隠心
要らない野兎を巣穴へ埋め戻すのは、別に大した手間でもない。
ただこの仔兎は、少し長く世話をしすぎてしまって、僅かばかり情が移ったのかも知れない。己としたことが、うっかりと失神させただけで、籠に背負った山道の中、たちまち息を吹き返した。
「おまえは何も悪くないよ。やっぱり新しく産まれた牝兎を育てたいっていうから、仕方ないんだ……いっそ俺も消えてやろうか、そうだそうしよう。な、そしたらおまえも淋しくはないよ」
とんでもない愚案に、笑いながら断崖絶壁に向かって駆け出そうとした刹那、あやしげな風体の女が前へ立ち塞がった。なんだ、まだ居たのか。鳴り物入りで入村した癖に、雨乞いにも失敗した祈祷師め。
「つまらない子ねえ~、どうしてたかが親如きに付き従わなくてはならないの。己の思うまま、好き勝手生きなさいな。少なくとも、予はそうしているから幸せ。たとえ明日死んだって、後悔なんか微塵もない」
「そりゃあ、気ままに旅する祈祷師ならそうだろう。でも、俺には分からない。なぜ皆生きようとするのだろう、どうせ死ぬのに。今だって、遅かれ早かれの違いだろ」
「ありゃりゃ、世知辛い。その年でもう世を儚んでどうするの。まだまだこれからだというのに、がっかりさせないで頂戴な」
訳の分からないことを言う。処罰は又代の父と一夜過ごして免れたのだから、さっさと出て行けば良いものを。その父からの認知すら危うい、赤の他人の子へ説教して、一体なんの得があるのやら。
「何ちゅう事。こりゃあ~、ただ止めても無駄のようだわ。仕方のない子ねえ、その背負ってるのを寄越しなさいな」
「牲にでもするのか」
「しませんよ、そんな事。大きくなるまでは、代わりに育ててやるって言ってんの。あーよちよち、困ったもんねえ。おっかないお兄ちゃんには。ほら、お別れなんだから、頬ずり位してやんなさいよ」
顔を寄せたら、こちらの髪束を引っ張ってモグモグと口に入れた。乳離れしてからの悪い癖だ。いつもは払い除けるが、今生の別れとなるのだし、最後くらいよかろう。
「悪く思わないで。ここの肥遺を祓わなかったから、せめてしわ寄せ位は、引き受けて出てく。予にここまでさせたんだから、あんたも早まんないでよね。先々の見込みが狂うから」
どうして今さら、弟を捨てた過去など思い出すのだろう。多少出歩いて腹を減らしても、娯楽にかこつけて媛達と会食してみても。急にこみ上げて来る吐き気が煩わしく、相変わらずの食欲不振だ。とはいえ吐き気止めに坐薬とは、出先でどんな入れ知恵されたのやら。この使用人の方向音痴は、かくも恐ろしい。
「うわ~お盛んですね。まだ名残ってますよ~、大丈夫かな薬の効果」
「やかましいわ。さっさと終わらせろ」
「お相手を変えませんか、あ。私じゃないですよ~、でも他にいくらでも居るでしょ」
「だって、頼り甲斐もあってひたすら優しくしてくれるのなんて、匪躬くらいしか居ないし……。って、何を言わせるか」
「あ痛て、役割演技って、そんなに嵌まっちゃうものですか。怖いなあ刷り込みって。人攫いが無くならない訳だ」
「さあな。気は許している方だと思うが、最終的には成り立たないな。互いに求めるものが違うから」
「えへへ~。口止めしないんですか、このままだと留守役に報告しちゃいますよ」
「どうせ分かる」