけど、声をかける前に父さんは夫婦の部屋に行ってしまった。
「優希くんはこっちです」
立ち止まっていたら舞衣さんが、近くのドアを開けて中に入った。俺も続くと、とんでもなくでかい部屋が広がっていた。ダンボールがいくつも置かれていて、引っ越し業者が仕事をした後だとわかる。ベッドとデスク、椅子といった大きめな家具は部屋に合わせて先に買ってもらっていたので、すぐに使える状態だ。外にはバルコニーがあって窓から出られるようになっていた。
「防音はしっかりしているから、大声を出しても隣には聞こえないよ」
ばたりとドアが閉まる。
振り返ると舞衣さんが怪しく微笑んでいた。
汗ばんでいて頬は赤みを帯びている。
「も、ももういいよね。私、頑張った」
目の焦点があってない。フラフラとゾンビのように歩いて近づいている。何が起こっているのか理解できず見ていると、つまづいてよろけたので体を支えた。
「大丈夫です?」
慌ていたので耳元で聞いてしまった。
もっと嫌われるんじゃないかと思って後悔していると、びくんと体が動いて舞衣さんは気を失ってしまう。
まただ。大丈夫なのだろうか。
放置はできない。ベッドで横になってもらう。
美紀恵さんを呼ぼう。
歩こうとしたら服の袖を引っ張られた。
「行かないで」
意識を取り戻した舞衣さんが引き留めたようだ。
「でもまた倒れたんだよ? 病院に行った方がいいよ」
「そいうのじゃないから。大丈夫。安心して」
「でも病気だったら……」
そこで、はっとした。
体調は悪いけど病気じゃない。それを意味することを。
確かに言いにくいはずだ。特に嫌っている相手ならなおさらだろう。
「でも俺がいたら落ち着かないでしょ?」
「ううん。そんなことはない。いて欲しい」
「本当に? ムリしてない?」
話すのも辛いのか、こくりと頷くだけだった。
用事があったのでちょうどいいかと思い直し、ベッドの端っこに腰を下ろす。
服の袖は握られたままだ。
「これから一緒に住むけど、舞衣さんは俺のことを家族として認めてくれている?」
「もちろんだよ」
本心はともかく、優しい舞衣さんなら絶対に肯定すると思っていた。
だからこそ卑怯な俺は計画通りに要求をぶつける。
「そっか。だったら家族としていつでも連絡取れるようにしない?」
心臓が爆発するんじゃないかと思うほど、バクバクと大きく動いている。
告白したかのような緊張感だ。
じんわりと手に汗が浮き出てきたので、シーツで拭う。
「家族として、だよね」
「うん」
「やっぱりそっか」
「ダメ、かな?」
「そんなことないよ。私の方こそお願い」
舞衣さんはスマホを取り出して操作すると、QRコードを画面に表示させてくれた。
カメラで読み込んでみると、チャットアプリが立ち上がって耳がアップになったアイコンが表示された。
「友達登録するね」
一言断ってから追加ボタンをタップすると、一覧画面に舞衣さんのアイコンが表示された。
父さんと死別した母親、そして舞衣さんの三人がいる。
本当に家族が増えたんだと実感した。