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太母(たいも)

「……阿諛が捕虜だと? すぐに円理朝へ向かおう」


門客は短く呟き、そのまま海路を進んだ。

胸の奥に浮かぶのは、これから向かう円理朝首都ではなく――

そこに住まう、太母の険しい顔である。


太母たいも


円理朝の主座・百一モモカズの実母にして、

男梅を体現したようなクソトメの愛鳥家。

その執念は、もはや信仰の域に達している。


そしてその太母が、有名知識人の門客に繰り返し使いを出して、散々命じてきたのが“易占”だった。


息子の嫁・十和トワが男子を授かるかどうか、それを天意として導けと。


門客はようやく太母の招きに応じ、易占えきせんを行う。

占い如きとあなどるなかれ。易占はれっきとした古代の学問だ。


「南南東の戦を労い、牢内の捕虜を最低一名救い、

 然るべき功徳を積めば、十和は男児を授かる」


その数詞の並びを、太母は脳裏に刻み込んだ。

門客を連れた太母の足は、両属地への補給基地

ーーそこに設けられた捕虜収容所に、自然と向かう。





補給基地に併設された捕虜収容所は、すでに大混乱の渦中だった。

門客と太母が到着した時、中庭ではなんとバトル・ロワイヤルが勃発していた。


円理兵たちが賭けをし、かはそに朝捕虜同士が殴り合い、


そしてその中心で――


阿諛はひん剥かれ、景品として掲げられていた。


門客は息を呑む。

救出があと数刻遅れていれば、阿諛は命どころか自尊心すら粉々だっただろう。


太母は眉一つ動かさず、呆れたように吐き捨てた。


「まったく……救いようのない連中ばかり。

 だが、まあよい。どうせ行く当てもなかろう」


その声は冷たいのに、奇妙な威厳に満ちていた。

太母が一歩踏み出し、檻の前で手を伸べる。


「そなた。名はなんと申す。円理朝へ連れて参るからには、名乗らねばならぬ」


阿諛の瞳が、信じられないほど大きく開いた。


「え……っ、え、…? わたしをお助けくださるので?」


太母は「当然であろう」とでも言うように、澄ました顔で頷く。


易占で示された“功徳”を、一つ一つ着実に積み上げる覚悟が、その仕草にあった。


こうして、阿諛は混沌と暴力の牢獄から解き放たれた。





丘を越える風は乾き、遠くに両属地の荒れ果てた山脈が灰色に伸びている。


門客は迷わなかった。

幼少期の孤独も、渡来民としての迫害も、

知識だけを武器に牙を研いだ日々も、

文字を知らぬ者をどこか蔑んでいた自分も――


すべてが、今の行動へと続く一本の筋に変わっていく。


救うべき者を救い、正しい道へ導く。

それが、いまの門客を動かすただ一つの意志だった。


阿諛は、門客の影に守られながら、円理朝へ向かって歩みを進める。


太母の衣の裾が風に揺れ、どこか誇らしげに立っていた。


こうして、物語は大きく舵を切る。

門客の運命も、阿諛の未来も。


そして円理朝も。


すべては、まだ誰も読めぬ文字の上に――静かに書き始められようとしていた。





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