言葉
天媛の葬送から間もなく、夜比古は宮中を去った。
夜比古の中に、天媛の存在が沈殿したような顔で。ただ、静かに。
宗女の座は空位――
これを機に、
あやぎり朝は、新たな政権構造を形作る。
政務を取り仕切るのは長上。
祭祀は、まだ幼い英賀手が最低限の儀式のみを担当する。
整然とした体制変更かに見えた。
だが宮中は、物語を好む。
「長上は権力の鬼やて」
「いや、天媛を射止めたんや。さっすが超モテモテの男や」
「政務代行やて? 乗っ取ったんちゃうか?」
好き勝手に語り、勝手に熱狂し、勝手に畏れた。
その喧騒をよそに――
本当の内部事情は、もっと生々しかった。
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英賀手の心を安定させていた最大の要因は、長上ではない。
長上の妹・天音だった。
天音は柔軟で、よく話し、年齢の近い英賀手の心に、すっと溶け込んだ。
英賀手が泣けばそっと抱きしめ、眠れなければ手を握り、
天媛死後の混乱期を、一番近くで支えていた。
だが、その穏やかな時間も、長くは続かない。
長上と天音が属する両属朝と、
その後援たる円理朝が、
合同で使者を派遣した。
双方からの依頼はただひとつ。
「長上はよい。だが――天音は戻せ」
至極当然の要求だった。
天音は、門客を連れて両属朝へ帰っていった。
別れの日、英賀手は泣きじゃくり、
天音は、報せの鳥で「絵のやりとり」をしようと励ました。
✦
翌日から、英賀手の目線は変わった。
天音の姿を探していたはずの目が、
いつの間にか、長上ばかりを追うようになった。
理由は単純。
天音の顔は、兄である長上とよく似ていた。
長上の歩き方、言葉の選び方、静かに考える癖。
全部、天音とどこか似ていた。
――いや、正解に言えば、
英賀手自身が“似ている部分を探し始めた”のだ。
英賀手の不安な心は、次は長上に救いを求めた。
長上は驚くほど優しく、驚くほど距離を感じさせない後見人だった。
礼儀、政務の意味、すべてをわかりやすくかみ砕いて、
何度も何度も教え、
英賀手が怯えれば隣に座り、
困れば「どうした」と穏やかに声をかけた。
英賀手の心は、痛いほどに締め付けられる。
――あても、天音みたいになりたい。
長上の信頼おける妹分に。
そしたら、もっと仲良くなれるよね(/^-^(^^*)/
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それには意思疎通が大事。
長上は、かはそに言葉が話せないから、
あても合わせよう。
あて……あて……あたくち?
英賀手は、本当に小さい頃はーー
“あたくち”と、喋っていた。
英賀手の実母は、サルヌリ朝との国境警備の任に当たる、刺羽氏の出。
実母である彼女は、
せうびん氏の父から、見初められて妻になった。
せうびん氏は、正妃供給の外戚としてーー代々魅力的な女性を妻に迎え、正妃候補の価値を高めてきたがゆえに。
英賀手は、幼少期に周囲から「かはそに言葉を覚えなさい」と矯正されて以降は、
ずっと「あて」と喋ってきた。
だが――
天音が去ったその夜、英賀手は膝を抱えて考えた。
(長上は、かはそに言葉がよくわからへん)
(意思疎通を、もっと楽にしたい)
(もっと、天音みたいになりたい)
「……あて、やないほうが、ええかな……」
“あて”よりも、
天音の“わたし”に近いもの。
英賀手は、自分の袖を、ぎゅっと握った。
「……あて……
あた……
あたくし……?」
自分で言って、ふっと笑った。
「……天音みたい……ちょっと……似てる気がする」
英賀手は、さっそく翌朝、
朝餉の席で長上に披露した。
「……長上。
あたくし、今日の祭祀も……ちゃんとこなしたる」
その声音は緊張を含んだが、
確かに“あて”ではなかった。
長上は、一瞬だけ目を見開いた。
しかし、英賀手のしたいようにすればいいと考え、特に何も問わずうなずいた。
――その変化こそが、天媛の死に次ぐ、
あやぎり朝“第二の物語”の始まりだった。




