群青
――山あいの薄霧のなか、一羽の鳥が、斜めに墜ちる。
狩人は弓を下ろし、草むらに倒れた鳥を改めた。
矢は急所に命中し、既に息はない。
狩人の目に、脚にくくりつけられた細い竹筒が飛び込んだ。
筒から巻布を引き抜く。色だけは――信じられないほど鮮やかだった。
だが。
「……なんじゃあ、こりゃあ?」
霧の中、紙を傾けても、絵の“正体”は判然としない。
朱、青、緑、黄――色とりどりで、線は迷子。
輪郭も掴めない。
狩人は、布を縦にも横にもひっくり返し、首をひねった。
「……色はいたく綺麗だが……さっぱりわかんねぇ」
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英賀手は、天音との約束どおり、
報せの鳥で絵のやりとりをしている。
しかしあまり上達はしない。
英賀手は、祭祀や政務の勉強優先のため忙しい。
代筆は拒否。
天音もまた、長上から両属朝を託された立場のため、多忙である。
互いに頻繁には、やりとり出来ないし、報せの鳥も、必ず帰るわけではない。
途中射落とされたり、他の天敵に襲われたりする。
だから英賀手は複数羽飛ばすが、そのためにも枚数を描いてから送るのだ。
天音は未着だろうと、描いたらすぐ送るパターン。
このため、英賀手は宮中絵師を必要としている。
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宮中絵所。
障子越しの光が、床に格子の影を落としている。
夜比古は、絵の具を指先にとる英賀手を、静かに見守っていた。
無駄な言葉はない。
ただ、流れていく水のように落ち着いている。
英賀手は、緊張で線をためらう。
「……指先が震えていますね、英賀手さま」
夜比古が柔らかく言った。
「うん……。天音にもっとええの送りたくて……」
夜比古は、ほんの少しだけ目を細めた。
亡き天媛に、絵を描き贈っていた自分を思い出す。
「では、まずーー“色”を信じるところから始めましょう」
「色を……信じる?」
「はい。あなたは慎重なお方です。線に答えを求めすぎる。
色に任せる勇気を、少しだけ持ってみてください」
そう言って、夜比古は英賀手の姿勢を軽く支えた。
指先が驚くほど安定している。
「この群青は、空の色。
空は、あなたが思うよりずっと広く、均一ではありませぬ」
英賀手は息を呑んだ。
「……こんなふうに……」
「ええ。天音殿は、勢いのある線を描く方なのでしょう?
あなたは、色で呼応すればよいのです」
英賀手の心は、すこし軽くなる。
(……天音に、応えられるかもしれない)
夜比古は微笑みもしないまま、静かに言った。
「焦らなくてよい。ただ、“あなたの空”を描きなさい」
その言葉は、まるで、亡き天媛を彷彿とさせた。
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両属朝。
夜風に揺れる灯火の下、報せの鳥が戻ってきた。
天音は急いで紐を外し、絵を広げる。
……一瞬、息が止まった。
「……色、が……こんな……」
以前とは違った。
線のたどたどしさはまだ残っている。
だが、色彩が生きている。
青の濃淡は、空を本当に見上げて描いたようで。
雲の端が淡く溶け合い、英賀手のまなざしが、そのまま入っていた。
天音はしばらく布を見つめ、それから小さく笑った。
「……よし。わたしも!」
墨をすぐに磨り、布を広げる。
即興の一筆鳥が、再び風を切るように走る。
そして天音は、まだかすかに青白い夜空を見上げた。




