26、十二執行官序列五位『鷲鼻』のプルチネッラ④
ハインツは、馴染みの酒場に入り浸っていた。
手には大金があり、しばらくは豪遊して過ごせるだろう。
そして、さっそく酒を注文。一気に飲み干し、マスターにおかわりを要求する。
「おう、追加ぁ」
「はいよ。なんだいハインツ、しばらく来なかったけど、城勤めは終わったのかい?」
「まあな。へへへ、やーっと自由な生活に戻れたぜ。ああそうだ、ツケ返すぜ」
ハインツは、金貨をジャラジャラとカウンターへ。
マスターは「まいどあり」とニヤニヤしながら金貨をしまい、ハインツにおかわりのグラスを出す。
ハインツは、それすら一気飲みし、周りを見た。
「あん? おい、女ぁいねぇのかよ」
「ああ……みんな逃げちまったよ。あんた、さっきの空見なかったのかい? 得体のしれないカラスが、空を埋め尽くしてたのさ」
「あー……」
プルチネッラの使役するカラスだ。
それを思いだし、ハインツは。
『クズめ』
グラスを、強くカウンターに叩きつける。
マスターは驚き、濡れたテーブルを布巾で拭いた。
「なんだい、どうした?」
「……別に」
ハインツは、強めのブランデーを注文して飲む。
「…………けっ」
頑張った、と自分では思った。
確かに何度も逃げた。やめたいと思った。それは間違いのない事実。
何を言っても手遅れ。だが……ハインツは言う。
「なあ、オレってよ……クズか?」
「は?」
「オレ……怖かったんだ。あんなバケモノ、どうしようもねえ。誰か一人が死んで助かるなら、誰かに死んでほしい……そう思うの、クズなのか?」
酒のせいだろうか、普段考えないことを考え、口に出していた。
マスターは、ハインツが弱気になっていることに気付く。
傍若無人、ツケは返さない、ジョブ能力にかまけてやりたい放題、女と酒が大好き、自堕落な生活、他人のことなんてお構いなし……どう考えても、クズである。
だが、こうして考えを改め、弱音となって吐き出すくらいは、ハインツも変わっていた。
マスターは、グラスを磨きながら言う。
「まあ、クズだろうねえ」
「…………」
はっきり言われた。が……なぜか怒る気になれない。
そして今気づいた。けっこう強い酒を飲んでいるのに、全然酔わなかった。
マスターは続ける。
「でも、今のお前さんは、思うことがあるんだろう?」
「……散々怒られた。でも、あんな目で……あんな、憐れむような目で」
「……」
マスターは、別のグラスに水を注ぎ、ハインツの前に出す。
「あんたは、どうしたいんだい?」
「……オレは」
ハインツは、水のグラスを取り一気に飲み干した。
「オレは、クズになんか、なりたくねえ」
「だったら、こんなところにいていいのかい? 私にはよくわからんが……酒、飲んでる場合じゃないんだろう?」
「…………わかってる。でも……まだ怖い」
「なら、逃げちまってもいいさ。怖いから逃げ出すのは人として当たり前。クズとして逃げ出すなら一生クズのまま……どうする?」
「…………」
ハインツは立ち上がる。
そして、店を出るために歩き出した。
「……怖いけど、行くわ。オレぁ『聖騎士』のハインツ……どうしようもない野郎だけど……やっぱ、クズで終わりたくねえ」
ハインツは店を出た。
マスターは、グラスを磨きながら小さく呟いた。
「またのご来店を……はは、もう来ないかもな」
ざまあキャラその一、ハインツは走り出した。
◇◇◇◇◇◇
マルセドニーは、地下ギャンブル場でカードに興じていた。
「勝負……ふん、ボクの勝ちだ」
マルセドニーの勝利。
周囲はどよめき、ギャンブル場の支配人が近づいてくる。
「マルセドニー様、そろそろ……」
「何故だ? これまで負けた分をようやく取り返した。これから儲けさせてもらう」
七十五連勝。
マルセドニーが得意なカードで、これだけの連勝を重ねたのは初めてだ。しかも、これまでの負け分をすべて取り戻し、店への借金も消えた。
だが、マルセドニーはちっとも嬉しそうじゃなかった。
支配人がペコペコ頭を下げるので、仕方なくバーへ移動し酒を飲む。
「…………」
何もかもが、つまらなかった。
ギャンブルは好きだった。全てを賭け、全てを得るか失うかのヒリヒリした感覚を味わうのが、マルセドニーにとって最高の遊びだった。
が……今は最悪の気分。有り金全てを賭けてカードに興じていたのだが、もう連続で七十五勝……適当に、得意の頭脳を使ったプレイをすることもなく、暇つぶしのように賭けをしていたが、なぜか負けることがない。
怪しまれ、店の監視が何人も付いたが、誰一人としてイカサマを見破れない。というか、本当にイカサマなどしていないのだから当然だ。
「マルセドニー、絶好調じゃない」
マルセドニーの隣に、常連のギャンブラーの女性が座った。
だが、マルセドニーは気にしない。無視してグラスを傾ける。
「ね、勝負しない?」
「……あっちに行ってくれ。今日はそんな気分じゃない」
「あらそう。ふふ、お外はカラスで真っ暗な空だけど、ここは変わらない。みんな、スリルを求めて賭けに興じている……マルセドニー、そんな顔をするなら、帰ったらどう?」
「……うるさいな」
女性はマルセドニーのグラスに、自分のグラスを合わせた。
「何かあった? あなたのツキと関係ある?」
「…………ボクは、クズか?」
「はあ?」
「ボクはジョブ能力者だ。頭脳明晰で一度読んだ本の内容は忘れないし、魔法だって……」
「で?」
「ボクは……クズ、なのか?」
「ま、クズね」
女性は煙草を取り出し吸い始める。
バーのマスターが灰皿を出し、そこに灰を落とす。
「クズじゃなかったら、こんなバーに入り浸って馬鹿みたいな賭け事を毎日やるわけないでしょ? ここで賭けをしてるやつは、あたしも含めてみんなクズよ。仕事もせず、昼間から酒を飲んで、なけなしの金をギャンブルに突っ込んでる……あはは、クズじゃなきゃやらないわ」
「…………」
「そんで、あんたはそんな中でも、とんでもないクズよ」
「え」
マルセドニーは、思わず女性を見た。
煙草を吸い、マルセドニーに向かって煙を吐き出す。マルセドニーは嫌そうに顔をしかめたが、女性はただ笑うだけだ。
「だってあんた。ジョブ能力者だし、頭脳明晰なんでしょ? なーんで、そんな奴がこんなギャンブル場でクズの仲間入りしてるわけ? そのジョブ能力と出来のいい頭を使って、この国のためになるようなことするのがフツーじゃないの?」
「…………」
その通りだった。
何も言い返せず、マルセドニーは酒のおかわりを注文しようとし……手が止まる。
「ま、あたしには関係ないけど~……クズじゃないなら、引き返したら?」
「……今更だね」
「かもね。ま、好きにすれば~?」
女性は煙草を灰皿に押し付け、マルセドニーの席から離れた。
マルセドニー以外で儲けている客を見つけ、たかりに行ったようだ。
「…………引き返すことができれば、そうしてるさ。でも」
過去には戻れない。
すでに、マルセドニーは『クズ』の烙印を押されてしまった。
だが……ほんの少しだけ、変わりたいと思う自分がいた。
「……いいさ、やってやろうじゃないか」
マルセドニーは立ち上がる。
カウンターに酒の代金を叩きつけ、マルセドニーはギャンブル上を出るのだった。
◇◇◇◇◇◇
ナヴィアは、大金をもらったあとに町で家を買い、そのまま一人暮らしを始めていた。
「あ~、最高」
部屋は散らかっていた。
服や化粧品、お菓子の食べかすなどが散らばっている。
どう見ても汚い部屋。だが、ナヴィアは気にせず、下着姿でソファで寝そべっていた。
「……最高、だし」
ようやく、自由を手に入れた。
つまらないお祈りもしなくていいし、食事だって好きなものを食べられるし、お菓子や果実水だって自由に買える。
大金をもらったおかげで、しばらくは自由に過ごせる……だが。
「…………最高、だし」
ナヴィアは、満たされなかった。
時間が過ぎるのが遅く感じ、退屈な時間が過ぎていく。
本も買ったがすぐ飽きた。ボードゲームも買ったが相手がいない。誰かを呼ぼうと思ったが友達はいない……ナヴィアは、孤独だった。
「…………ふん」
思い出すのは、仲間……と言っていいのかわからない二人。
ハインツ、マルセドニー。二人はナヴィアの好みの男ではなかったが、話していて退屈ではなかった。
ハインツは、最初は下心が見えるような話し方だったが、すぐにナヴィアの本性を見抜き、普通の友人のような喋り方になった。
マルセドニーは、ナヴィア……というより、女性に興味がないのか、適当な反応をされることが多かった。ナヴィアもつまらない男と思っていたので、特に気にはならなかった。
こんな二人だが、今は会って話をしたいと、ナヴィアは思った。
「……クズ」
そして、海斗。
憐れむような目で、自分を見ていた。
そして、切り捨てられた。
「…………ちくしょう」
身体を丸め、ナヴィアは歯を食いしばり……ぽろぽろと涙を流した。
本当は、嬉しかったのだ。
厳しくても、辛くても……修行の日々は、楽しかった。
ほんの少しだけ、褒められたこともあった。それが、今でも嬉しいのだ。
でも……やはり、まだナヴィアの根っこは変わっていない。
誰かを犠牲にしてでも、助かりたい。そう思ってしまった。
クズと言われても、納得してしまうくらい。
「……ひっく」
ナヴィアは身体を起こし、洗面台へ。
ひどい顔だった。化粧は荒れ、目元は真っ赤になっている。
それでも、今のナヴィアの顔は、今までとは違うくらい、力強くなっていた。
「……あたしだって」
ナヴィアは下着を脱ぎ捨てシャワーを浴び、髪を乾かし、化粧をし、戦闘用の法衣に着替えた。
そして、頬をパンと貼り、家を飛び出すのだった。