天媛(あめひめ)
勾人は町の喧騒に身を任せ、祈祷師の言葉を思い出す。
「天媛、天媛ね……坂の上にある反物屋に行けば、会えるのではないかや?」
勾人は、半信半疑である。
しかし、胸の奥に微かな期待が芽生えているのも事実だ。
「……本当にあった」
そう呟き、勾人は小道を登る。
古びた看板、軒先にはくすんだ暖簾。
そこが反物屋だと、祈祷師は言った。
店先には、誰もいない。
だが、かすかに香る布の匂いが、懐かしい記憶を呼び覚ます。
母の遺髪を仕舞った懐に、自然と手が伸びる。
ふと、あの童子の顔が勾人の脳裏をかすめる。
「あれが阿諛の弟……?」
肌の色以外は、まるで似ていない。
そもそも生きているのかどうかーー
「飢饉で捨てたから、たぶん死んだ」
阿諛はそう言っていた。
勾人は一歩、店の中へ足を踏み入れる。
視界に映るのは、整然と並んだ色とりどりの布。
人けのない店内に、宮中で嗅いだ、かすかな香の気配。
「……この奥か」
祈祷師の言葉を頼りに、勾人はさらに奥へ進む。
布の間に、天媛の姿が――あるのか、ないのか。
その答えは、もうすぐ、目の前に現れるはずだった。
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店内を進むと、勾人の視界にひとつの影が映った。
スルスルと反物を巻く女ーーよく見れば、服装からして店員でもない。
しかし、堂々と裏の棚から商品を選んでいる。
やがて、女は店の奥へひと声かけると、上等な反物を片手に、勘定もせずに店を出た。
ツケ払い。しかも店員は、一切顔を出さなかった。
相当な信頼関係と裕福さが垣間見える。
「……天媛」
勾人の声が、自然と漏れる。
彼女は振り返らなかった。
もう一度、今度は声を張り上げる。
「天媛! お待ち下さい!」
「なんやの計里氏? こんな往来で」
勾人は息を呑む。
天媛の視線が、何を言わずとも、全てを語っている。
「おおきに」
天媛の声はーー女人にしては低めだが、確かな強さがあった。
「わたくしを……ご存じなのですか?」
勾人は胸元で、母の遺髪を握りしめる。
天媛は、微かに笑った。
亡き母のため、いつか再会を願う阿諛のため――そのすべてを圧倒するほどの天媛の存在感が、今の勾人を支配していた。
天媛は一歩、勾人に近づく。
ここから、都での新たな物語が始まろうとしていた――




