ハレとケ
勾人の母の亡骸は、海風を受ける岩場の、ひっそりとした“鳥辺野”に運ばれた。
夜明け前。東の空はまだ群青。白む気配すらない。
「……俺で、いいのでしょうか」
阿諛は小さく呟いた。
手には、僅かな白粉と紅。
計里の館で使われる、儀式用の簡素な化粧道具だ。
門客は、あえて答えない。
ただ火皿を近くに置き、黙って場を外した。
阿諛だけが、勾人の母のそばに残された。
震える指先で、彼女の冷たい頬に触れる。
その顔立ちは、勾人と同じ“強さ”そして、“しとやかさ”を備えていた。
(あなたは……勾人さん、を。
……心から案じていた。
でも彼は、聞く耳を持たなかった。
そのたびに、あなたは胸を痛めていた……)
阿諛は、紅をひと筋、母の唇にのせた。
指が、かすかに震えた。
「どっ……どうしよう、ごめんなさい……でも、きれいにして差し上げます」
阿諛は、最後に彼女の髪を整え、布をそっとかける。
海風が吹いた。カモメが鳴いている。
それはまるで――
勾人の手を離すな、と告げるようでもあり、
もう行け、と背を押すようでもあった。
「……もう、会いません……きっとその方がーー
彼は……幸せだから」
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朝日が昇る頃、計里の館の者たちが、勾人の家に来た。
「母さんは……いま、どこに?」
問いは宙に消えた。
男たちは答えを避けるように目を伏せ、
勾人の肩を押さえて立たせた。
「勾人さま。出立のご支度をなされ」
「すぐに都へ向かわれよ」
「な……なぜ? 母は、まだ――」
「見てはなりません」
同行した門客が、冷たい声で勾人へ言い放つ。
「穢れを負うな。
あなたは、まだお若い。進むべき道もある。
“ケ”に立ち会う者ではない」
勾人の胸を、鋭い痛みが突き刺した。
「母さんは、穢れてなどいない……!
全ては、計里氏の都合であろうが!!
俺達の方が……よっぽど! 穢れに満ちている……」
「言うな。背負うな。
父君が、用意してくださった道を行け」
勾人は、ただ荷を背負わされ、
背中を押されるように、海沿いを離れた。
阿諛は、遠くで佇んでいた。
袖の中、彼女の遺髪。
門客に、渡して貰おう。
「母の最後の姿」は、明かさない方がいい。
放火の大罪人とは違って、
彼には明るい未来が待っているのだから。




