物語
天媛の死を告げる鐘が、まだ朝霧の抜けきらぬ宮中に響いた。
澄んだ鐘音はどこか濁り、誰の胸にも重く沈む。それは悲しみではなく、
――この国の“物語”がひとつ終わり、べつの“物語”が始まる音だった。
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最初の合議は、崩御から半日も経たぬうちに開かれた。
空の玉座の下、
亡き天媛に代わって政務を取り仕切る重臣たちには、
ひとつの共通認識があった。
「天媛のまことの死因は、絶対に公表したらあかん」
だが、沈黙は許されない。
人々は常に、理由と意味を求める。
王朝は物語で動く。
もっともらしく騙らなくてはならない。
議題は「どの物語で国を守るか」。
「――天媛にはご懐妊のきざしがあった。
まずは、そこから繋ぐべきかと」
重臣のひとりが、淡々と切り出した。
夜比古は目を閉じたままだった。
代わりに、長上がわずかに顔を上げる。
「……父親は、誰ということに?」
その問いが会議全体の喉を凍らせた。
天媛の遺体を抱えた夜比古の叫び声。
寝所で起きた異常きわまりない暴行。
世継ぎをめぐる派閥の思惑。
すべてが、長上の質問ひとつで浮上する。
「――長上。あなたの子、ということで」
最年長の重臣が静かに言った。
声は震えていない。
それだけ、この物語が“唯一の正解”であると皆が分かっていた。
長上は、まばたきもしなかった。
「……私の……」
「そうだ。夜比古は、あらぬ疑いから身を守らねばならぬ。
天媛の行動は……そうだな、
最期に長上をお呼びになり、何事か語ったーーとでも、脚色しておこう」
その瞬間、長上の背筋がひくりと震えた。
天媛が最期に呼んだのは――誰でもない。
誰も呼んでいない。
ただ静かに、血に濡れて倒れていただけだ。
その“無音の真実”は、誰の目にも明かせない。
「死因は?」
「流産。……その後の血の道の病で崩御なされた――それ以上は要らぬ」
流産。
便利で、誰も検証できず、誰も反論できない魔法の言葉。
夜比古も救われる。
重臣派閥も引き立て派閥も黙る。
天媛の名誉も保護される。
そして長上は――「後見人」にもっとも自然に座れる。
これは真実ではない。だが、事実より強い“物語”だった。
長上は、静かに頭を垂れた。
「……では、その芝居で」
ひとつの国が、虚構に救われた瞬間だった。
✦
宮中の公式発表が出るより早く、
都の市井では、すでに噂話が咲き乱れていた。
「天媛は、長上と深い仲だったんやろ」
「いや、あの男は権力の鬼や。けったいなやっちゃ」
「いやいや、こんなん恋やん。悲恋やん。
たしか……ものごっつう美男子やろ?」
「あれこそ天命の星の下にある方や。凡人やない」
誰も事実を知らない。
誰も真相を欲していない。
人は、面白い物語だけを信じる。
天媛の死の真実。
夜比古の手の震え。
英賀手を託されたあの日。
何ひとつ、民は知らない。
どれほど擦り切れ、歪められた物語でもーー
国が安定するなら、それでいい。
長上はふ、と微笑んだ。
「……天媛、あなたの望んだ形にはしてみせる」
その声は、誰にも聞こえない。
ただ雪のように静かに、宮中に落ちていった。




