足音
宮中に到着した河鹿は、天媛付きの女官に声をかけた。
「天媛は……? 急ぎ報告に参った」
女官は驚いたように首を振る。
「ああ、よかった観戦武官!
天媛は二日前に、急ぎで御退出なされてから行方知れずなのです。
私共では捜索の手が回らず……」
困惑する女官。河鹿の背を冷たい風が撫でた。
その刹那――ヒュッ。
矢の風切り音。
河鹿は反射的に身をひねり、柱の影に転がり込む。
石畳に突き立てられた矢が、カラン……と倒れた。
(狙いは私か……? 違う、口封じ……!)
女官は悲鳴を飲み込み、河鹿は一瞬だけ彼女を庇うように手を払う。
「下がっていろ!」
続けざまに二射、三射。
射手は姿を見せず、宮中にしては異様すぎる襲撃。
河鹿は柱影を伝って移動し、射線を切りながら追跡者の位置を測る。
(この矢筋……訓練された兵。
そして――宮中でこれをやる胆力。
計里氏の者……!)
矢が途切れた隙に、河鹿は影の方向へすばやく回り込み、逆に尾行を開始する。
宮中の外門を抜け、矢を放った何者かは、
まるで「導く」ように都の外へ進む。
河鹿の胸に確信が芽生えた。
(天媛――攫われたな。
計里氏の仕業……間違いない)
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尾行は難しくなかった。
矢を放った男は、宮中での襲撃にしてはあまりに無造作で、振り返りもしない。
まるで——「追ってこい」と言わんばかりだ。
河鹿は一定距離を保ち、影から影へ滑るように歩いた。
やがて、都の外縁部。
貴族街とは違う、少し荒れた一角で男は立ち止まった。
漆喰の壁が、夜にぼんやり浮かび上がる。
古いが広い建物——計里氏の都屋敷。
男は周囲を一応見渡したあと、裏門から吸い込まれるように入っていく。
河鹿は屋根影に跳び上がり、身を伏せた。
(……ここだ。
天媛を都から連れ去れる権限と兵力。
そして矢を放って口封じを図る胆力。
他に該当者はいない)
夜風が吹き抜け、瓦の上をかすかに鳴らす。
その音に紛れ、河鹿は屋敷の塀を伝いながら観察を続ける。
裏門には、かはそに朝の正式兵装とは違う私兵の姿。
そして——
屋敷奥から、聞き覚えのある足音。
(……やはり!)
河鹿は拳を固く握った。
「天媛、もう少々お待ちを」
闇の中で、彼女の瞳だけが鋭く光っていた。
河鹿は屋敷の裏手から侵入し、慎重に周囲を確認する。
静寂の中、わずかな息遣いと夜風だけが耳に届く。
河鹿はすぐに、庭にいた天媛のもとへ駆け寄った。
「天媛、逃げましょう!」
だが天媛は、冷静な視線で周囲を見渡しながら、首を横に振った。
「いや、無理やろ。多勢に無勢や。阿諛呼んできいや。計里氏で待っとるで」
河鹿は目を見開く。
「そんな!?」
天媛はさらに続ける。
「宗女命令や。死んだらあかん」
河鹿は一瞬、言葉を失った。無力感が胸を締めつける。
だが彼女は深く息を吸い、決意した。
両属朝へ救援要請に向かうため、泣く泣く屋敷を後にした。
背後に迫る荒波のような緊迫感を感じつつ、河鹿は全力疾走する。
天媛の安全を信じ、そして、阿諛の力を頼るしかない——その想いだけを胸に。




