第6話 舞衣:耐久、推しの声
推しのラジオ配信が始まったので、すぐに友達と別れて聞きながら帰路についている。
変わらず聖夜、ううん。優希くんの声は私の脳を溶かしてくれる。理性、常識、思考、そういった余計なものを奪い去って本能だけで楽しめるのは、あの魔法の声があるから。
他の人じゃ絶対に経験できないことを、優希くんはすんなりとやってしまう。やりすぎてしまう。
配信で声を聞く分にはまだ耐えられるけど、近くで話をされたら耐えられない。この前は気絶しちゃうぐらいの快感物質がドバドバと出てしまって、まともに会話ができなかった。
早く誤解を解かなければいけないのに。
焦燥感を覚えながらも私の指は勝手に動いてコメントを書き込んでいく。久々にイヤホンから伝わる声をきけて感情が高まり、いつもの下ネタを三行も書いてしまった。後は送信するだけ。
「悩み事があって楽しく話せないから、解決するまでは難しいかも」
指が止まった。
推しの聖夜――優希くんが悩んでいる?
言葉の意味を理解した瞬間、胸がバクバクと激しく鼓動して呼吸が浅くなる。
きっと私のことだ。私のせいだ。心当たりなんて沢山ある。
書きためた下ネタをすべて削除すると質問を書き込む。
反応はすぐにあった。
「詳しくは言えないけど、これから一緒に住む人に少し嫌われているかもしれないんだ」
勘違いでも、考えすぎでもなかった。やっぱり優希くんのリアルボイスに耐えられない私が原因で、推しを悩ませてしまっている。万死に値する行為だ。本当なら土下座して全力で謝罪してから二度と関わらないようにするべき何だろうけど、それだけはどうしてもできない。
一緒に住めるチャンスを逃してしまうぐらいなら死んだ方がマシだよ。
私との関係を諦めて欲しくなくて必死にコメントを書き込み、最後はチャットのID交換をする約束まで取り付けた。よかった。まだ希望は残っている。
安心したら力が抜けてしまって、スマホを持つ手をだらりと降ろしながら一人で歩く。
いつもは楽しいことを考えながら景色を楽しんでいるんだけど、今日はそれどころじゃない。優希くんが話しかけてきたときに、どうすれば好感度を上げられるかアイデアを出さないと。
問題は近くで聞くと脳から変な物質が出てしまう声、なんだよね。
耐えられるようになれば後は自慢のコミュニケーション能力でなんとかできる……はず。でも強力な快感を覚えてしまうほどの声って、耐えられるものなのかな? 普通に考えてもムリなんだけど。どうやってママは……はっ!?
そうだ。
私が特定の声に弱いのは遺伝だったっ!
娘の私が言うのも少し変だけど、ママは重度の声オタクだ。血のつながった私の父と結婚したのも声が目当てだった。
でも私が十歳ぐらいの時に酒の飲み過ぎで声が変わってしまい、そこから急速に冷めて離婚。ものすごい資産家だったから、別れるときに住んでいる大きな家と大金を手に入れたみたい。
その後はしばらく独身生活を楽しんでいたけど、優希くんのお父さんと出会ってまた変わってしまう。声を聞かないと生きていけないと猛アピールして口説き落とし、冷静になる時間を与えずに再婚を決めたと自慢げに語っていた。
相手がシングルファザーだったから良かったけど、結婚したままだったらハニートラップを仕掛けて離婚させていたと思う。それほど強い執着を持っているというのは、私にだけわかる。確信している。
幸いなことに私とママは声の好みが地味に違うみたいで、優希くんが話しても大した反応はない。あと数十年経って声に渋みが出てきたらわからないけど、今はまだ声オタクの先輩として頼れる。
推しを口説き落として結婚までした先輩であり、親であるママなら対策を知っているかも!
天才的なひらめきだ。
耳で妊娠する声を聞いた私の頭は冴え渡っている!
すぐにチャットを立ち上げてママに相談すると、妙案があると言われた。
早く答えが知りたくて住宅街を走って家に入る。ママは玄関で待っていてくれた。
「私は何をすれば良いの!?」
一瞬だけ驚いた顔をしたけど、すぐに怪しい笑みに変わった。
「秘密兵器を貸してあげる。私の部屋に行きましょう」
玄関からリビングに入ると、エレベーターに乗って3階に移動する。
昔は夫婦で使っていた大きな主寝室のドアが開いていた。中を覗くとママが高そうなヘッドホンを持って笑っていた。
「こっちにおいで」
「う、うん」
嫌な予感はしたけど、優希くんと一緒に住むためだと気合を入れて主寝室に入る。
キングサイイズはある大きなベッドの上で横になった。
「目を閉じてね」
言われた通りにするとヘッドホンをつけられた。波の音が聞こえる。
これから優希くんの声が流れるのかななんて思っていたら、手や足首に冷たい感触がした。思わず目を開けてみると手錠がつけられていてベッドにつなげられている。
引っ張ってみても途中で引っかかってしまい、立ち上がれない。
「ママ?」
私が発した疑問の声は無視された。
ふんふん、と機嫌よさそうに鼻歌を口ずさみながらデスクに座ってパソコンを操作している。何度かクリックをして再生する音源を決めると、波の音が優希くんの声に変わった。
「結婚しよう」
「っっんん!?」
突然、甘い声で求婚されてしまい変な声が出ちゃった。
性能の良いマイクで録音したのか、耳元でささやかれているような感覚があって、脳が一瞬にして蕩けてしまう。
「いいねぇ。思った通りの反応。さすが私の娘」
私をいじめて楽しむなんて性格が悪い! 辰巳さんに言いつけてーーっん!
また優希くんの声が流れた。今度は吐息まじりに愛を伝えてくれる。
寝る前に妄想していたシチュエーションがヘッドホンからとめどなく流れてきて、脳からは私をバカにする何かがドバドバと出ている。理性は崩壊して何も考えられない。
「私もしゅきぃぃぃ……」
「俺もだよ。一緒になろう」
偶然にも私の声と優希くんの反応があった。
うん! そうする! 声帯の中に住むね!
襲いに行こうと立ちあがろうとして失敗、バランスを崩して倒れてしまう。
そうだ。手錠で繋がっていたんだ。
「まだまだこれからだよ。舞衣は耐えられるかな?」
さらにいろんなボイスがヘッドホンから流れ、耳を犯していく。
愛を囁くだけじゃなく、ちょっとした暴言まで吐かれ、クズっぽい性格もいいなって思ってしまった。あの声ならなんでも許せる。
お金だっていっぱいあげるから、ずっと声を聞かせて!
手足を動かしてなんとか拘束から解放されようとするけど、手錠は引きちぎれない。私の脳を溶かす声が下半身を熱くしていく。
溜まりに溜まった欲望を吐き出したい。早く、早く!
「あー、そろそろ限界が来たね」
優希くんの声が一気に大きくなった。頭から体、四肢の末端にかけて電撃が流れる。足の指をピンと伸ばして全身に力が入って、しばらくすると、ふと脱力してしまう。
全身から大量の汗が流れ出ていて運動した後みたいな息切れをしている。力が入らないから唇から涎が流れ落ち、拘束されているから拭くことすら出来ない。
私はママに何をされてしまったのだろう。
これで優希くんと普通に話せるようになるのかな?
曖昧になっていく意識の中、今回の訓練に意味があるのか疑問ばかり浮かんでいる。
「これほどキツい声を浴び続ければ、少しは持つようになるでしょ。冷静に話せるようになったら、性格の方もちゃんと見定めるのよ」
彼が素敵なのは配信で知っているから心配しないで。
私を騙すような悪い人じゃないから。それに推しと付き合うなんて考えただけでも恐ろしいことだから、友達兼義兄としての関係で終わるよ。
だから余計なことは絶対にしないでね。